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掌編小説「クロニック デイズ」③/④

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秋も深まり、いよいよ大学受験シーズンが迫ってきた頃、僕は思い切ってエミちゃんをデートに誘った。デートといっても、近所の神社にお参りに行くだけなのだけれど。

誘うメールをするだけなのに緊張で手汗がひどい。何回も何回もメールの文面を見直して、ダラダラ書いても気持ち悪いし、ここはサラッと友達感覚で、と思い「受験の合格祈願に近所の神社に行くんだけど、一緒に行かない?」とだけメールを送った。すると拍子抜けするほどあっさりと「いいよ」と返信がきた。

デート、というのは僕が勝手にそう思っているだけで、エミちゃんにデートとは言っていない。でも、それにしたってあまりにも簡単にOKをもらえて、僕は本当に受験に失敗するのかもしれないと思った。良いことが続きすぎている。僕は案外慎重な人間だ。おもしろくないかもしれないが、コツコツと地道に進むのが性に合っている。だから、浮かれていないで、このデートが終わったらまたしっかり勉強をしよう。そして、受験が終わったら、きちんとエミちゃんに告白しよう。そう思った。



近所の神社は小さくて、人も全然来なくて、寂れている。でも、住んでいる地域の神様を大切にするほうが良い、と家族に言われて育ってきたから、僕は大きな有名な神社はあまり行ったことがない。観光地としては良いのかもしれないけれど、自分のリアルなお願い事は、やっぱり家の近所の、小さな神社に来て手を合わせるほうがしっくりくる。

学校の近くで待ち合わせをすると、エミちゃんは私服では初めて見るスカートで現れた。グレーのセーターに紺色の膝丈スカート、ベージュのムートンブーツ。小さなポシェットみたいなバッグを斜めにかけている。学校にも着てきている紺色のコートは手に持っている。今日は11月にしては暖かい。緊張を悟られないよう、恰好つけている自分が恥ずかしい。

「エミちゃん、今日は来てくれてありがとう」

「こっちこそ、誘ってくれてありがとう。私もお願い事があったから、ちょうど良かった」

そう言って笑うエミちゃんは、控えめに言っても天使としか言いようがない。僕は自分の合格祈願ではなく「エミちゃんと両想いにさせて下さい」という私利私欲にまみれたお願いをしてしまいそうな自分を戒める。受験が終わってから、神様に頼らず、自分で気持ちを伝えるんだ。それまでは勉強。わかったな自分。

スカートを褒めたいが、変に思われるかな。

「珍しくスカートなんだね、かわいいね」

サラッとそう言えたらいいけれど、スカートじゃないエミちゃんももちろんかわいいから、なんて褒めればいいんだろう。それに学校の制服はスカートだし。女性を褒めるのって難しいな、と思う。

悩んでいる僕にはお構いなしに、「神社こっちでしょ?」と歩き始めるエミちゃん。エミちゃんのお願い事って何だろう。やっぱり寿司屋の修行のことかな。寿司屋の修行ってどんなことするんだろう。それは聞いてみてもいいだろう。あとあのジャケットの山矢という男のこと。本当に寿司屋の大将なのだろうか。



神社は少し高台にある。神社は高いところに建てられることが多いなと思う。境内までの階段は夏にあった台風で少し崩れかけていて、足場が悪かった。でも数段登れば、もう見晴らしの良い境内前の広場だ。広場には大きなイチョウの木があり、それ以外は何もない。イチョウは紅葉が見ごろで、秋の空に映える黄色は鮮やかできれいだ。

お賽銭を入れて、鈴を鳴らす。

パンパン。手を叩いてお願い事をする。大学に合格できますように。あと、エミちゃんの修行がうまくいきますように。

ふと横を見ると、エミちゃんは真剣な顔で手を合わせていた。思わず見つめてしまう。ドキドキする。受験が終わるまで、この気持ちは我慢しておかなければだめだ。受験に集中して、合格したら、ちゃんと告白するんだ。



神社の階段を下りる。

「足場が悪いから気を付けてね」

そう言ってみるが「うん、ありがとう」と言いながらエミちゃんは、僕よりも軽やかに危なげなく階段を下りる。陸上部で鍛えている体。毎日勉強三昧の僕なんかより、ずっと運動神経は良いだろう。階段を下りきったところにベンチがあった。

「なんか飲もうよ、奢ってあげる」

いたずらっぽく笑ってエミちゃんは、手に持っていたコートをベンチに置いて、少し離れた自動販売機に向かって行った。

僕はベンチのあるところから、エミちゃんを眺める。すらっとした足がスカートから伸びて、ムートンブーツがかわいい。



「もし、お兄さん」

突然話しかけられて、飛び上がりそうなほど驚いた。振り向くと、そこにはガリガリに痩せた背の低いおばあさんがいた。

「あ、はい、何でしょう」

「神社に行きたいのだけれど、ここの階段、足場が悪いけん、ちょっと手を貸してくれないかの」

しゃがれた声。僕はエミちゃんのほうを見るが、まだ自動販売機を見ている。ちょっと手を貸して戻ってくるくらい大丈夫だろう。

「あ、はい。いいですよ」

僕はおばあさんの手をとって、一緒に階段を登った。おばあさんの手は不自然なほど冷たかった。


おばあさんは階段を登り切っても僕の手を離さなかった。

「あの……」

離してください。そう言おうと思うのだけれど、離そうとするほど強く握り返されて、僕は言いようのない不気味さを感じる。

「境内まで連れてってくれませんか」

しゃがれ声で言ってくるから、仕方なく手をつないだまま境内まで歩く。

「どうもありがとう。お兄さん、お名前は?」

「はぁ、木度といいます」

「木度さんね、どうもありがとう」

そう言いながらも僕の手を離さないおばあさん。怖くなって手を振りほどこうとするが、信じられないほど力が強い。

「あのお嬢さんとはどんな関係なんだい?」

「え?」

「しらを切るつもりかい? 仲良さそうに参拝していたじゃないか、エミちゃんと」

え? エミちゃんの知り合い?

