「 #すずめの戸締まり 」感想〜新海誠作品を、次世代にお渡し申す!
新海誠最新作『すずめの戸締まり』見ました。
正直『君の名は』以前の新海誠作品はそこまで好きではなくて、新海作品評論ではなく、アニメde社会学的な話になりそうだと思っています。ご了承ください。
しかし、なんと見事な作品か、と。
『天気の子』で、当時風物詩(東京中心主義者め!)となりつつあった豪雨災害をモチーフとした大作を描いてからわずか3年。とうとう2011年3月11日の「あの」震災を新海が描いた!予想可能、回避不能の衝撃とはこのことだろう。
「震度4で警報なんて大げさなんだよ」「震度5強!瓦が落ちちゃったよ。やっぱり備えないとねぇ」という地に足の付いた日本人的な地震観から、グングンと地震(ミミズ)と、それ鎮める男系一族、そして要石というファンタジーに引き込んでいく段取りも見事だが、それを九州から東北へのロードムービーとして組み立てていく手腕!
圧倒的な筆致で描かれる都市の人々の生活と、同じく圧倒的スケールで描かれる震災の予兆。主題となった東北は当然として、かつて阪神大震災を被った神戸と、首都直下型地震が予想されている東京の大震災を回避しようとする前半の物語は、冷や汗すら浮かぶものだった。
そして物語は主人公の生まれ故郷、地震と津波ですべてを攫われた東北の太平洋沿岸へと移るわけだが、先述のようにロードムービーとしての組み立てが極めて見事。
四国で出会う同い年のチカは、家族経営の民宿の子。同世代の友達に飢えている様子。
神戸に連れて行ってくれたルミさんは、二児のシングルマザーで、バーのママ。
当のすずめも、物心ついたときからシングルマザーの子であり、震災以降は叔母の環を保護者として育ってきた子。
草太も祖父のことを「育ての親」と言っている。
そして、それらを「闇深けぇ~」と距離を置きつつ、友人と見知らぬ少女のために迷いなく東京から岩手までオンボロのスポーツカーを走らせる漢・芹澤。
世界には様々な事情を抱えながら、袖振り合うだけでこれだけの善意をくれる人たちがいる。そういう希望の物語として組み立てられている。
しかし同時に、10年という時間を密接に過ごせば、環がすずめに抱いたような「私の人生を返せ!」という危険な負の感情を、当然抱きもする。
だが「それだけじゃない」のだ。心配の裏に愛がある。後悔の裏に愛着がある。……忘れたい過去に、全てを貰っていることだってある。
"多様性"という言葉が教条的主義者の金棒となって久しいが、日本を南北に数百キロ走るだけで、これだけの人々がいて、きっと基本的に善意を振りまいているけれど、真逆にも見える思いを同時に抱えたりすることだってあるのだ、ということを示す物語になっていて、舌を巻かざるを得ない。
そして、ここからは世代論なのだが……
私の観測範囲の話で恐縮だが、『天気の子』は"ゼロ年代の葬式"だった。
アールグレイ氏のブログが記録的なバズを記録したのには正直ビビった。
私がオタクに傾倒し始めたのはゼロ年代も後半だったのと、諸々の事情から恥ずかしながらPS2版『天気の子』を始めとしたエロゲー文化には馴染みがないのだが、『最終兵器彼女』などを通してセカイ系的な雰囲気を感じていた人間として、『天気の子』に一種の"精算"を感じたのは紛れもない事実だった。
「この世界は最初から、どこか壊れていたのかもしれない」というあの物語の結論は、ゼロ年代に思春期を過ごした人間……物心付いたころには冷戦が終わり、バブルが弾けて、目指すべき"大きな物語"を持たずに育った人間の共通認識のようにも思う。
99年に放送された某アニメの主題歌のサビ「無限大な夢のあとの何もない世の中じゃ」というフレーズが、ゼロ年代を象徴するニコニコ動画の"弾幕"となったのも偶然ではないだろう、と思う。筆者もこれを聞くと元気が出る。
しかしそこから3年経って、『すずめの戸締まり』である。
もちろん『天気の子』も、災害をテーマとする以上、3.11以降の世情を反映する物語ではあった。だが、『すずめ』はかなりストレートに、「あの震災を幼心に体験した・見ていた少年少女」を向いた物語のように思う。
「生きるか死ぬかなんて、運でしか無い」と冒頭から語って見せるすずめの物悲しさと、「人の生は常に隣合わせであることは知っているが、あと一年、一日、一刻でいい、生きながらえさせてくれ」(うろ覚え)と唱える草太の祝詞。物語の最初と最後の二つのセリフは、災害がもたらした無常観と、世界にあふれる人々の善意とその尊さを、それぞれ吐露したものなのだと思う。
更にクライマックス、『君の名は』のタイムトラベル要素を回収するかのように、時空の溶け合った「常世」ですずめは幼少期の自分に出会う。
そして全てを思い出したすずめは「最初から、全部貰っていたんだ」と悟るのだ。
筆者にはそれが、すずめと同じ時代を過ごした少年少女に向けた愛と祈りのメッセージに思えてならない。
震災から12年。当時の出来事にトラウマを抱えているかもしれない。大人から見れば、鬱屈とした時代を過ごさせてしまったかもしれない。
でもきっと、君の人生に必要なものはすぐそばに転がっているはずだし、人々と協働して何かを築いていって欲しい。
そういう世代間への贖罪と祈り、バトンパスの物語なのではないか。そう見えた。
実は、これが単なる感傷ではないという自信は、ちょっとだけある。
『ルージュの伝言』である。
言うまでもないが、『ルージュの伝言』といえば宮崎駿の代表作『魔女の宅急便』のテーマソングと言っても過言ではない歌だ。再び世代論だが、筆者は幼い頃に『魔女の宅急便』のレーザーディスクをめちゃくちゃ見ていて、それはもう記憶に残っている。
そんな曲を、堂々と劇中歌として使ってみせたのである。RADWINPSぶっぱに見せかけて、ユーミンを出し切るパヤオピンポイント対策だ。
思えば、冒頭に登場する棄てられた温泉街の描写もかなり『千と千尋の神隠し』オマージュに見える。
アニメ畑では誰も試みていなかった、パヤオのオキニ曲の簒奪。その挑戦的な態度に、新しい時代=本作が持つ若い世代へのメッセージを見出したくなるのは、考え過ぎではないと思いたい。
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