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掌編小説「マテリアライズ ブラック」②/④

※できれば「マテリアライズブラック①」から先にお読みください。※


梅雨の、珍しい晴れ間。久しぶりに洗濯物を外に干してから職場へ向かう。

私、田橋純が去年から働いている「山矢探偵事務所」は、ちょっとほかとは違う、変わった事情のある探偵事務所だ。

去年はそのせいで怖い思いもしたが、その怖い事情の原因が、今年は来ないらしい。

私は去年より少し気楽に働いている。少なくとも、去年のような経験は、再来年までしない。それまでは、のんびり普通の探偵事務所の事務ができるだろう。



事務所に着くと山矢さんはコーヒーを飲んで煙草を吸っていた。山矢探偵事務所の責任者で探偵の山矢さん。尋常ならざる力を持っているらしいが、今は普通の(ちょっと怖い)35~6歳のおじさんに見える。去年の不思議な体験が、夢だったみたい。

短髪の黒髪、鋭い切れ長の目、高い鼻、くわえ煙草の薄い唇。黒いジャケットに白いシャツ。梅雨のじめじめした時期でもぴしっと黒い細いネクタイをしめて、ジャケットを着ている。おきまりのスタイルも変わらない。暑くないのかなと、いつも思う。

「おはようございます。」

「ああ、おはよう。」

私は今日のスケジュールを山矢さんと確認する。午前中に、夫の浮気調査をお願いしたい、という女性がくることになっている。午後は来客の予定はなく、その浮気調査の初期調査を始める、といったところか。

「昨日の夜、エミから電話があってな。今日16時過ぎに依頼人と一緒に来ることになった。」

「エミさんから直接の依頼ですか?」

エミさんとは、私の前に事務をしていた人で、今は育休中である。

「あぁ、そうだ。詳しいことは聞いていないんだが、エミが俺にしか頼めないと言っていた。この事務所向きの案件なんだろう。」

この事務所向きの案件。

「そうですか。荒草の件以外にも、そんな依頼ってあるんですか?」

荒草というのは、去年私に怖い思いをさせた張本人だ。

「あぁ、たまにある。」

「わかりました。でも、まだどんな依頼かわからないんですね。」

「あぁ、とりあえず、今日は話を聞くだけになるだろう。それで、エミの連れてくる依頼人っていうのが高校生らしいんだ。コーヒー以外の、高校生に出せるような飲み物を買っておいてくれるか?」

「高校生ですか!ずいぶん若い依頼人さんですね。」

「そうだな。」

「何か怖い思いをしているなら、かわいそうですね。」

「そうだな。俺に解決できるものならいいが。」

そう言って山矢さんはコーヒーに口を付けた。

いつも無表情で、感情的になることのない山矢さんだけど、依頼人の話はじっくり聞くし、仕事はいつも丁寧で抜かりない。表情に出にくいだけで、本当は依頼人に共感したり同情したりしているんだろうか。
紫煙を燻らし、煙の向こう側、遥か遠くに視線をやる山矢さんは、相変わらず何を考えているのか、私にはよくわからなかった。



午前中の浮気調査の依頼は滞りなく終わり、特別難しそうな案件ではなかった。



私は昼食を買いにコンビニへ行くついでに、夕方来るという高校生の子のための飲み物を調達する。今どきの高校生って何が好きなんだろう。

よくわからないが、とりあえずコーラとリンゴジュースとカルピスソーダを選んだ。あとポテトチップスとチョコレート。子供のホームパーティみたいだな、と思った。
あ、あと山矢さんに頼まれた煙草。ショートピースと言っていたな。煙草なんてどれも同じに見えるけど。



16時15分、事務所のドアがノックされ、返事を待たずにドアが開いた。

「こんにちわー。」

エミさんだ。長い髪を後ろで束ね、白いロンTにスキニーデニム。娘のミキちゃんは旦那さんに預けてきたのか、連れてきていない。

「田橋ちゃん久しぶり。山矢さん、急にすいませーん。」

エミさんの後ろに、制服姿の女の子がいた。長い髪をふたつに結わいて、うつむいている顔は、若い高校生の溌剌さはあまり見られなかった。少し疲れているようにも見える。

「この子は依頼人の沙理ちゃん。」

エミさんに背中を押されてズイっと前に押し出された沙理ちゃんは、小さな声で「桐島沙理といいます。よろしくお願いします。」と言った。緊張しているのだろう。当たり前だ。

