【番外編:わたしたちのりんご音楽祭】vol.12
「だんだん自分の聴く音楽がりんごに寄ってきたというか、やっと自分がりんごに追いついてきた感覚があったな」
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りんごに行きだしたのは、地元の長野に戻ってきてからだね。なんかやっぱり「長野代表」感があるじゃない? でも、自分が学生だった頃は、社会的にもこんなにHIPHOP流行ってなかったと思うんだよね。シティーポップもまだきてなかった。でも、りんごはその頃からそこにずっと向き合っていた気がしていて。だんだん自分の聴く音楽がりんごに寄ってきたというか、追いついてきた。その感覚はすごくあったな。
でも、地元の長野に帰ってきてからは「フェスって行くの大変だなー」と思ってた時期があって。いわゆる「都市型フェス」でも、長野市から行くにはアクセスが悪いんだよね。そう考えると、りんごは本当に行きやすい。りんごって「近い」フェスなんだよね。長野と松本が近いっていうのもあるけど、会場のアルプス公園と街も近い。
自分自身もだけど、社会全体の音楽の好みも変わってきてるのかな。「りんご音楽祭」のイメージも、7-8年前はまだ「音楽好きな人が集まる、コアなフェス」って感じで、まだ「みんなでりんご行こうよ」みたいな感覚がまだなかった。でも今は、「行けば誰かいる」フェスだし、「りんご行こうよ」って誰かを誘っても行けるフェス。りんごにやっと時代が追いついてきたっていうのは絶対あると思うんだよね。
それと同時に、「長野代表」っていう感覚も強くなった気がしていて。県外の人から言われるパターンも多いね。「長野といえばりんご音楽祭だよね」とか、「長野市は行ったことないけど、りんご音楽祭は行ったことあるよ」とか。コロナ前は、長野のフェス文化も結構バリエーションがあったんだけど、一旦中止になっちゃって。今年はやるのかなぁ。今はりんごが頭一つ抜けてる感覚があるね。
長野市で、同じ感じのフェスができるかって言ったらあんまりイメージがわかないんだよね。アルプス公園っていう会場があって、松本の街中にクラブとかライブハウスがあって、音楽好きの若い子たちがいて。そういう街の土壌があってこそのフェス。真似できないよね。簡単に作り上げられる場じゃないよなぁっていうのを感じる。
なんていうんだろうな、りんごは主催側の熱量が伝わってくるんだよね。機械的じゃないというか、「人」が動かしている感じ。「祭り」感があるよね。「音楽フェス」というより、「祭り」なんだよ。