患者というアイデンティティ
診察室と社会の間にある崖は簡単に人を死なせる。
こんなに社会に嫌われてるのは私だけかも知れないが、中には私のように感じた経験を持っている人もいるだろう。
心身共に健康で優秀な人でさせ「育休後に社会が一変してしまった」なんてよく聞く話。
それが精神疾患の闘病後だったら実にエグい。
中には福祉資源に恵まれてうまくいく人も居るだろうけれど、私の場合は元々無理して社会に合わせてやっと生きてたんだと言うことが、このタイミングで初めて分かった。
最初はただ、診察室と社会を繋ぐ福祉資源がポンコツだっただけかと思っていたけれど、どうやら福祉資源の問題だけではなかった。
以前書いた占い師10人。
その中の3人が私が社会に会わない理由をこう鑑定した。
「ほしのさんって、働くのに向かないんですよね~。元来妖精みたいな人なので、社会のルールとかに合わないんですよ」
「もうね~、波動が強いの!人の3倍。日陰に居たい人に嫌がられるのよ~」
「居場所ですか?…あ~、ちょっと、リアルは恵まれないですね~。ほんと無理しない方が良いです」
など言って、最終的に「「魂の本質ですから」」と、断定された。
3人から。
こんなに真面目に生きてきたのに、働いたり、居場所を得るようになれるために治療も頑張ったのに…と、最初結構ショックだった。
しかし、数週間それをかみしめて生活してみると、その真実味が実感として湧いてきた。
ライターとして一緒に励まし合える仲間を前に、ライター特有の陽のテンションに全くついて行けない。
意識が高いのは良いが、自分の求める方向ではない…
人を見て自分はダメだと思って落ち込むパターンをかなぐり捨てて占い師の鑑定を思い出す。
そうか…私は妖精みたいな人間なんだ。
気の進まないところでは生きていけないのだった。
数週間、そう考える練習をした。
15年前ぐらいの自分だったら、こんな自分を死ぬほど憎んで息もつかせなかっただろう。精神の治療が一通り落ち着いた今だからこそ受け入れることができたと思う。
しかし、精神科の治療では「魂の性質」だなんて検査で出るわけがない。
私の中ではここが医療の限界だった。
医療や福祉が、人間の土台の一つである「魂(宗教・スピリチュアル・ルーツにまつわるアンテナの部分)」を考慮に入れることは決してない。
私にとって、医療と社会を繋いだ資源の一つは占いだったけど、人によってはその形は非常に様々なのだ。
その人にとって「それでOK」と承認するものが一つ社会の方にあったなら。
自分にできる事は……?
どきどきしながら、自分の想像を超えた世界について思いをはせる。
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