心細さを埋めたかったあの日の乾杯
「乾杯」をテーマにした投稿募集中の文字を見て浮かんだ、
台湾に来て間もないころのわたし。
ちょっと心細くて、自分の居場所を見つけられずにいたわたしを思い出す、ある日の乾杯。
ふふふ、と思い出し笑いできるのは、あれから10年たったから。
当時は、あの日を思い出すたびに、穴があったら入りたいと本気で思っていた。
そんなわたしの(そして義父の)乾杯にまつわるお話し。
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台湾人の主人と結婚し、台湾に来てまもない頃。
まだ、友人と呼べるほど親しい人もおらず、慣れない環境、慣れない言語の中で暮らすことに必死だった。
日本で、ほぼ毎週仲間とお酒を飲んで大笑いしていた生活から一変。
毎日が新しい刺激と新鮮さに満ち溢れていた中に、ちょっぴり隠れている孤独な感情。
わたしはお酒が大好き。
当時、乾杯する相手にも飢えていたのだと思う。
ある日、同居していた義父母から、親戚の結婚式があることを告げられた。
台湾での結婚式は、自分たちの式ですでに体験済みだが、
ゲストとして出席するのはこれが初めて。
それはそれは楽しみに、式の日がくるのを待った。
いよいよ当日。
義父母、主人とともに式場へ向かった。
義父は、久しぶりに会う兄弟たちとの再会に、いつも以上に笑っていた。
義母は、いつもよりよそ行きの顔。
そんないつもと違う、義父母の様子を見ているだけでも胸がずっとドキドキしていた。
台湾の結婚式はひとことで言うと「自由」。
服装も、始まる時間も、過ごし方もとても自由。
式の開始時間から30分たってもいまだ始まらない、
そんな中でも誰ひとり気にする様子はなく、お喋りに花を咲かせている。
お酒好きな義父も、同じテーブルの親戚と何度も「乾杯!!」とビールグラスを掲げていた。
台湾の乾杯は、飲み始めだけではなく、飲んでいるあいだに何度もおこなう。
例えば「結婚おめでとう!」とか「久しぶり!」とか、「〇〇!乾杯!」と乾杯したい相手を名指ししてグラスを目の高さほどまで持ち上げるのが台湾流。
そして乾杯したあとは、すべて飲み干し、空にしたグラスを再び掲げるのだ。
初めて台湾流乾杯を見たときは驚いた。
でも、陽気で、人と人との距離が近い台湾らしいと思った。
式が始まるころ、すでに義父はほろ酔いだった。
酔った義父の乾杯攻撃は勢いを増していき、わたしにも何度も乾杯を求めてくる。
わたしもわたしで、念願の乾杯に感激し、すべて受け止めた。
とにかく台湾に来て初の「乾杯!」に、嬉しくて嬉しくてたまらなかったのだ。
もう、義母にも主人にも、義父とわたしは止められない。
式の間中、我がテーブルでは「乾杯!」の声が止むことはなかった。
結果、義父とわたしはひどく酔っぱらった。
呆れた義母は、つきあっていられないと帰って行った。
残された主人は、もう何をしゃべっているのかわからない父親と妻を抱えて疲労困憊だったと翌日聞いた。
主人は、親戚のお兄ちゃんの手を借り、義父とわたしをタクシーに放り込みなんとか帰ってきたそうだ。
その姿を、初めて会った親戚はどんな気持ちで見ていたのだろう。
家に帰ってから、何度もリバースしているわたしを見て義姉は妊娠したと思ったらしい。
翌朝「おめでとう!」と言われ、なんのことか分からずに、力を振り絞り「ありがとう…」と答え眠りについた。
目が覚めたあと、誤解を解くのにどれだけ大変かも知らずに。
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乾杯の言葉は、わたしにとってドキドキする魔法の呪文。
大好きなビールと、楽しい雰囲気、気の置けない仲間がいれば最高!
どんな嫌なことがあったって「乾杯!」が吹き飛ばしてくれるだろう。
今は、乾杯できる友人ができた。
台湾での居場所もできた。
心細さも孤独感もない。
あのころより、お酒は弱くなってしまったので、
自分にあった量を、時々ご褒美のように味わっている。
息子が生まれ、夜に飲みに行けない分、昼ビールで魔法の呪文を使っている。
「乾杯!」
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