ショートショート「とある4人の事情」
【ユウマの場合】
まゆみさんとの出会いは偶然だった。
いつものメンバーでいつもの居酒屋。安い酒と無駄話。それはいつもの夜になるはずだった。
でも、その日は珍しく隣の座敷にいた女性のグループと仲良くなって、一緒に飲んだのだ。
男子大学生の男臭い飲み会に、年上の女性のグループ。みんなあからさまに上機嫌で、調子に乗っていた。
それは僕も同じだったけれど、元来人見知りするほうだし、お酒もあまり強くない。だから、すごく盛り上がっているメンバーに水を差さない程度に、端のほうでちびちびウーロン茶を飲んでいた。そこで隣に座ったのが、まゆみさんだった。
「ユウマ君って言ったっけ?」
「あ、はい。」
年上の女性と話す機会はあまりないから、緊張する。
「あんまりお酒強くない?」
「あ、そうなんですよ。」
「良かった、私もなの。」
黒いストレートの髪はつやつや。ナチュラルメイク。マニキュアの塗っていない短い爪。紺色のワンピースも清楚で似合っている。きれいな人だな、と思った。
「ウーロン茶仲間だね。」
にこっとされてドキっとした。かわいい。
「そうですね。」
ちょっとかっこつけたかった気持ちと緊張していたのもあって、少しだけビールを飲んだから、そのあと何を話したかあまり覚えていないが、最近見たドラマの話や好きな音楽の話をしたような気がする。そして、調子に乗ってはしゃいでいたメンバーたちがいつの間にか連絡先を交換していて、「じゃ私たちも」とまゆみさんに言われ、連絡先を交換し、飲み会はお開きとなった。
翌日、案の定、頭が痛かった。
酒に弱いうえに二日酔いする体質。やはり飲まないほうがいいのだ。昨夜は、いつも男ばかりの飲み会に珍しく(奇跡的に)女性が合流するなんてことがあったから、かっこつけて飲んでしまった。次からはいつも通りウーロン茶だな。
今日は休みだからダラダラしていればいいや。そう思って何気なくスマートフォンを見ると、なんとまゆみさんから連絡が来ていた。
『おはよう。昨日は楽しかったね。ちょっと酔っていたようだけど、二日酔いは大丈夫?』
お、なんだこれは。
突然の出来事に、僕の心は、ときめきと動揺が半分ずつ。
男友達とつるんでばかりで女性に免疫のない僕には、すぐに対応するすべが浮かばなかった。大人の女性は連絡先を交換したら社交辞令で一回は連絡をくれるものなのか?
でも、最後に質問で終わっているということは、きっと社交辞令ではない。会話を続けたいということかもしれない。
僕は心の天秤をときめきの方に傾けて、いいほうに解釈する。
『おはようございます。昨日は楽しかったですね。二日酔いは全然ナシ!と言いたいところですが、ちょっと頭が痛いです(笑)』
何度も打ち直してからようやく送信した。そこで、あ、質問系じゃない!と思い
『まゆみさんは二日酔いしていないですか?』
と追加して送信した。
なんだろう。返信がくるまでドキドキする。
黒いサラサラのロングヘア。いい香りがしていた。二の腕が白くて柔らかそうだった。僕に笑いかける笑顔がかわいかった。
いけない。たかが1回複数人で飲んだだけじゃないか。淡い期待は抱いちゃいけない。
そう思うが返信が気になり、午前中はダラダラしながらもスマートフォンを何度も確認して過ごした。ぼーっとしているようで、気がつくと、まゆみさんのことを考えている。仕草や笑顔が浮かんでは消え、また浮かぶ。
昼になって着信音が鳴る。慌ててスマートフォンを見るとまゆみさんからだった。
『返信遅れてごめんね。今日は土曜なのに出勤なの。ユウマくんは大学お休み?何してるの?』
また質問だ。これなら会話を続けられる。
すぐに返信するとガツガツしていると思われるかもしれない。でも、休みなのに返信が遅いのは失礼なのか。迷った結果、自分の気持ちに正直になろう、と決め、すぐに返信した。
『今日は休みです。二日酔いの頭痛も良くなってきたので、午後は映画でも見に行こうかと思っています。』
これは本当だ。好きな監督の最新作を早く見に行きたくて仕方なかったのだ。今度はすぐに返信がきた。お昼休みなのかな。
『あ!いいな!私もその映画今一番見たいやつ!今日仕事午前中で終わりだから、私も見に行っちゃおうかな。』
