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掌編小説:山矢探偵の休日【3502文字】
部屋に入る微風に柊木犀の香りが混じる。私、田橋純は布団に包まって微睡んでいた。
社会人2年目の秋。
今日は休みだから、ゆっくり朝寝坊を堪能する。休みの日も同じ時間に起きて活動したほうが体に良いらしいけれど、どうしてものんびりしてしまう。
しばらくダラダラしていたが、ようやく起き上がり、くたくたのパジャマのまま紅茶を淹れる。パジャマはもう首回りがヨレヨレに伸びてしまっていて、それが心地よくてなかなか捨てられない。
下着を捨てるタイミングは「それを履いたまま救急車に乗れるか? というのが線引き」と聞いたことがあるけれど、私の場合、パジャマでも怪しい。
適当に軽く遅めの朝食を食べて、今日は買い物に行こうと思い立つ。少し大きめの買い物がしたい。冬物のコートが欲しい。
自分で労働して、お給料をもらって、生活する。子供の頃は気にもしていなかったそんな当たり前のことが、やってみると大変なことなのだと初めてわかる。
子供の頃、私の家は特にお金持ちだったわけではないし、転勤も多かった。私は、もともと友達の少ない内向的な子供だったから、引っ越しも転校もそれほど苦ではなかった。でも、転勤のたびに職場が変わり、生活環境の変わっていた両親は、苦労もあったんだろうな、と今になって思う。
自分のコート以外にも、両親に何かプレゼントを買おう。
それは素敵な発想に思えた。元来のんびりしているからいつも両親に心配をかけていたと思うが、就職活動にもとても時間がかかり、大人になってまで心配をかけた。去年はいろいろと忙しくて両親のことまで気が回らなかった自分も情けないが、今年の年末は、実家に帰る時の手土産に、何か親孝行をしてもいいだろう。
デパートを巡ることを想定して、低めのパンプスで家を出る。晴れていて、乾燥した冷たい空気が鼻腔を抜ける。気持ちがいい。
駅までの徒歩。何気なく視線をやったカフェを見て私は驚いた。
テラス席に山矢さんがいる。
私の勤務先、山矢探偵事務所の探偵、私の上司、山矢さんである。
若い女の子が好みそうな、お洒落なカフェのテラス席にひとりでいる山矢さん。何だか意外。
短髪の黒髪、切れ長の鋭い目つき、薄い唇、片手に煙草。白いシャツに黒い細いネクタイ、黒いジャケットを着て、無表情でコーヒーを飲んでいる。完全に浮いている。
そこで私はピンときた。
そうか、このあたりで煙草が吸えるカフェは、この店のテラス席しかない。だからヘビースモーカーの山矢さんは不似合な場所にも関わらず、この店にいるのか。
私だってこのくらいの推理はできる。探偵助手なんだから。
それにしても、プライベートは完全に謎だらけの山矢さんである。休日の山矢さんを見るのは初めてだ。そういえば、休みの日なのにいつもと全く同じ服装である。
ちらちら見ていると、山矢さんは立ち上がり、会計を済ませ店から出てきた。
私は慌てて隠れる。山矢さんのプライベートの謎を解く絶好のチャンス。
私は親孝行のショッピングを延期して、山矢さんを尾行することにした。
山矢さんは私に全く気付いていない様子で、すたすたと歩いていく。目的地が決まっているように。低めのヒールにして良かった。私は慌てて着いていく。気付かれないように、注意しながら。
山矢さんはある店の前で立ち止まり、店の看板を一度見上げて確認し、躊躇なく入っていった。私は驚いて、入店する瞬間の山矢さんを急いで写真におさめた。
そこはなんと、猫カフェ。
山矢さんが猫カフェ。不似合すぎる。
これはエミさんに報告しないと。エミさんは、私と同じ山矢探偵事務所の先輩、事務兼助手である。私が知らないだけで山矢さんは猫好きなのだろうか。私は、あの鋭い目つきで猫を愛でる山矢さんを想像してみるが、うまくいかない。
店に入ると山矢さんに気付かれてしまうので、私は少し離れた場所で張り込む。
ほんの30分ほどで山矢さんは出てきた。黒いジャケットは猫の毛だらけである。戯れてきたのは間違いなさそうだ。
山矢さんは休日に猫カフェで猫と戯れる。
謎すぎる山矢さんのプライベートが今ひとつ明かされた。
山矢さんは、またも目的地がはっきりしているような足取りで迷わず歩いていく。
まったく振り返りもせず、後ろを気にする様子もない。私の尾行は、なかなかのものなのかもしれない。そろそろ探偵事務所でも、実地の仕事ができるようになればいいが。
山矢さんは電車に乗り、地元より大きめの街、繁華街へ出た。すたすたと迷うことなく歩く山矢さん。こっそり後をつける私。