「山矢です。」

山矢さんは相変わらずの無表情で、声も低いから怖い。高校生相手なんだからもう少し柔和な態度にすればいいのに、と思うが、そうもいかないらしい。

「沙理ちゃん、ここ座って。山矢さん、顔怖いけど、いい人だから。」

「あ、はい。」

エミさんに促されて沙理ちゃんはソファに座る。

沙理ちゃんの隣にエミさんが座り、エミさんの向かいに山矢さんが座る。

私は、コーラとリンゴジュースとカルピスソーダのペットボトルを見せ「どれがいい?」とニコニコしながら言った。私くらいは愛想よくしておかないと、山矢さんとバランスがとれない。

「あ、えっと、じゃあカルピスソーダ。」

「オッケー」

私は山矢さんにコーヒー、エミさんと自分にアイスティ、沙理ちゃんにカルピスソーダを運んだら、山矢さんの隣に座り、メモをとる準備をした。



「じゃ、君がエミに相談したことを、もう一度話してくれるか?できるだけ細かく、見たまま、感じたままのことを話してほしい。」

山矢さんは、話を促した。

「はい。えっと、最初は3日前です。雨の夜でした。」

そこから沙理ちゃんは、この3日の間に経験した恐ろしい体験を話してくれた。真剣な様子で、話していると実際に恐怖を思い出すのか、ときどき両腕をさするような仕草をしながらも、細かいところまで説明しようと一生懸命話してくれた。はきはきしていて、話もわかりやすかった。利発な、賢い子なんだな。そういう印象が強くなった。

聞いているこっちがぞわっとするような、リアリティのある語りで、とても作り話をしているようには思えなかった。

一通り聞き終わると山矢さんは、うーんと唸ってから「エミは現場行ったんだろ。印象は?」と言った。

「それが、えっと、沙理ちゃん、ごめんね。あのときは言わなかったんだけど、やっぱりあのへん、ちょっと怖い感じしたんだ。それと、ちょっと言いにくいんだけど、沙理ちゃんの家だけ、暗かった。街灯もあったし、家の電気もついてたんだけど、沙理ちゃんの家だけ、何か暗いものに覆われているように見えたの。嫌なこと言ってごめんね。でも、関係あるんじゃないかな、と思って。」

沙理ちゃんは少し困ったような顔をしている。

「山矢さん、どうですか?何かわかりそうですか?」

エミさんが聞いた。

「そうだな。少し質問をしていいかな。えっと、沙理さん。学校は楽しいかい?」

「学校ですか?はい。楽しいです。」

「友達はいる?」

「はい。多くはないですけど、いろんなことを相談できる子はいます。さすがに今回のことは言えてませんけど。」

「そうか。では、バイトはどうかな?怖い先輩がいるとか、労働がきついとか。」

「いえ、みなさん、よくしてくださいます。仕事も、接客は楽しいですし、もちろん嫌なこと言ってくるお客さんもいますけど、そういうときは店長がすぐに来て対応してくれますから。困ることはありません。」

「そうか。では、家はどうかな?ご家族との関係とか。」

少し、間が空いた。
沙理ちゃんは一回下を向いてから、顔をあげて山矢さんのほうを見て「家、ですか。」と言った。

「そう。家族のことが聞きたい。」

「家族は、えっと、両親は去年離婚しました。父は家を出て、もう再婚して、新しい家族がいます。子供も生まれたみたいです。母は、離婚してから少しずつ体調を崩すようになって、今ではほとんど布団から起きることはないです。それで、最初は嫌がったんですけど、説得して心療内科に連れていって、今は安定剤とかを飲みながら、過ごしています。あと妹がいて、妹はまだ中学生だから、いろいろ心配かけたくないし、離婚のこともショック受けてたから、私が守ってあげなきゃって思っています。」