え、これはどういう意味だろう。一緒に、ということか?いや、それはないよな。うん。ない。さすがにないだろう。
僕の心はまたしても動揺に傾いた。
すると、すぐにまゆみさんから追加でメッセージがくる。
『映画一緒にどう?』
僕は心臓がどきんと飛び跳ねた。何度も画面を確認する。
事実だ。僕は女性に映画に誘われている。迷っている時間はない。動揺している時間はない。完全に心をときめき方向にふりきって、急いで返信した。
『ぜひ、ご一緒したいです。』
自分から誘えなかったのは、かっこ悪かったかな、と思ったが、大人の女性は普通に男友達と映画くらい行くものなのかもしれない。過度な期待はしてはいけない。
わかってはいるが、どうしても薄紅色の唇と柔らかそうな二の腕が脳裏から離れず、何度も煩悩を頭から振り払い、急いで出かける準備をした。
まゆみさんは時間ぴったりに待ち合わせ場所にやってきた。
夏の終わり、秋めいた風が天使を連れてきたのかと思った。淡いベージュのワンピースの裾を揺らし、少し小走りに駆け寄ってくる。「待った?」とはにかむ笑顔に、一瞬世界の時間が止まった。内面から溢れ出る清楚な雰囲気と可愛らしさ。僕は天使を見つけたと思った。
映画は問題なく面白かったが、僕は隣のまゆみさんのことが気になり、正直半分上の空だった。ときどき肩が触れる時間があって、そのときは全神経を肩に集中せざるを得なかった。天使は、可愛いだけじゃなく、僕を緊張させるには十分なほどの、セクシーさも持ち合わせているのだ。
映画のあとに食事に行った。女性を連れていけるお店など全く知らなかったから困ったが、まゆみさんが「近くに美味しいイタリアンがある」と教えてくれて、連れていってくれた。気取っていない、でもお洒落なお店。値段も思ったよりリーズナブルでほっとした。
まゆみさんは僕より8歳年上だった。
「おばさんに声かけられて迷惑だった?」
ちょっとはにかむように言われて思い切り首を振った。
「とんでもないです。いや、8歳も上に見えないですし、年齢とか僕あんまり気にしないタイプなんで。」
しどろもどろだ。かっこ悪い。
「ねえ、もしユウマくんが嫌じゃなければ、敬語やめてほしいな。」
「え、いいんですか?あ、えっと、いいの?」
「うん。だって。敬語使われると、いかにも年上って感じするから。」
「じゃ、敬語やめるね。」
一気に距離が縮まった気がして僕は舞い上がった。天使は高嶺の花だと思っていた。でも、敬語じゃなくていいと言われた。
一緒に映画を見て、食事をして、敬語じゃなくてよくて、まるでデートではないか。
食事を終えて、まゆみさんはタクシーで帰るから送らなくて大丈夫と言われ、その日は別れた。
その日から毎日のように連絡を取り、週末は映画を観たり食事をしたりするようになった。連絡をして返信が遅いとやたらそわそわして、どこかの男と出かけているのかな、と気をもんだりした。
まゆみさんは、年上の女性でありながら、ちょっとドジなところもあって、そこがまたたまらなく可愛かった。僕は、確実にまゆみさんを好きになっていた。
ちゃんと告白しよう。やきもきしながら過ごすだけじゃだめだ。ちゃんと気持ちは伝えなければいけない。男らしく、玉砕覚悟で、ばしっと決めよう。僕は自分に気合いを入れた。
食事のあと、夜景のきれいなデートスポットに誘った。カップルばっかりでみんな自分たちの世界に浸っている。
夜になると少し肌寒さを感じる季節。ワンピースに長袖のカーディガンを羽織っているまゆみさんは、いつも通り可愛らしくて天使だった。
長い髪が風になびいてつやめいている。こんなに好きになれる人に出会えたんだ。出会いは偶然じゃなく、必然だったんだ。
僕は勇気を出した。
今なら言える。思い切って気持ちを伝えよう。
「まゆみさん、好きです。僕とお付き合いしてください。」
まゆみさんは全然驚いた顔はしなかった。かわりに頬をうっすら紅潮させて「やっと言ってくれた。」と言って、照れたように笑った。
そして、すっと、さり気なく体を寄せてきて、
「私は最初に会ったときからずっと好きなんだから。」
と耳元で囁くように言った。
僕の脳はパンクした。
