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インターネットの今を悲しむよりも前を向きたい
スマホアプリで、polca(ポルカ)というサービスがリリースになりました。
これは、簡単に言えば「今度○○ちゃんの誕生日を祝いたいのだけど、みんなで300円ずつ集めてプレゼントを買おうよ」みたいな、僕らが生活をしていく中でごく当たり前に起こっている会話を、インターネット上でもやれちゃうよ、という話です。
用途だけ説明すると、「なんだ、クラウドファンディング(インターネット上で資金を募るサービスのこと)か」と思う人もいるでしょうが、今日お話ししたいのは「こんな便利なサービスがリリースされたんだー! ひゃっほー! うんこー!」という宣伝みたいなことではなく、こういったサービスが生まれた背景についてなのですが、とはいえサービスのことを説明しないとわけがわからないと思いますのでちょっと解説します。
とりあえず早速アプリをダウンロードし、どんな感じなのか試してみました。
まず、こんな感じで何をしたいかタイトルを考えます。僕は切実な悩みを起案することにしました。写真も入れます。
すると「目標金額」「お返し」「お礼メッセージ」というのが出てきました。「目標金額」はこの企画で集めたいお金の合計金額、「お返し」はお金をくれた人へのお返し、「お礼メッセージ」はお金をくれた人に対するメッセージを入れる。
こんな感じで入れます。ひとり300円集めることになるので、10人集まったら達成ですね。その10人には、お礼のお手紙をあげることにしました。
以上です。
これでページが作られ、誰でもお金を入れられる「箱」ができました。支援(お金を払う)側も超簡単で、クレジットカード情報だけあればすぐに入金できます。なんか簡単すぎて本当にできたのか不安になるレベル。
クラウドファンディングと何が違うのか
何かのプロジェクトをやるために、インターネット上で主旨を説明し、共感してもらえる人から資金を集めることが僕のクラウドファンディングのざっくり理解ですが、polcaはフレンドファンディングと呼ばれている通り、もっと距離の近いサービスだと思います。
従来のクラウドファンディングですと「地産野菜を使った農家レストランを作りたい」「廃校になった学校をリフォームしてクリエイターのワークスペースを作りたい」などプロジェクトも目標金額も大きいイメージでした。
僕も過去に、クラウドファンディングを使って自分のねぷたを作るプロジェクトを企画しました。
https://faavo.jp/tsugarushirakami/project/1391
クラウドファンディングではなぜそれをやりたいのかという企画書の想いや、やりたいことが面白そうかが大切で、いかにその内容に共感できるかが論点のように思っておりましたので、僕も文章を書くのにとても時間を費やし、どういったリターン品をお返ししようかを悩むに悩んで記事を公開しました。
(みなさんのおかげで無事達成、遂行できました!ありがとうございます!)
一方で、polcaは本文を書く機能がそもそもなく、「高校を卒業するからライブをやりたい」「みんなでレンタカーを借りて湘南にドライブに行きたい」など、「勝手にやれよ!」とツッコミたくなるような企画がとても多いのです。
だけど、この「勝手にやれよ!」と思う気持ちにこれからのインターネットの本質が隠れているような気がしているのです。
「炎上」が取り沙汰される毎日、みんなひっそり息を潜めている
polca創業者の家入一真さんがSNSで書いてたことなんですが、
距離も時間も国境も超えて個人が繋がれる世界がインターネットによって実現したことは喜ばしいのだけど、一方で多発する炎上を見てると「人と人はわかりあえない」という事実が明確になってしまったのも側面としてあるなと思っています。
これは本当にそうだなと思ってしまいまして。
どんどん便利になっていくインターネットで、誰もが同じようにコミュニケーションを取れるようになっているわけだけど、そこには「匿名性」が常にあって、主張というよりも一方的な暴言、全く関係のない他人のスキャンダルに鬼の首を取ったように叩くなど、対面していれば決して起きないような事象が続いています。これについては何が悪いなんて言うつもりはないんだけど、単純に思いやりに欠けるというか、人と人のやりとりとして破綻しているなと思うばかりです。
僕はこんな格好をして相当のビビリでして、普段SNSを投稿している時も言い方が失礼じゃないかとか、ご迷惑をおかけしないかなどハァハァしながらスマホを握っております。自分の知らない誰かに出会えることに魅了されたインターネットライフだったのに、どこで誰が見ているかわからない暗黒の世界に怯えていることが情けなく、残念になってしまいました。
「嫌なら見なければいい」と言ったことがある、言われたことがある人はたくさんいると思います。だけど、自分だけが見なくても自分の友達がそれを見ていることなどを考えると簡単にはいかないなぁ、と思いませんか。
こういった状況はもう、ずっと続いていくのだと思います。だからこそ、自分たちのインターネットライフを守っていくために、自分のことは自分で守らないとと思うようになりますが、それにより個性が失われていくことも不毛だなぁと思うわけです。
広いインターネットに自分たちだけの部屋を作る
polcaで作られた企画は、自分で拡散をしなければ広がっていきません。つまり、仲間内だけにしか知られたくない企画はSNSで拡散せず、LINEなどで教えてあげればいいのです(設定できる目標金額は100,000円までと制限あり)。宇宙のように広がるインターネットに、参加してほしい人だけに届けるサービス。矛盾しているようにも聞こえますが、僕は今後こういったサービスが自分らしさを失わずにインターネットを楽しめるツールになり得ると思うのです。
「知らない人にこう思われたらどうしよう」なんてことを考えずに、「分かってくれる人とワクワクしながら企画したい」という気持ちに専念できる。当たり前のようなことですが、それを許さない現在のインターネット社会の中で、こういったサービスが生まれてくれることに助けられる人はいるはずです。
こういったサービスをどう受け止めるか。インターネットは使う側の手腕を問われている
従来のインターネットサービスであれば、「○○ちゃんの誕生日プレゼントを買いたい」という企画が出たら「そんなものは自分で買え」「人にお金をせびるなんて甘え」なんてコメントが出てきたかもしれません。
例えば、部長の誕生日プレゼントを買うといった「人から資金を集めなくても物理的にはできること」に対して、傍観者であっても不快感を持つ人もいるかもしれません。だけど、それはみんなからお金を集めることに意味があるという見え方もできませんか。
これが、「彼女にクリスマスプレゼントを買いたい」とかだと「おまえ、もっとバイト頑張れよ」と思うかもしれませんが。でもそんな企画があったとしても、あははと笑い話にできるような優しい世界があってもいいなぁと思うのです。
polcaのような個人と個人で成り立つ小さなコミュニティも必要ですが、願わくば「誰にでも共感されるような内容しかインターネットには置いちゃいけない」というもっさりした(僕の)固定概念が消え、思いやりのあるインターネット社会ができるといいなぁ。
とはいえ、たまには愚痴も吐きたくなるので、それは鍵のかかった部屋で信頼できる仲間とすることにします。
おわり。