すると山矢さんはひとつのお店の前で止まり、またしても躊躇なく入店した。
私はその店を確認し、声が出そうなほど驚いた。
なんと、メイド喫茶である。
山矢さんがメイド喫茶。まさか。猫カフェを越えて不似合すぎる。
確かにちょうどお昼くらいだ。メイドさんにケチャップをかけてもらって、萌え萌えしながらオムライスを食べたりしているのだろうか。想像できなさすぎる。
私はすぐ目の前にあったファストフード店でハンバーガーを買って、メイド喫茶の出入り口が見えるところでハンバーガーを頬張りながら張り込んだ。
30分ほどで、山矢さんは店を出てきた。あんな無表情な客、メイドさんも接客しにくいだろうな、と心配になる。それとも、メイドさんにはニコニコしているのだろうか。それも想像できない、いや、したくない。
山矢さんのプライベートがまたひとつ明らかになった。
エミさんへの報告は、メッセージアプリではなく、長電話になりそうだ。
次に山矢さんは、少し人の少ない路地へ入って行った。雑居ビル街といったところか。こんなところに何の用事があるんだろう。
あるビルのひとつに山矢さんは入っていった。大きな看板もなく、お店らしい雰囲気もない。
よく見ると、ビルの入り口に、入っているテナント名が小さく書いてある。
【ενήλικοσ】
なんて読むんだろう。何語だ?
私は外国語翻訳アプリを使用し、翻訳してみる。ギリシャ語で「大人」という意味らしい。何かの店?
住所と名前を入力し検索した私は、え! っと今度こそ声に出して驚いた。
ア、アダルトグッズの店!?
うそ、山矢さん、え、いや、うそ。
山矢さんは独身ぽいし、大人の男性だし、別に何も問題はない。でも、あんな無表情で無感情な山矢さんが、アダルトグッズ。
今どんな顔して商品を選んでいるんだろう。ていうか、アダルトグッズの店ってどんな物が売ってるの? それもわからない。エミさんなら知ってるかな。
どうしよう。今度から一緒に働くとき、ちょっと見る目が変わってしまう。
いや、でも別に悪いことじゃない。だって、大人だし、別に悪いことじゃない。でも、でも。
とりあえず、今このビルの前でおどおどして汗をかいている私が一番挙動不審だ。
ここは一旦撤退して、私の感情を落ち着けなくては。私はビルを離れ人通りの多そうな道へ戻ろうと歩き始めた。
そのとき、突然トンっと肩を叩かれ、飛び上がるほど驚いた。
「山矢さん、いつから私の尾行に気付いていたんですか?」
私と山矢さんは、探偵事務所の1階にある寿司屋でお寿司を食べている。
「尾行に気付いたというか、カフェでコーヒーを飲んでいたら田橋を見つけたから、昼食でもどうか、と声をかけようと思ったんだ。そしたら田橋が隠れるから、休日まで職場の人間と一緒に過ごすのは、まあ気が休まらないか、と思って歩き出した。そしたら俺のあとを着いてくるから、最初は何をしているのかよく分からなかった」
はあ、とため息がでる。私が山矢さんを見つけたときには、もう私は見つかっていたのだ。
「じゃあ、着いてきてるのわかってて、いろんなお店行ったんですか?」
「そうだ。こそこそ着いてくるから、どうやら尾行されているようだ、と思って、田橋が驚きそうな店ばかり行ってみた。案の定、田橋は入る店ごとにびっくりした顔をしてくれていたから、からかい甲斐があった」
無表情でお寿司を食べながらふざけたことを言う。
「すっかりやられました。尾行の練習のつもりだったんですけど、まだまだですね」
「まあ、そもそも、顔見知りを尾行するのは難しくて当然だ。普通は顔を知られていない状態で行うものだからな」
「そっかー。もっと修行しなきゃですね。結局、山矢さんを楽しませる結果になっちゃった」
「あぁ。田橋の反応もおもしろかったし、俺も社会見学になった。行ったことない場所ばかりだったからな」
やはり謎だらけの山矢さんのプライベートは、簡単には解明できなかった。
「でも、今日ひとつ、わかったことがある。」
山矢さんが真面目な顔で言う。
「なんですか?」
「猫っていうのは、かわいいな」
私はお茶を吹き出した。
≪おわり≫
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![秋谷りんこ(あきや りんこ)](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/159394114/profile_bb6abf8e415fa3a6679c12e184732183.png?width=600&crop=1:1,smart)