「エミちゃんのこと知ってるんですか?」

「さあ、本人に聞いてみようか?」

タッタッタッタッタと走る足音が聞こえ、エミちゃんが階段を駆け上がってきた。

「あ、エミちゃん、今このおばあさんが……」

見るとエミちゃんは階段の一番上、境内前の広場の入り口で仁王立ちし、こっちを睨んでいた。

「エ、エミちゃん?」

異様な雰囲気に驚く。

「木度くんから離れろ」

低い怒りを含んだ声でエミちゃんが言う。

エミちゃん?

「山矢が来なければ勝てっこないだろ? エミちゃんよお」

僕は耳を疑った。おばあさんの声じゃない。え? と思っておばあさんを見ようとした瞬間、ものすごい力で背後から体を抱きすくめられた。

うわ! なんだこれ。僕を抱えている腕は到底おばあさんのそれではなく、屈強な男の太い腕だった。もがいてみるがびくともしない。

「荒草、てめえ、木度くんに手出したら、殺す!」

エミちゃんが大声を出す。

「おお、威勢がいいねえ。そんなこと言ってていいのか? 彼、逃げられなさそうだけど……」

そう言って剛腕の男は僕を抱いている腕にぎゅっと力を入れる。

「うぅ」

思わずうめき声が出る。なんなんだ、こいつは!

「木度くんに手を出すな。木度くんに手を出すな。木度くんに手を出すな」

呪文のようにぶつぶつ言い続けるエミちゃん。

「ふふふっ」

剛腕の男が笑っている。頬に冷たい感触のあと、鋭い痛みが走った。

「痛っ」

見ると男の大きな手に、長い鉤爪が生えている。そのカミソリの刃のような爪が、僕の頬を掠った。それを見たエミちゃんがぎゅっと目を細め

「許さない」

と低く言った瞬間、パーン! と大きな破裂音がし、エミちゃんが手に持っていた缶コーヒーが爆発した。茶色い液体が散らばる。地面を彩るイチョウの黄色が茶に染まる。

風もないのに、エミちゃんのスカートとポニーテールがふわふわと揺れている。

エミちゃんは空いた両手をかざし、わ! っと大きな声を出した。

その瞬間、半透明の四角い物体が空中のあちこちに現れて破裂した。

パーン! と大きな音をたてて尖った破片が飛び散る。エミちゃんはまた、わ! と言い、また半透明の物体が現れては破裂し、そのうちの一つが僕の目の前でパーン! と大きな音を立てて破裂し、破片が僕とアラクサと呼ばれた男に降りかかる。

「エミちゃん!」

僕はエミちゃんのことを呼ぶが、エミちゃんは無表情に手をかざすだけで僕の声は届かない。パーン! パーン! と半透明の四角い物体が次々に破裂して僕を抱きかかえている男を掠るが、男の力は弱まらない。

「おー怖い怖い」

などとふざけた口調で言っている。

「エミちゃん!」

僕の声は届かない。どうしたらいいんだ! 一体どうなっているんだ!



「エミ!」

誰かの声がエミちゃんを呼んだと思ったら、シュタンッ! と1人の男がエミちゃんの正面に立ち塞がるようにどこかから飛び降りてきた。

あ! ジャケット男、山矢だ。
え、今どこから降りてきたんだ!

「山矢、早えじゃねえか」

僕を抱えている男が言う。

「うるせえな!」

山矢が振り向きざま、右手をシュッと僕のほうへ向けた瞬間、半透明の鋭い大きな氷柱のようなものがすごい速さで飛んできて、僕を抱える男の腕に刺さった。ぐしゃっと嫌な音をたてて血が吹き飛ぶ。

「うわぁー」

男が痛そうにもがいている。その隙に僕は腕をかわして、エミちゃんに駆け寄る。

「エミちゃん!」

エミちゃんは僕の声なんか全然聞こえないみたいな顔で、焦点もあっていなくて、ただ立っている人形みたいになっていた。

「暴走してやがる」

山矢がぼそっと言い、人差し指をエミちゃんの眉間にすっと当てる。するとエミちゃんは、すとんっと膝から崩れるように脱力し、山矢に抱きかかえられた。

「木度くん、こっちに」

「あ、はい!」

僕はエミちゃんを抱えた山矢について走る。

境内の陰にある木の下に来ると「木度くん、ここに座ってくれ」と言われ、僕が座ると、山矢はエミちゃんを膝枕の状態で寝かせ「ここを動くな。エミを頼む」と言って、手をかざして僕たちを半透明の箱で囲って、走って行った。

されるがままの僕は、恐る恐る半透明の箱を触ってみた。硬くてつるつるしていて、押してもびくともしなくて、自分に何が起こっているのかまだわからなかった。

僕の膝枕の状態で寝かされたエミちゃん。心配になって口元に手をかざしてみる。呼吸はしている。気を失っているが、生きている。



「ふざけんな、山矢あぁぁぁぁ!!」

大きな声でアラクサという男が叫んでいる。

「うるせえな、こっちのセリフだ」

山矢の声。境内の陰から覗いてみると、アラクサという男はいなくなっていて、かわりに巨大な真っ黒いゴリラの化け物みたいな怪物がいた。

一体、僕は何を見ているんだ? これは現実なのか?

何が起こっているかわからないまま、それでも僕は、何があってもエミちゃんだけは絶対に守る、と心に決めた。



《つづく》→④最終回

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