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「長すぎた春」 #小説でカフェ紹介

あの日も雨が降っていた。
濡れた傘を閉じながら思い出していた。
こういう時、彼は決まって私より丁寧に傘を畳んでいたな、とどうでもいいことが頭をよぎる。

同じ席に座る。窓際の席だ。
思い出そうとしなくても、自然とその時の情景が浮かんでくる。

あの日もすごく寒かった。やっとの思いで辿り着いたカフェで、身を寄せ合ってラテが出来上がるのを待った。

彼は完璧な人だった。
優しくて、気遣いができて、仕事ができて、根性があって、自分の人生に恥じたことをしない人。おまけに顔が抜群に良かった。
こんな完璧な人、女の子には困らないだろうし、すごく遊んでるだろうなという予想に反し、話してみると硬派で、そのギャップにやられた私は一瞬で恋に落ちることになる。
私からデートに誘い、私から想いを告げ、彼女の座をこの手で勝ち取った。
そこからは甘い甘い日々が始まる。


春。公園でピクニック。
私が気合いを入れて作ったサーモンアボカドサンドは、出来上がってみるとあまりに大きすぎた。顎が外れそうになりながら食べる互いの姿が面白くて、二人して笑った。

夏。大自然の冒険。
山登りしている途中に靴底が剥がれてしまい、いつの間にか私の足元は上履きのようなものだけになっていた。ヘンテコな格好に、彼はお腹を抱えて笑っていた。

秋。紅葉狩り。
「転ぶからだめだよ」と彼に言われていたのに、はしゃいで落ち葉の上を走り、案の定転んだ。葉っぱにまみれた私の姿を見て、彼はだから言ったでしょうと困った顔で笑った。

冬。クリスマスのお出かけ。
寒いから厚着をしてきてねと何度言っても、絶対に短いスカートと生足でやってくる私に、まったくと呆れていた。
だって彼の前では可愛くいたかった。


二人の世界は完璧だと思っていた。

「ご注文何にしますか?」店員さんの声で我に返った。
あの日と同じ、ホットラテを頼む。
「最近一段と冷え込みましたよね。ラテであったまっていってくださいね」とお釣りを渡しながら、声をかけてくれる。
優しい言葉で胸がいっぱいになると同時に、すぐに感傷的になってしまう自分に嫌気が差した。
席に座って、窓の外を眺め、気持ちを落ち着ける。


ふと店内に流れる音楽が耳に入ってきた。
そうだ、ここのカフェは流れる音楽と店内の雰囲気が絶妙にマッチしているところも好きだったと思い出す。
寒さでかたまった身も心も、次第にほぐれていく。


彼は音楽が好きで、私より詳しかった。色々なことを教えてくれた。
あの日も、ラテを飲みながら「これ好きだな。なんて曲だろう」と調べてダウンロードした音楽を、帰ってからもずっと聴いていた。
私と違って好きな曲をエンドレスリピートする癖のある彼は、その日中ずっとずっと同じ曲を流していた。
そして、私の好きな音楽はあまり流せなかったこともふと思い出す。「そんな曲より良いのがあるよ」と言われてしまうから。

「お待たせしました。」店員さんがラテを運んできてくれる。
カップを両手で包み込む。指先からじんわりと感覚が戻ってくる。
ラテアートが崩れてしまうことを少し残念に思いながら、ふわふわのフォームミルクを口に含んだ。
美味しくて、あったかい。そう、このカフェは全てがあたかかった。
白を基調としながらも落ち着く内装、流れる音楽や店員さんの物腰の柔らかさ、聞くと気が抜けてしまう「bokketo」という店名、カフェラテの味、その全てが傷ついたものを包み込むように、癒すように、大丈夫だと語りかけてくれている気がした。
誰にも気付かれないように、こぼれ落ちた涙を静かに指で拭う。

終わらせたのは私だった。自分でも予想していなかった。
だって彼は完璧だったから。二人は完璧だと思っていたから。
終わらせておいて、泣くなんて勝手だなと思う。でも終わってしまったことが悲しかった。信じられなかった。

持っていたカップを置く。ここのカップの色も好きだった。淡くて少しくすんだ色。
でもそんなこともきっと彼は知らなかった。
私の好きな小説や音楽、映画や番組を彼は知らなかった。たまに短編小説やエッセイを書いていることも、知らなかった。

彼は私という人間が好きなのではなくて、「彼に恋して、彼の好きなもの全てに興味を示してくれる私」が好きだったのだと思う。
月並みだが、長すぎた春だった。
「彼が好きな私でいること」に疲れてると、自分自身で気付いてしまったのだ。その瞬間、全てが崩れ落ちていく音を聞いた。

もっと夢を見させてほしい、きっと何かの間違いだと思い込もうとする自分と、それを冷静に見つめ「今までも心のどこかでは気付いていたんでしょう?」と諦めている自分がいた。
あと少しだった。あと少しだったのに。

カフェに来たのは、自分なりの最後の締めくくりだった。
あの日、二人は間違いなく幸せだった。幸せはそこにあった。
もう終わってしまったけど、たしかにあの時は幸せだったのだ。その思い出を記憶の部屋に大切にしまいこむ。そして、しっかり鍵を閉めた。

カフェの扉を開け、冬の冷たい空気を吸い込む。
店を振り返る。
あの日の二人が窓際に見えた気がして、すぐに霞んで消えた。

大好きだったよ。今まで本当にありがとう。

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