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ロシア文化を否定してはいけない理由

こんにちは。ringodonです。今回はロシア文化を否定してはいけない理由を解説します。

前、ロシア文化は否定されるべきだと言う記事を見たことがあったり、ロシア文化を侮辱している投稿を見たことがあります。このような投稿は炎上したり反発を招くことになるので、特定の文化を否定するような投稿は絶対してはいけません。この記事にウクライナ侵攻や戦争を支持する意図は一切ありません。また、特定の国家や宗教、文化を否定したり批判したりする意図は一切ありません。

前置きは以上です。ぜひ最後までご覧ください。


前提として


世界常識の一つとして色々な国の文化を尊重することが挙げられます。文化を尊重し合うと言うのは世界の常識中の常識であり、いかなる文化も否定してはいけません。

文化というものは人々が長い時間をかけて築き上げたものです。時には苦難があってもたくさんの人の努力によって築き上げられたものです。そんな文化を否定するなんて非常識としか言えませんし、ありえません。文化に優劣も上下もありません。どの文化も素晴らしいものです。

ロシア文化とはロシアの人達が長い時間をかけて築き上げたもの


ロシア文化だって同じ。人々が時には苦難があっても長い時間をかけて築き上げたものです。赤の広場だって、クレムリンだって、玉ねぎ頭の教会だって、たくさんの人の努力によって完成したものです。その文化をたくさんの人が守っていったから今のロシア文化があります。

ロシア文化を否定するということはクレムリンなどのロシアの建築物、ロシアの人達を否定することと変わりません。ロシア文化に限らずどの国の文化も否定してはいけません。苦難があっても築き上げてきたものだからです。


モスクワシティ
モスクワのクレムリン
ノヴゴロドのクレムリン

ロシア文化が証明してきたこと


どのような国家遺産であれ、外部からの暴力から保護される必要があることは明らかだが、ロシア文化は自力で立ち上がることができることを繰り返し証明してきた。

翻訳元 https://rg.ru/2024/04/02/shvydkoj-my-ne-otmeniali-v-rossii-kulturu-nedruzhestvennyh-nam-stran.html


1240年、キーウ(キエフ)をモンゴルに占領されたことで、キエフルーシ(Kiev Rus’)は滅亡しました。その際、現在のロシア方面に逃げてきた人はモンゴルによる支配に抵抗し続けていました。ロシアの人達は、モスクワをモンゴルに抵抗する中心地として、努力を続け、1480年に完全独立を達成することができました。

1941年、ナ○スにより侵攻された際も、男女問わずソ連中の人は国を守るため、必死に戦い、冬の寒さもあってか、1945年、ロシアはドイツに勝利することができました。

ロシアは昔、外部からの侵攻を何度も受けていきましたがそのほとんどを撃退することができました。ロシア文化はいつでも何度でも立ち上がって行けることを証明しているのです。


ロシア文化やロシア語を捨てる必要は一切ありません。むしろプーチンの野蛮なプロパガンダと戦うために呼びかけられるべきです。

最後に


どの文化も素晴らしいものです。だからこそ特定の文化を否定さないようにしたいものですね。また、今回写真で紹介された建物たちは後日記事にして紹介する予定です。ぜひお楽しみに!それではまた次回!

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