003.アジアカップバーレーン戦 小野伸二の声について思ったこと
だぞーんでしか見れないってので、登録しました。正規のルートで会員になろうとしたら、ページの更新を連打するようなバグが続き、どうしょうもないので、大して興味もない、DMMとのセットプランで、だぞーんの一員になりましたよ。アジアカップ見終えたらさよならですけど。
小野伸二の声が悪い件
さて、小野伸二についてです。枯れてます。聞き苦しいです。この件について、note3発目に書こうと思います。
全く声がコントロール化にあらず。彼の代名詞とも言えるボールコントロール、トラップに置き換えて言えば、3メートルくらい離れてるような。それはもはやトラップではない。
小野伸二氏は私の三歳上なので、デビューから活躍までリアルタイムで眺めていました。別段好きな選手だったかと言えばそうでもない。デビュー間もないレッズの頃のプレーとか、世界で準優勝になったときのプレーなどは好きでしたが、その後は特に。其の話はおいといて、声についてです。
声に悩んだ過去があるからわかること
私は声について、かなり悩んできて今に至ってます。10代の頃は全くでない。出そうと思うとかすれる。当てたいキーに当たらない。すぐに疲れたような状態になる。喉が詰まったような感じで、それで出そうとするので、つっかえてしまうような感じになる。
そんな時代を経て、今、どうかと言えば、よっぽどストレスフルな状態とか、よっぽど全身が硬直するような状況とか、よっぽど声帯にとって不自然な訓練を課さない以外は、大して問題を抱えていません。声がどーたら、何も意識することなく、口から外に飛び出て、相手の耳にきちんと着陸させられます。
昨日の小野伸二はどうだったでしょうか。私は耳はかなり良いほうです。はっきり言って、よおく聞き耳をたてて、更には文脈を補足しなければ、言葉自体、単語自体は不明瞭、躓くし、聞き心地も悪しです。これは彼のサッカーの実績とか一切関係なく、純粋な事実を述べています。
小野伸二は昔からそうだった
でこれは何も今に始まったことじゃありません。
高校時代のインタビューとか、トルシエ時代のドキュメンタリー映像なんか見ても、似たような感じです。私の耳からして、「良い」とは言い難い。私は明確に悩んでいたので、彼のプレー以上にそこに着眼していた記憶があります。別に良いのかなーと。
で、久々に、昨日の内容を見て、結果だけ見るとなんにもやってないんだなと確信しました。
トルシエ時代のワールドカップのドキュメンタリーの中で、控室やらどこやらで、彼が歌うシーンが頻繁に見られます。あーいうのが良くないのです。簡単に言うと喉だけで音を出している。あーいうのではなく、キチガイのように裏声混じりで奇声をあげる、100メートル先までうるさいような奇声を出すような習慣があれば、間違いなく、昨日のような声にはなってないはずです。小さな声でコントロールする弊害、を見事に体現していました。
私は特に声帯について専門的な知識もないし、熱心にボイストレーニングを受けたこともないです。自分で考え、自分で解決しました。その際、気付きを得るきっかけとしては、ある図書館の女性の声でした。 一人の中年の女性は、聞き心地が良い。イメージとしては、口から矢がしゅぱっと飛んでいるように声を出していました。しかし、もう一人の若い女子は、図書館内であることを意識してかなんなのか、口の周りにスプレーがしゅっと辛うじて散布されてる程度の声圧で話しをし、更にはその声質も、なんだか心地の悪いものを出していました。
顔の美しさで言えば、中年女性の数段上を言っているだけに、残念な光景として、印象的でした。これは果たして持ってうまれた声帯の違いなのか? 普通にやってしまっていること、の差なだけじゃないのかと思ったのです。
独自にやっている習慣
それから、私は、どんなに大声を出しても許される空間にて、声を出すようにしました。紆余曲折は省きますが、自分が出せる最高音、裏声的になってもよい。それを絶叫する。例えば、 ボンジョビの、livin’ on a prayerのサビ、私にとっては、表で出すのは非常にきつい音域です。それを裏も交えて絶叫する。こういったことを週何回か、おつかいの買い物にいく車内で繰り返しています。
そうすると何が変わるかと言うと、出したいピッチ、自分の感情に合わせて当てたい音程に自然に当たるようになります。なぜなら、ボンジョビのサビほどに「あげて出したいピッチ」なんか、そもそもないわけでして、余裕を持って、普通の会話の中の感情を出せるわけです。
「え、マジで!」と驚いたときは、やはり私の感情的基準で言えば、自然と、ピッチは上げたいです。「ま」は結構上げたい所。今は何も考えてないですが、上げたいはずです。そのときに、小さな声、音程も上下しない感じでしか普段声を出してなければ、そこに至らないというか、無理が生じて、変な感じになる。
それから、蚊の泣くような裏声ではなく、となりでやられたら耳潰れますわ的な裏声絶叫をやっていると、声帯が良い感じの筋トレをしているような感覚があります。ぴゅっと閉まるような。専門的なことは一切、知りませんが、体感として、これをやっておくと、普段の会話において声がどーたらと困ることがなくなった点は私の事実です。
まとめ
小野伸二は素晴らしい選手であり、着眼点も面白いでしょう。しかし、今後も解説者をするのであれば、あの声だと流石に不満に思う人も増えてくるんじゃなかろうか。ちなみに私は、2択があるのなら、小野以外を選ぶとおもいます。