掌編小説「クロニック デイズ」②/④
目つきの悪いジャケット男は、連れてこられた僕を見てエミちゃんに「エミの友達か?」と言った。
「そう。クラスメイトの木度くん」
「そうか。好きなものを頼んでいいぞ」
「だってさ、木度くん、飲み物見に行こう。私デザート食べたい」
いやいやいやいや、突然見ず知らずの他人に奢ってもらうなんて怖くてできない。しかも、この男、無表情でなんか異様な雰囲気がある。それに、エミちゃんの「パパ」なのかもしれない。僕には好きな人を前に、ちゃんと聞いておかなきゃいけないことがある。僕は立ったまま両手の拳を握りしめ、ジャケット男に向かって問いただした。
「あの、エミちゃんとどんなご関係ですか?」
突然真剣な声を出した僕にジャケット男は全く怯むことなく、無表情のまま見つめ返してくる。
「ん? どんなって? 上司だが」
「え?」
「エミ、説明しなかったのか? 俺はエミの職場の上司だ。山矢という」
就職が決まっているって言っていたけど、その職場の人だったのか!
なんて失礼なことを言ってしまったんだ。僕は焦った。早とちりもいいところだ。
「あ、す、すいません。ぼ、僕、エミちゃんのクラスメイトの木度です」
「そうか」
急に腰の低くなった僕にそう言ったきり、山矢と名乗った男は興味のないように自分のコーヒーに口をつけた。エミちゃんはそんなやりとりを見て首をかしげている。
「彼氏じゃないって言ったじゃん。どんな関係だと思ったの? ってか、木度くん、何か飲まないの? 私デザート食べたいんだけど」
エミちゃんに引っ張られて、僕は何か釈然としないまま店内に入った。
結局僕は山矢という男の金でアイスティを買い、エミちゃんはチョコレートケーキを買った。トレイを持って席に戻る。
「木度くんと言ったか。ちょうど良かった。ちょっとエミの話し相手をしていてくれるか?」
山矢という男はそういうと、僕の返事を待たずに席を立った。
「煙草でしょ」とエミちゃんは言う。トレイをテーブルに置いて山矢を目で追っていると、エミちゃんの言った通り、少し離れたテラス席で煙草を吸い始めた。
「ヘビースモーカーなのよ。私がまだ高校生だから私がいるところでは吸わないの。別にいいですよって言ってるんだけど、律儀っていうか、頑固っていうか」
ぶつぶつ言いながらエミちゃんは席につく。思いがけずエミちゃんと2人きりになってしまった。信じられないくらいドキドキする。
「そういえば、なんでさっき僕がいるのわかったの?」
気になっていたことを聞く。僕はうまく隠れていたはずだ。
「あぁ、それなら山矢さんが、『さっきからずっとこっちを見ている男がいるんだがエミの知り合いか?』って言うから。見たら木度くんがいたからびっくりしちゃった」
「え! そうなんだ。」
驚いた。僕はあの男の背後にいたんだ。一度も振り返らなかったのに、なんで気付いたのだ。
僕は山矢が座っていた席へ座り、アイスティを飲む。エミちゃんはさっそくチョコレートケーキにフォークを刺す。
「おいひい!」
口にいっぱいケーキを入れて無邪気に笑うエミちゃんを見て、僕は啜っているアイスティを吹きそうになった。かわいい。かわいすぎる。
オーニングの日陰は風が通って涼しく、目の前にはエミちゃんがいて、嬉しそうにケーキを食べていて、僕は人生の幸運をここで使い切ってしまって、受験に失敗するのではないかと思った。でも、それはそれで別に悪くない、とさえ今は思えた。
「あの山矢っていう人は、上司なのに、休みの日に一緒にカフェなんて来るんだね」
どんなに僕が幸せに浸っていても、視界の端にしっかりジャケット男は存在している。職場の上司と言っていたが、それ以上に親しそうに見えた。嫌味っぽく聞こえないように気を付けたが、どうしたって妬むような口調になってしまった。
「あぁ、山矢さんは上司なんだけど、恩人っていうか、恩師でもあるから」
エミちゃんはペロリとケーキを平らげて満足気にしている。
恩師? じゃ、やっぱり寿司屋の職人なのかな、あの人は。
「先生みたいな感じ?」
「あー、まあそうだね。人生の先生かな。私は日々修行の身」
ふふっと照れたように笑うエミちゃん。頑張って修行して、きっと立派な寿司職人になるんだろうな。僕はいつかエミちゃんの握る寿司が食べたいな、と思った。
「エミちゃんが将来のために頑張ってるなら、僕も勉強頑張らないとな」
「木度くんは、受験するんだもんね。大変だろうけど、頑張ってね」
僕は顔がボンっ!と音を立てたのではないかと不安になった。この陽差しの下じゃなければ赤面も隠せてはいない。
「うん、ありがとう」
なんとかアイスティを飲んで場をしのぐ。頭がパンクするかと思った。好きな女の子の「頑張ってね」はこんなに効果があるのか。
「エミ、そろそろ行くぞ」
煙草を終えた山矢がエミちゃんを呼んだ。
「はーい」振り向いて答えるエミちゃん。
「じゃ、木度くん、またね。受験勉強、頑張ってね」
僕はまた顔が爆発しそうになったが、どうにか堪え、今しかない! と勇気を出す。
「エミちゃん……その、良かったら、連絡先、交換しない?」
口がカラカラになった。緊張のあまり、一瞬世界が止まったかと思った。軽い男と思われたか、気持ち悪いと思われたか、断られたら気まずい、そんな考えが一瞬で脳内を行ったり来たりでぐるぐるする。めまいがしそうだ。
「あ、全然いいよ」
エミちゃんはニコっとして携帯電話を取り出す。
「あ、ありがとう」
僕は動揺を悟られないように格好つけて、自分も携帯電話を取り出した。電話番号とメールアドレスを交換し、「じゃーね」と去っていくエミちゃんとジャケット男を見送り、僕はテラスに1人残された。確かにエミちゃんの連絡先を記憶した僕の携帯電話は、いつも以上に熱を持っている気がした。
夏休みの間、エミちゃんからときどきメールが来た。受験勉強の邪魔しちゃいけないから、という理由で電話はかかってこないのだけれど、受験勉強がなければ電話をしてもいいということか? と僕は良い解釈をして勝手に喜ぶ。
エミちゃんからの連絡は邪魔どころか、修行を頑張っているエミちゃんに相応しい男でいたい、という気持ちから勉強に熱が入るし、受験に失敗して浪人したらエミちゃんと電話ができない期間が延びてしまう、という不純な動機も含まれていたが、僕のやる気を起こすには充分だった。
二学期が始まって学校で顔を合わせるようになって、エミちゃんの部活のない日、僕は塾へ行くための駅まで、エミちゃんは修行先の寿司屋まで、一緒に帰るようになった。最初は偶然会ったから一緒に帰ったのだが、それ以降は、学校を出たあたりでエミちゃんと合流できるように僕が少し時間調整をしている。バッグに荷物を入れるのをゆっくりにしたり、下駄箱で少しぼーっとしたり、それでもエミちゃんに会えれば、約束しているわけでもないのに寿司屋の階段を駆け上がるエミちゃんを見送るまで一緒に帰れるから、僕は大満足だ。エミちゃんが、偶然会ったからという理由だけで、たまたま一緒に帰っているのだとしても。
《つづく》→③