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ケルン大聖堂とは?歴史も解説!

こんにちは。ringodonです。今回はケルン大聖堂についてお伝えします。ぜひ最後までご覧ください。

ケルン大聖堂の基本情報


ドイツのケルンにある世界最大級のゴシック建築物です。壮麗な建築と歴史深さが特徴的です。そんなケルン大聖堂は長い歴史の中で変化していきました。

基本情報は以下の通りです。

  • 高さ157m

  • 正面の幅61m

  • 1996年に世界文化遺産に登録された

ちなみにケルン大聖堂は、建設当時エジプトのピラミッドを超えて建造物として世界一の高さを誇っていました。これはとても驚きですよね。

ケルン大聖堂の歴史


最初にケルン大聖堂が建てられたのは4世紀ごろです。その後建て直され、818年に完成しました。12世紀後半に東方三博士の聖遺物が置かれたことで多くの巡礼者を集め、ケルンの発展に貢献しました。しかし、1248年に火災で消失してしまいました。

同年には礎石が据えられて3代目の建設が始まりました。しかし、16世紀に入って財政難のため工事が中断されました。1320年に内陣は完成していたため、教会としての役割は果たしていました。

ナポレオン戦争の影響によりドイツでナショナリズムの動きが高くなる中、中世ドイツに自民族の伝統を探し求める動きが強まりました。建築ではゴシック・リヴァイヴァルの流れが強まり、建設途中であったケルン大聖堂に注目が集まりました。しかも、偶然ケルン大聖堂の設計図も見つかり、1842年に建設が再開され、もうひとつの塔の完成が急がれました。かつて、「皇帝の鐘」と称される鐘が南塔に取り付けられていました。しかし、第一次世界大戦の際に接収され、溶かして武器の生産にあてられてしまいました。

大聖堂は第二次世界大戦時のケルンへの英米軍の空襲で14発の直撃弾を受けました。内部は激しく破壊されたものの全体は崩れなかったため、1956年まで復旧工事が行われ、元の状態に復元されました。この際に周囲の廃墟から再利用した粗悪なレンガで復旧された部分がありましたが、1990年代から空襲前の外観に戻す作業が始まっています。

なぜ建設に632年もかかった?


ここまで読んだ皆さんは「なぜ建設に632年もかかったの?」と思うかもしれません。それには以下の理由が挙げられます。

  • 大規模な工事のため、多くの資金と工期が必要だから

  • 当時のドイツ国内は小さな国が争う状態が続いていて情勢が不安定だったため建設どころではなかった

  • そもそも設計図が行方不明だった

まず、「大規模な工事のため、多くの資金と工期が必要だから」についてです。あれほど大きな建物を建築するにはそりゃ大量の資金と長い工期が必要になりますよね。その上、当時のドイツ国内は情勢が不安定だったことや設計図が行方不明だったことも踏まえるとこれほど長い工期がかかったのも納得できるのではないでしょうか。

当時のドイツは情勢が不安定だったからケルン大聖堂の建設なんてしている暇はなかったのです。それだけでなく設計図がないとなると建設はできません。

その後、ドイツ国内の情勢は安定し、多くの芸術家の協力もあり、1880年に完成しました。

ケルン大聖堂について思っていること


ケルン大聖堂、美しいですよね。

ケルン大聖堂を上から見てみると、綺麗な十字架を描いていることがわかります。これは、ケルン大聖堂の特徴でありゴシック建築の特徴です。

まず、外部も内部も美しいです。特に夜のライトアップされた様子はいつまでも見たくなります。

あれほどの時間がかかってもケルン大聖堂が完成できたというのがすごいです。たとえ情勢が不安定でもケルン大聖堂を建設したという気持ちは当時の人にもあったに違いありません。

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