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コミュニケーションの取り方

今日は同僚と一緒に食事をしつつ、今の上司とのコミュニケーションの取り方についての話をしました。

上司はいつ見ても忙しそうで、でも何か質問をすると出来るだけすぐに答えようとしてくれる、そして園全体を見てサポートをしようとしてくれます。

そんな上司自身とても良い人だし、積極的に私たちをサポートしようとしてくれているのはわかるのですが、時折行き過ぎの場面があり、それによって意見を受け入れがたくなる場面が多々あります。

自分達で解決できると思って奮闘している時に、どうすれば良いのか、どうするべきかという事を伝え、その通りに行動するように促す。

もし困っている本人が相談をしたのであれば感謝なのですが、その状況を自分から探しに来てそういう行動を取られると、監視されている、もしくは信じてもらえていない、と感じてしまう。

そうなると例え上司の言っている事が正論だとしても(逆に正論だからこそ、という事もありますが)聞き入れ難くなってしまう。

上司という立場としては仕方のない事なのでしょうか?


みんな自分でコントロール権を持って色々試し、答えを探していく過程でたくさんの学びがあります

もし誰かにどうすれば良いのかを指示され、その通りにしていたら例え間違いはなかったとしても、達成感や責任感は生まれません

そうなると最終的には上司は全てにおいて管理しなくては行けなくなり、本人はどんどん忙しくなるし、何かあった時は「上司に言われたから」という事で責任を取らなくてはいけないしで理はあまりないように思います。

「自分がいないとダメだ」という承認欲求は満たされるかもしれませんが




これは子どもとの関係でも言える事です。


例えば歩き始めた赤ちゃんが、押し車を押しつつ歩く練習をしているとします。

途中で家具にぶつかり進めなくなってしまった。

ほんの少し横にずらせばいいのですが、それがわからなくてひたすら前へ前へとガチャガチャしながら推し進めようとする。



それを見ていた周りの大人たちがとる行動は何でしょうか?



大抵の人たちはその押し車か家具を少しずらしてまた進めるようにしてあげるのではないでしょうか。

それが悪い事ではないのですが、ある意味その子どもが「どうやって状況から抜け出すか」という事を考え試していく機会を奪っている事にもなります。

大人から見たら何てことない状況でも、子どもに、その対面している人にしてみたら大変な事で、それらを解決していく為には経験を重ね、練習をして自分で解決方法を模索していくしかありません

大きくなるにつれて問題も複雑なものになっていき、そして常に傍に解決してくれる人がいるわけではありません。

だから少しずつ、小さいものから自分で解決していく力をつける為の練習を重ねる事が大切です。

出来る人からしたらもどかしい、手助けしたくなる状況でも、その本人の力を信じて見守るのも長期的に見てとても大きなサポートになるからです。


上司の話に戻れば、上司は私たちをサポートしようとしてくれているのかもしれないけど、ある意味信頼はしていなくて、とにかく状況をコントロールする事を重視している。

それは上司の立場上仕方がない事もあるけれど、全てにおいてそういう事をしていたら上司自身が大変な思いをする事になるわけです。

本来なら上司の仕事ではない事も自分から首を突っ込んで自分の荷物に加えてしまっているから。

だから常に忙しい、誰にも頼る事も頼むことも出来ないから。



ではどのようにコミュニケーションを取れば良いのでしょうか。

仕事場の場合、特に立場が上の人たちは責任感も大きくなるし、それ故に状況の把握は必須でしょう。

私はまずは「相手に聞いてみる」事が大切だと思います。

どんなに状況が自分から見て大変そうだったとしても、本人が助けを必要としているのかどうかも本人にしかわからないからです。


”何か考えが合ってそうしてるかもしれない”

”助けが必要なのに言い出せないのかもしれない”


それらは見ただけで判断するのは難しいです。

だからこそ本人に聞いてみる。「助けはいりますか?」

状況によっては、もしくは関係性によってはいちいち聞かなくても行動しなければいけない、行動出来る時もあるだろうけれど、お互い違う人間なので「聞かなくてもわかる・わかって」というのは結構過度な期待だと、特にカナダに来てから思い知りました。

相手の気持ちや状況を尊重して、するからこそ、でも必要なら私は手助け出来るようここにいます、という事を伝える事が本当のサポートに繋がるし、コミュニケーションも円滑になっていくのではないでしょうか。


皆さんはどう思われますか?



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