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「黄昏スパナ」②/⑥

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今日は午前中の診療だけである。

昼に帰ると有がアパートの玄関の外で何か作業をしていた。ドアを薄く開けたまま、中を覗いたり、しゃがんだり、手に何か持って、何かしている。

「何やってんだ。」

「あ、英二。おかえり。これ、うまくいかないんだよね。」

言いながらまたしゃがみこんで、文庫本を開いて首をひねっている。

「こうかな」と呟きながら、ドアの隙間にテグスのような細いひも状のものを入れたり出したり引っ張ったりしながら「だめだなぁ」とまた文庫本を開く。

「何をしているんだ?」

「これさ、この方法でやると、外からチェーンだけかけられるはずなんだけど、うまくできないんだよね。作者の人は、実際に試してるらしいから、絶対にできるはずなんだけど。」と首をかしげている。

どうやら、ミステリー小説を読みながら実際に試しているらしい。

俺は当然の疑問をぶつけてやる。

「それで、外からチェーンがかかったとして、俺たちはどうやって家の中に入るんだ?」

有は手を止め、ゆっくり俺を振り向き「あっぶねー!」と言って笑った。どうやら、本当に何も考えてなかったらしい。

「ありがとう、英二。言われなきゃ気付かなかったわ。あぶねー。誰もいないのに締め出されるところだったね。」と笑う。

「中で事件が起きてないのにチェーンだけかけちゃダメだよね。これじゃ密室殺人じゃなくてただの密室だよ。いや待てよ、密室になってるから中で事件が起こっていると思わせておいて、実は何も起きてません!ではなぜ犯人は現場を密室にする必要があったのでしょう!ていう推理か?そこで探偵が呟くんだよ、これはミステリーですね。」

俺は有の頭にぽんと手を乗せ、「俺にはお前の頭の中がミステリーだよ。」と言ってやった。



家に入ると有は使っていたテグスを丸めてポイっとテーブルに投げ、そのままベッドにばたんと倒れ込んだ。

「あーお腹空いたー。頭使ったからお腹空いたー。」

枕に顔を埋めながら大きな声を出している。

すると突然がばりと起き上がり「ママンのチャーハン食べたい。」と言った。

ママンのチャーハン?

「英二、ママンのチャーハン食べに行こう。」と立ち上がるなり、玄関に向かう。

「ママンのチャーハンって何だ。マ・マーのパスタみたいなもんか?」

「違うよー。ママンだよ。僕のママン。ママ。お母さん。母親。僕のママンが商店街で中華料理屋やってるって言わなかったっけ?」

聞いていない。

「有沢飯店って知らない?お好み焼き屋の向かいの。」

「あ、知ってるな。入ったことはない。」

「そこ、僕の実家なの。行こう。ママンと兄貴がやってんだ。」

「兄貴がいるのか?」

「うん。僕と違って、超頭いいし、超優しいし、店も継いで、最高の兄貴だよ。」

「パパンはいないのか?」

「あのくそオヤジはどっか行ったよ。蒸発だよ、蒸発。個体なんだから蒸発なんかするなよな、水じゃねーんだから。」

ぶつぶつ言いながら有は玄関を出ていくから、俺は財布と煙草をポケットに突っ込んであとを追った。



「んまぁ~!!」と有のママンは目を丸くして大きな声で出迎えてくれた。

ごま油とニンニクのような良い匂いの充満した賑わう店内。ほかの客に水を運んでいたママンは有を見るなり駆け寄ってきた。

「有ちゃん、久しぶりに顔見せに来たと思ったら、こーんなにいい男連れてきて。どこでつかまえたの?もーあんたが面食いなのは知ってるけど、ほんと素敵な人!あ!ごめんなさいね。席あちらの奥でいいかしら?」

喋りながらママンは奥のテーブル席に案内してくれた。有の人懐こさとお喋りはママン譲りらしい。

清潔で活気のある店内。テーブル席のほかに、カウンターと、奥に座敷もあるようだ。繁盛しているのがわかる。カウンターの中の厨房で、有の兄貴なのか、男性がジャージャーと何か炒めている音が食欲をそそる。

ママンはふたり分の水を運んできた。

「こんにちは、はじめまして。有の母です。」

ふくよかで色白で、中華料理店の店主というより小学校の給食員さんという感じだな、と思う。目元が有に似ている。

「はじめまして。葉山英二です。」

「あら、声まで素敵!もーうちの有が彼氏連れてくるなんて珍しいから、嬉しくなっちゃうわー。この子、空想みたいなことばっかり言ってちょっと変わってるでしょ?でも根はとーっても優しくていい子だから、どうぞよろしくお願いしますね。」

ママンは有の髪をグチャグチャに撫でさすりながらコロコロと笑う。有は「やめろよ。ママン、早くチャーハンくれよ。腹減ってんだよ。」と身をよじりながら抵抗している。まるで、過保護な母と思春期の男子のようだ。

「はいはい。チャーハンね。葉山さんは何になさいますか?」

返事をする前に有が「チャーハンとらーめんとレバニラにして!」と、ママンを飛び越えて厨房へ大声を出す。兄貴らしき男性から「あいよー」と返事が飛んできた。



俺は有の母親が何の躊躇もなく、俺を有の彼氏と認識したことに驚いていた。そもそも有は俺のことを家族に何と説明するのだろう、と思いながら店に向かっていたのだが、そんなことは杞憂に終わった。しかも、有の母親は、それを自分の店の店内で大声で言うのだから、驚く。

昨今は日本でも性的マイノリティに関する理解が深まっているのはわかるが、ここまでスムーズに受け入れられたのは初めてだ。

しかも自分の息子のことである。頭では理解できたとしても、感情が追いつかないこともあるだろう。でも、有の母親からは、そのような葛藤のようなものは全く感じられなかった。悩んだ時期もあったのか。それは本人にしかわからないし、他人である俺には到底計り知れないことだが、そんな些末なことよりも、うちの有ちゃんが可愛くて仕方ない。そんな母親のようにも見えた。

「はい、おまちどうさま。」

にこやかに食事を運んでくる有の母親を見て、いろんな家庭があるものだな、と思った。



飯はどれも本当にうまかった。有のおすすめであるチャーハンはもちろん、らーめんもレバニラもうまい。

「すっごいうまい。」

俺が言うと「だろー!うちの兄貴はマジですごいんだって!」と有が自慢げに言った。

カウンターの中から有の兄貴が顔をのぞかせ、柔和な笑顔で「ありがとうございます。」と、ぺこっと頭を下げた。



「お、有ちゃん、久しぶりじゃないか。ちゃんとバイト続いてるのか?」

入ってきた客がカウンターに座り、有に話しかけてきた。

「おー、片桐のおっちゃん、久しぶり。うん、今のバイトちゃんと続いてるよ!」

どうやら常連さんのようだ。日に焼けて、年齢にしては逞しい腕をしている。

「えらいじゃねえか。お、新しい彼氏か?イケメンだな!こりゃ、ちゃんと働いて、フラれないようにしねえと、母ちゃんが悲しむぞ。」

「わかってるって。」

俺は、家族だけでなく常連の客にも自分がゲイであることを隠すことなく、ありのままで過ごしている有を眩しく眺める。俺は、自分がバイセクシャルであることを、隠したことはなかったか。



会計をしようとすると有のママンが

「お代はいらないですよ。また来てくださいね。」

とにこやかに見送ってくれたから、お言葉に甘えることにした。

今度、職場の人たちにも、有沢飯店はうまいと宣伝しておこう。

《つづく》→③

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