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小説:ラナンキュラスの花言葉を教えて ⑫/⑮

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四章 秘密


「どうする?」

 手嶋がリュックを片方肩にかけながら聞いてくる。私は、さすがに先に帰るのは不義理だろうと思った。伊達は、今日この家に来て初めて会った人だけれど、一緒に三人も人が亡くなる現場に遭遇した。警察に通報しないのはおかしいと思ったけれど、この恐ろしい状況の中、一番てきぱきと仕切ってくれたのは、伊達であった気がする。伊達がいてくれなかったら、手嶋と二人、何もできなかっただろう。

「戻ってくるまで、待ちますか」

 私の返事に、手嶋はリュックをおろす。第一印象は、ただの金持ちのボンボンだったが、内心抱えているコンプレックスを知ると、幼い印象も好感が持てた。こんな日でなければ、親しくなれたかもしれない。

「そうだよね。俺の指紋も掃除してくれているんだ。先に帰っちゃ悪いね」

 二人でソファに座った途端、ガチャンと何か割れるような音がした。手嶋と二人びくんと体を震わせて、目を合わせる。

「ええ……もう嫌だよう」

 手嶋が泣きそうな顔で言う。

「伊達さんに何かあったのかもしれません。見に行かないと」

 私は手嶋を無理に立たせ、今日初めて会ったとは思えないほどきつく腕を絡ませる。私だって怖いのだ。客間を出て、廊下を歩く。伊達は地下室に行くと言っていた。手嶋とがっちりとくっつきあって、二人で恐る恐る階段を下りる。そのとき、またガチャンと音がした。さっきより音が大きい。怖がりながらも速足で、二人で地下室へ急ぐ。階段を下り、一回顔を見合わせてから、二人で思い切りドアを開けた。

 伊達が誰かの上に覆いかぶさっている。犯人がまだ地下室に隠れていて鉢合わせしたのか! どうして、その可能性を考えておかなかったのだ!

「伊達さん!」

 手嶋が加勢しようと走り寄った直後、「わあ!」と大きな声を出して、「何してるんですか!」と叫んだ。私は、その光景を見て、世界がぐるんと一周したような錯覚に陥った。

「結衣!」

 伊達が覆いかぶさっている相手は結衣だった。横になっている結衣に伊達が馬乗りになって首をしめている。死んだはずの結衣がそこにいて、殺されそうになっている。結衣は足をバタバタさせ、ワインの瓶を蹴り飛ばしている。

「伊達さん! 何してるんですか!」

 手嶋がタックルして伊達を何とか結衣から引きはがす。結衣は、赤く染まったままのレンガ色のワンピース姿。匍匐前進のほうに床を這って伊達から離れ、首を触りながらゲホゲホと咳き込んでいる。

「結衣! 生きていたの!?」

 私は結衣に駆け寄った。首にくっきり赤く手の跡が残っている。まだ咳き込んで喋れない結衣の背中をさする。手嶋は伊達を後ろから羽交い絞めにし、動きを封じていた。

「その女が悪いんだ!」

 伊達が大きな声を出す。それは、今日一緒に過ごした伊達と同じ人間とは思えないほど感情的であった。攻撃的で、乱暴な目をしていた。

「伊達さん、落ち着いてください。どういうことですか! 何があったんですか!」

 手嶋が伊達を抑えながら話を聞こうとする。一体、何が起こっているのか。咳がどうにかおさまった結衣が、枯れた声で静かに言った。

「私が、悪いの」
「え?」
「全部、私が悪いの。ごめんね、あこ。手嶋さんも、騙してごめんなさい」

 うつむいて項垂れる結衣。

「何があったの? ちゃんと話して」
「うん。もう、隠せない。隠さない。ちゃんと全部、話す。聞いてくれる?」
「うん。聞かせて」
「お前なんか生きてる価値がないんだ!」

 伊達が大きな声を出す。その言葉に、手嶋が顔色を変えた。

「伊達さん! お医者さんがそんなこと言っていいんですか! 何があったか知りませんが、結衣ちゃんが生きていて、伊達さんが結衣ちゃんを殺さずに済んだ。それだけでも、良かったじゃないですか!」

 手嶋の喝に、伊達は一瞬空を見つめ、そしてガクンと肩を落とした。結衣が生きていたなら、もしかして、と思ってガラス扉の閉まったワインセラーをちらっと見たが、馬場は土のような顔色で微動だにしないまま、不自然な姿勢でワインセラーにおさまっていた。見なければ良かった、と思うほど、恐ろしい光景だった。

 客間に戻っても、伊達はまるで知らない男のように見えた。今日、一番落ち着いて見えた伊達が、今一番恐ろしく見える。仏頂面のまま、ソファに座ろうともしない。壁に寄りかかり、腕を組んでいる。結衣が生きていたのは嬉しいけれど、何があってこんなことになっているのか、聞かせてもらわないといけない。


【つづく】→⑬

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