みんなコロス
川崎へ、観客として観に行く予定だったお芝居のスタッフとして参加してきました。ジンをしこたま飲んだ夜の翌朝だったので、眠かった。
本来ならスタッフとして行く予定だった父が体調不良になってしまったので、代わりに行くことになりました。
でも、おかげで緊張感のある劇場の空気や綺麗な色の光を浴びて、疲労と共に特殊な感動をたっぷりと抱えて帰ってくることができました。なんというか、単に公演が素晴らしかったというよりも、演劇という奇妙な文化活動を古代から現在に至るまで細く長く続けてきた人類の歴史を、数十時間という短い時間の中で体感することができた週末でした。
この感動は少し思い返せば簡単に溢れてしまいそうで、それを押し殺すためなのか、今も胸に小さな痛みを感じています(なんかやたらに情緒的な文章になるのは、文字に残すには早すぎるからなのかも知れません、でも諦めずに書いてみます)。
13歳で初めて市民劇団の小さな舞台に立ったとき、自分は”コロス”という、物騒な名前の役を与えられました。それは古代ギリシャの時代からある役で、現在の”コーラス”の語源になっているそうですが、自分はそれを周りの人に説明できる自信がなくて、どんな芝居に出ているかということを今でも人に言えずにいます。
”コロス”とは(現在の僕の解釈で言うと)、舞台の上にいて、役者と観客の間に立つ役です。役者がおかしなことをしたら率先して笑い、悲しい場では涙を流し、説明不足な展開には解説を加えたり、楽器を鳴らしながら歌ったりすることもあります。
正直言って面倒な役です。特定の役になりきることをせず、いつも役者と観客の間に立ち、相互の理解が深まるような行為を選択する必要があります。強いて言えば、”そのとき吹いている風”を演じているようなイメージです。
コロスとして舞台に立つときは、「お前は何者なんだ」と言う訝しげな視線に晒されることになります。当の自分もそう思っています。”コロス”は属性であって個別の名前ではない(と僕は思っている)ので、舞台上では無名であり、役割だけが与えられている状態でした。
誰かが光り輝いたり、暗黒の中にいるとき、自分はそれを誰として受け止め、応答するべきなのか、全くわかりませんでした。演出家からも具体的な指示はなかったように思います。
ただ一つだけ気を付けていたことは、他者に入り込みすぎてはいけない、ということでした。喜びや悲しみは当事者が背負っているのだから、自分が主人公のように背負ってしまったら物語が壊れてしまう、というようなことを思い、それを実践しようとしてきました。
そしてそれは現在までの人との付き合い方にも影響しているような気がします。
ただ、あまりにも演者のエネルギーが乏しいときには、コロスが彼らの魂を支え、添え木のような役割を果たす場面があっても良い、というようなことを思うようになってきました。場面の途中、コロスの歌声によって主人公のエネルギーの質が変化する、というのが見えると、結構感動的だったりします。
とはいえ、自分はまだそう言った積極的なコロスのあり方を模索しており、消極的な方に行きがちだと感じています。
例えば、古典の「方丈記」や「平家物語」を読むとき、彼らは消極的コロスだ、と思うことがあります。
もっというと、以前は血の気が多く揺らいでいたはずの魂が、逃れられない死や破滅を前にして己の無力を悟り、コロスとなることにした、というような、ユーモアのあるさみしさを感じます。
演劇というのは走馬灯のようなもので、眩いほどの照明が当てられていた誰かの人生も、数時間後には舞台もろともばらばらに破壊され、のっぺりとした平らな空間に還っていきます。ここには仏教用語の”無常”があり、儚さとさみしさがあります。
この儚さやさみしさの質については、悲劇のコロスを演じ終えた古代ギリシャの市民も、豊作を祈る舞を奉納する日本の農民も、初めて死者に花を供えて弔ったとされるネアンデルタール人も、もしかしたら同じだったのかもしれない、と思うことがあります。
彼らはみんな無名でしたが、ある日突然やってきた行き場のない苦しみに対して、演じるという行為で応戦し、そこから得た”教養”を糧にして、毎日を生き抜いていたのではないかと思います。
みんなそのとき、コロスを頑張っていたと思うのです。
今回の公演は、舞台上のもれなく全員がコロスとなり、主役がひとりもいない瞬間がありました。それがたまらなく愛おしかった。全員が平等に無名で、約束された栄誉もなく、照明が消えれば儚く死んでいく、ただの人であるということが、僕にはものすごく嬉しかったのです。
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