正式に付き合うようになって、僕はますますまゆみさんに夢中になった。薄紅色の唇はもう僕のもので、誰にも奪われてたまるか、と繰り返しキスをした。白い二の腕は思っていた以上に柔らかくていつまでも執拗に撫でていられた。まゆみさんは、ときには大人の女性らしく僕をたしなめ、ときには無邪気な少女のように戯れた。
僕は子供だと思われたくなくて、力強く抱いた。僕の行為でまゆみさんが普段見せたことのない表情をしたり、普段は聞けない声を出したりすると、僕はもう他のことなんてどうでもいいと思えて、また強く抱きしめるのだった。こんなに誰かのことで頭がいっぱいになったことはない。これが本物の愛なんだと知った。
付き合って半年たった。
冬をこえて、新しい春がすぐそこまで来ていた。僕は変わらずまゆみさんが大好きで、そして僕らは相変わらず仲良しで、愛し合っているカップルだ。
そろそろ親に紹介しようかと思った。まゆみさんに言うと「年上だから反対されちゃうかな」と少し心配そうにしていたが、うちの親はそんなこと気にしないだろうと思う。
もし万が一、反対されるようなことがあっても心配はいらない。僕はもう成人しているんだ。付き合う相手に親の許可などいらない。誰が何と言おうと、僕はまゆみさんを離さない。
「大丈夫だよ。両親に反対なんてさせないから。」
頷くまゆみさんがたまらなく愛しくて、僕はまた強く抱きしめた。
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【まゆみの場合】
ターゲットは都内の大学に通う学生だとわかった。
まず、女性の好みを探る。好きな女優やアイドル、過去に付き合った女などを参考にして、女性の好みなどすぐにわかる。
黒髪、ストレートのロング、艶髪に弱い。派手めメイクは苦手で、ナチュラルメイク派。マニキュア禁止。ワンピースなど清楚な服装が好み。
私は髪を黒染めして、ストレートパーマをかけた。ナチュラルメイクは難しくない。服は何枚か買い足した。
次に趣味や趣向を探る。趣味は映画鑑賞。特にSFものが好き。お酒が弱い。煙草は吸わない。
映画は何本か予習しておいて、好きな酒はしばらく禁止だな、と決める。煙草もしばらくやめなければ。これはちょっときついが、そのうち慣れるだろう。
これだけわかればキャラ設定は大丈夫。次のステップだ。
友達の中で一番遊んでいるA子に頼んで、ターゲットがよく行く店で複数人の女を集めて飲み会をした。A子はさすが逆ナンのプロで、あっという間にターゲットのいるグループに絡み、仲良くなり、若い男の子たちを盛り上げ、連絡先の交換までこぎつけてくれた。ターゲットの名はユウマと言った。A子には結構な謝礼を渡した。
ここからは自分の力でやらなければ。
図々しくない程度に積極的に誘い、少しじらす時間と、思わせぶりな態度を使い分け、向こうから告白させるのが望ましい。
正直、8歳年下の男なんてちょろかった。
夜景のきれいなデートスポットに誘われたときは、よし今日だな、とわかった。告白させればこっちのものだ。私がユウマの耳元で囁いた瞬間、全身から漏れ出した男の欲求を感じたが、初日で抱かせてはいけない。正式に付き合えば、体もうまく使わなければ。
半年ほど付き合った頃、親に紹介したいと言われ、少し不安そうにする仕草を見せた。ユウマは「大丈夫だよ。両親に反対なんてさせないから。」そう言って私を抱きしめた。抱きしめられた私は、ユウマから見えないところで、ほくそ笑むのが止められなかった。
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私は1年前まで不倫をしていた。20歳以上も年上の男だ。
男は20代の私を遊ぶだけ遊んで、30歳手前で突然捨てたのだ。
私は別れたくなかった。男は、いつか妻とは別れると言っていたのだ。
私の家で別れ話が拗れたとき、そこに男の妻が乗り込んできた。男の妻は私を言葉の限りに罵って、挙句の果てに、土下座までさせたのだ。
「この泥棒猫。女狐。あばずれ。ビッチ。死んで詫びろ。土下座で済んでありがたいと思え。」
私は言われた一言一句、忘れない。土下座している私を面倒くさそうに見ていた男のことも忘れない。私は2人を許さない。
そんな2人の、可愛い可愛い大切なひとり息子が、今私に夢中だと知ったら、あの2人はどんな顔をするだろうか。
今から見るのが楽しみだ。
《おわり》