「そうか。」

「でも、母が家事を全くできなくなっちゃったから、結局妹がほとんどやっていて、私はバイトもあるから、つい妹に家事をまかせちゃって悪いなって思っています。家のローンは父が出してるみたいですけど、ほかのお金は母の貯金しかなくて、それもいつまでもつかわからないから私がバイトしないわけにはいかないし、高校やめればもっと働けるんですけど、母が高校は行ってくれっていうし。」

「沙理ちゃん、そんな大変な中、頑張ってたんだね。」

エミさんが沙理ちゃんの背中を撫でる。

「いえ、世の中、もっと大変な人たくさんいますから。」

沙理ちゃんは唇をかんで下を向く。

「そうか。ありがとう。状況はわかった。沙理さんが視たものの正体も、おそらくだが予測がついた。」

「本当ですか?」

沙理ちゃんとエミさんが同時に声を出した。

「ああ。おそらく、退治できる。」

「あーやっぱり持つべきものは頼れる上司だわー!」

エミさんが大きく息を吐いてから、私がテーブルに用意しておいたチョコレートをぽいっと口に放る。

「あの、じゃあ、私の見間違いとかじゃ、なかったんですか?」

沙理ちゃんが不安そうに聞く。

「ああ、実在していると思う。」

そう言うと山矢さんは立ち上がり、窓へ寄った。指でブラインドをずらし外を見る。窓は去年、派手に破壊されてしまった事件があったため、税理士の野村さんが窓の修理と一緒にブラインドも設置したのだ。意味があるのかわからないけれど。

「雨の日にしか出現しないようなら、今日は無理だな。」

今日は久しぶりの梅雨の晴れ間。

「明日は雨の予報だ。明日の夜、現場へ行こう。うまくいけばそこで退治できるだろう。」

「あの、私の話を信じてくれて、ありがとうございます。」

沙理ちゃんが立ち上がって頭を下げた。

「でも、さっき話したとおり、私お金がありません。こういうのって、依頼料がかかりますよね?」

ずいぶんしっかりした子だなと思う。いや、しっかりせざるを得なくなったのか。

「うーん。無料、と言っても、君は納得しなんだろうな。だから1万円にしよう。」

「1万円ですか?」

「あぁ、1万円で、利子なしの10年払いでいい。」

「え?」

「10年以内に1万円払ってくれればいい。」

「いいんですか?」

「ああ。それで契約成立だ。」

沙理ちゃんはまた唇をかんで、「よろしくお願いします」と山矢さんに頭を下げた。

「あぁ。大丈夫だ。俺が解決するから、頭をあげなさい。」

「はい。ありがとうございます。」

沙理ちゃんが、高校生よりずっと大人に見えた。そのことは、なんだか切なく思えた。

「そういうことで、また明日だな。ところで、沙理さんとお母さんと妹さんは、いつも何時くらいに夕飯を食べているんだ?」

唐突に山矢さんが聞く。

「え、夕飯ですか?」

「そうだ、もう妹さんは食事を作ってしまったかな?」

「いや、まだだと思いますけど」

「そうか。じゃ、妹さんも呼んで、みんなで寿司を食べよう。景気づけだ。」

景気づけ、という言葉とは不釣り合いに、無表情で無感情な声色の山矢さん。

「え!お寿司ですか?」沙理ちゃんはびっくりしている。

「そうだ。1階に寿司屋があって、とてもうまい。妹さんも連れてくるといい。お母さんには、大将に何か消化に良い食べやすいものを作ってもらおう。言えば何でも作ってくれる。」

するとエミさんが「えー!お寿司なら早く言ってくださいよー!」と大きな声を出した。

「チョコレートこんなに食べなかったのに!」
エミさんの手元にはチョコレートの包み紙がたくさん落ちている。

それを見て沙理ちゃんは、思わずといった感じでウフっと笑った。いい笑顔だ。そうそう、高校生なんて、こうやって笑っているうちに過ぎていくもんなんだ。早く山矢さんが沙理ちゃんの体験した怖いものをやっつけて、沙理ちゃんが笑顔で過ごせるようになるといいな、と思った。


《③につづく》

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秋谷りんこ(あきや りんこ)
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