京大の研究室が辛すぎて、僕はよく青空を見上げていた
もしかしたらあのときの僕は病んでいたのかもしれない。
振り返るとそう思えるくらい、京都大学大学院での研究は大変な時間だった。
僕は運のいいことに、4回生で研究室に配属されてからずっと第一希望の研究室にいることができたのだが、その当時はとにかく辛かった。
何が辛いって何も生み出せないことだ。
やっている研究は世界で誰も行っていなくて、似たような過去の研究もほとんど見つからない。
まさしくゼロ→イチをしていくような研究室だった。
だからこそ個々の能力が大きく試される環境だった。
能力のない者は何も生み出せない。
能力のある者は次から次へと新しい成果を出す。
僕は前者だった。何もできないヤツだった。テストで良い点が取れる。それだけの人間だったのだ。
そしてそんなことに意味がないことは自分が1番分かっていた。世の中で大事なことは大抵、テストでいい点が取れることではなかった。
研究室では皆の前で進捗を報告する場が2、3ヶ月に1度あるのだが、何も生み出せていない僕はいつも辛かった。
皆の視線が痛かった。
進捗報告の前の1週間くらいは毎日のように0時を回ってまで研究をするのだが、もちろんうまくいかない。毎日2時や3時に帰る生活。そしてまた次の日の朝には研究をしなければいけなかった。
そうなってくると精神が疲れてくるのも当然だった。
研究室に行くのが嫌になり、研究室に行っても自販機の前のベンチで缶コーヒーを飲んでいた。
そして青空を見上げていた。
自分がどんなに辛い時でも青空はドンとそこにあった。
そんな青空に救われたかったのかもしれない。
青空を見ながら俺は何をしてるんだろう。そんなことをいつも思っていた。
転機が訪れたのは最後の1年だった。院2回生。
院2回生の春に1つだけ成果を出すことができた。
なぜうまくいったのか。就職活動を経て少し大人になったからなのか。その理由は分からないが、その成功がブレークスルーにつながった。
そこからの僕は最初の2年間がまるで嘘みたいに、研究室に没頭した。
そして成果を出し続けた。
今こうして振り返ってみると、あの時期があったからこそ今の自分があると思える。
研究が全く進まず辛い時でも最後まで諦めなかった。逃げ出さなかった。
その結果、研究で成果を出せるようになった。研究で成果を出す楽しさを知った。
そして、仕事を楽に行えるだけの力と、強靭な精神力を身につけることができた。京都大学大学院で身につけた力は仕事を楽にこなすには十分過ぎるほどの力だった。
人生の中のドン底のような時期を必死に生きた証が、こうして今も僕の中に残っている。
そしてそれが、これから生きる人生の糧となっている。
だからこそ、これからの人生を歩んでゆく自分のことを、信じることができるのだ。
読んでいただきありがとうございます。