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「シン・ウルトラマン」感想~令和にそんな浪漫を語って良いのか、樋口真嗣

浪漫というのはね
無力感を前に諦めないことを言うと

思うんですよ

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「シン・ウルトラマン」、最高でした。

絵面もスートリーもいささか趣味的で、シン・ゴジラのような「世間的大ヒット」にはならないだろう、というのも正直な印象ではあります。

しかし! 今この世に、ここまでストレートに宇宙の浪漫を語れる作品があろうか!
夜中にふと星空を見上げて、ちょっとでも感傷に浸ったことのある人間であれば、絶対に見るべき作品です!


さて。こっから先はネタバレです。

「ネタバレ踏むのはお前が悪い」私の好きな言葉です。






先述したように、シン・ウルトラマンはかなりフェティッシュな作品です。
シン・ゴジラのようにリアルな雰囲気を見せたかと思えば、神永さんは単独で子供を助けに行くし、ザラブが叩きつけられた高層ビルに居た人間の安否は語られず、リアリティラインの管理は割とガバガバです。

しかし、
「なぜ禍威獣は日本ばかりに来るのか」
「なぜ宇宙人(外星人)は地球を狙うのか」
という「ウルトラマンのツッコミどころ」には極めて誠実に応えています。

・最初の禍威獣は先史文明の遺跡を刺激して出てきた
・それに便乗してメフィラスが光の戦士の介入を誘うため、生体兵器を投入した
・ウルトラマンがそれら生体兵器に対抗する過程で、地球人類六十億がベーターシステム(巨大化・単一原子構成化による破壊不可能性の獲得)に適応可能な生体兵器牧場であることが全宇宙に知れ渡った

このへんの設定が開示された時点で令和の「ウルトラマン」リブート作品としてはとりあえず百点だと思うんですが、話はここで終わりません。

これを踏まえてシン・メフィラスは、嬉々として地球人類保護のための方策を申し出てくるわけです。良くも悪くも我々人類を愛してくれていたのでしょう。小さく幼い地球人とその星が、粗暴な外星人に荒らされないための、次善策を提案してくれます。

しかしそれは地球人を家畜として繁栄させるための施策であり、人類の自主的な繁栄を否定するものだったわけです。
メフィラスは言います。人類をメフィラスの保護下に置くため、人類には無力感を植え付けなければいけないと。

システム「ゼットン」も同じです。
知性なき暴力である禍威獣、暴力をちらつかせる知性であるザラブ、非暴力でありながら悪辣なメフィラス。
それらを乗り越えた人類に、「ゼットン」は常識はずれの暴力で、「知らないまま死んでいくのがせめてもの救い」と言わしめるほどの、人類に無比なる無力感を叩きつけます。

圧倒的な暴力と科学力を前にした無力感によって、人類はストゼロを飲むくらいしかなくなるわけです。(ストゼロのロン缶を五本とか買ってくるのマジで何も考えてない感じでいいよね)

シン・ウルトラマンは、大宇宙の途方もなさを目の前にした人類につきつけられる、無力感の話と捉えることもできるかもしれません。


でもでもでも、禍特対は諦めずに立ち向かうんですよね。「ウルトラマンと僕らは、持ちつ持たれつじゃあないか!」という原作のセリフよろしく。
振り返ってみれば、公安のペーパー主義と追跡用インクがザラブの電子的改竄能力を乗り越え、残り香というアナログ的信号がメフィラスの裏をかき、人類は実は、ウルトラマンと共に人類的な知恵によって外星人の侵略から地球を守っていた。

そして、あのキャッチコピーを思い出すわけです。


「空想と浪漫。そして、友情」


「浪漫」という言葉と概念が、漠然とした楽観的な姿勢ではない、挑戦と超克を示すワードとして、物語の縦糸として編み込まれているのが「シン・ウルトラマン」という物語なのです。

ある日人類に、誰も想像していなかったような脅威が襲いかかる。
きっとその時、人類は驚きと無力感に襲われる。しかし、それすらも人類は超えていけるのではないか。脅威に立ち向かう姿を見せることで、心を打たれた誰かが手を差し伸べてくれるかもしれない。

そういった想像力を指して「浪漫」と言い直したのが、「シン・ウルトラマン」なのではないか。「人類をナメるな」というやつだ。

そしてその想像力の射程を、この現代において「外星人の存在」という途方もない距離で大真面目に描いた「シン・ウルトラマン」を、褒め称えて、祝祭としたい。
「地球を狙う宇宙人」という手垢の付いた題材に真摯に向き合い、現実に援用可能な射程を持つ希望の物語を見せてくれたことに、今は感謝しかない。

ザラブもメフィラスもゼットンも、人類に絶望を与え、人類はそれに妥協してしまいそうになる。しかしそれを良しとしないのがウルトラマンであり、禍特対の面々なのだ。
正確には、諦めない禍特対と、それに感化されたウルトラマンと表現すべきだろうか。そしてその精神の共鳴は「友情」と表現しても差し支えないだろう。
ストレートなキャッチコピーを、鑑賞後に再解釈すれば

「マルチバースという『空想』の壮大なスケールを超えて結ばれた『友情』が、圧倒的な『浪漫』を描き出す」

といったところだろうか。

まさに我々はいま、ほんじつ、想像もしていなかった国際情勢や、ウイルスによる脅威に向き合っている。しかし、「シン・ウルトラマン」が語る想像力の射程……「大宇宙からやってきた敵にだって、力を合わせれば打ち勝てる」という希望があれば、これからも戦っていけるのではないか、と思ってしまうのだ。

ありがとう、樋口真嗣、庵野秀明。
そして、これまで全ての空想特撮に感謝を。

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