「孤独」に「共感」がどう助けになるか?①
一人アウトプットフェス開催中。
「孤独」から「鬱」が始まると言われていたり、特に今のこの状況で「孤独」を感じている人も多いはず。
まさにわたしもまたロックダウンが厳しくなり、二家族で集まることも禁止命令が出た。やっと会えるようになった友人ともまた会えなくなったり。
家族がいたら孤独はないのでは?
ということでもないらしい。
「孤独は自分の周りに人が何人いるかということではない。家の中にたくさん人がいても、私たちは耐え難い孤独を感じたりする。」
と、サラは言う。
【サラ・ペイトン】
・対人神経生物学教育者
・コンステレーションファシリテーター(ドイツ人心理療法家バート・ヘリンガー氏が発展させたグループセラピー。世界で普及している心理療法。)
「共感言語がいかに脳に変容を起こすのか」
について世界中でさまざまなワークショップやトレーニングを提供するトレーナーで、アメリカとヨーロッパではNVCと対人神経生物学に関する本を出版している。(https://sarah2020.mystrikingly.com このサイトから少し抜粋)
サラのHP↓
今日は、神経科学からみる「孤独」と「NVC(共感)」がどんな風に助けになるか、サラのセッションをアウトプットしていきたいと思います。
サラの瞳とあらゆる表情がとてつもなくやさしい。。
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心臓に負担をかけるのは喫煙や栄養やお酒も原因ではあるんだけれど、
「孤独」はコルチゾールを上昇させてストレスを与えるため、喫煙などの他の要因よりも大きなダメージを与える。
さらに「孤独」は睡眠を妨げる。
「孤独」は自分自身に対して怒りを感じたり、自分のことを見下したりする。
そんな時、自分自身に「こうすべきだ」「ああすべきだ」と声をかけるんだけど、それは孤独には役に立たない。
たとえどれだけ孤独であっても、自分に対してあたたかみを持った慈しみの気持ちで、受け入れること。
孤独は自分の周りに人が何人いるかということではない。家の中にたくさん人がいても、私たちは耐え難い孤独を感じたりする。
孤独と繋がっているのは、
「わたしは見てもらえているか」
「わたしは知ってもらえているか」
という感覚。
わたしたちの身体はチェロいう楽器のよう。
誰かが悲しみを感じれば、
自分も共振して悲しみを共に感じる。
誰かが怒りを感じれば、
自分も共振して怒りを感じる。
ただ、これが、
相手が怒った時に、
わたしはそれが悲しかったり、
相手が悲しんでいる時に、
わたしはそれに対して怒りを覚えたり…
となったとき、二つの振動が衝突していることになる。
これは子供によくおこること。
でも大人はその感情をないことにしたり、
無視したり、
背を向けたり、
恥ずかしいことだと言ったりする。
「あなたはもう大きいだから泣くんじゃないの!」
「もう◯歳なんだからそんなことで泣かないの!」
と言うように。
すると、子供たちは自分の感情をシャットダウンをしてしまう。呼吸が浅くなったり、呼吸を止めることで感情をシャットダウンをする。
親も自分自身の感情を受け止めてもらえなかったので、自分自身の感情を感じることをとっくに辞めてしまっていて、誰かの感情に共振しないことも身につけてきた。
だから親は子供たちの感情のパワフルさに圧倒されることがあったり、それを修正しようとしたり、その感情を取り除こうとしたり、時には怒りをぶつけることもある。
このような対応が、子供たちのあとの人生で【人間関係をどう育むか】に影響を与える。
わたしたちの感情は、身体を通じて奏でられている音楽。
こうして身体を通して奏でられた感情という音楽は、誰にも受け止められないと「孤独」を感じる。
わたしたちはこれから出会う子供たちに対して、あたたかみを持った好奇心で彼らの感情と関わることができる。
彼らを通じて奏でられる音楽を聴いてあげる事ができる。
わたしたちと出会う子供たちは、より「孤独」を感じることが少なくなるでしょう。
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今日はココでストップ。
心当たりがありすぎませんか?
「もうそんなことで泣かんでええやん」
「何イライラしてんの?もっと楽しく過ごしたら?」
「そんなちっさいことで怒ってたら友達減るで。」
「男の子やのに泣いて恥ずかしくないん?笑われるで。」
今のわたしはもうほぼ言わない言葉やけど、やはり育ってきた環境から根強く残ってるものもあるし、たまにポロッと出てしまうことだってある。
大泣きしてるのを「大丈夫大丈夫」と必死で励まして泣き止まそうとしたり、あやしたりとかもあるよなぁ。でもそれって大人が感情をどう受け止めたらいいのかもわからないから、笑わせたり、お菓子で泣き止ませたり。(状況によってはわたしもするけれど。)
すごくシンプルで「かなしいー!」って泣いてたら、「悲しいんだねー」って受け止めてあげるだけなんやけど、そんなことしてきてもらってないもんね。
例えば、うちで言うと、
息子がゲームでイライラしている。時にはクッションボンボンして泣いてたりしている。
わたしに余裕がない時は、「もぉーうるさい。静かにして。そんな怒ってボンボンしてたらお母さんこわいねん。」と言う。(NVCを学んでいたとしても、無理はしない。)
すると、ますます「だってクリアできないからイライラするに決まってるだろぁーーーっ!!!」とうるささが倍増。笑
わたしに余裕がある時は(551のある時ない時みたいやな)、
「どーしたー?イライラしてんの?」
「イライラしてる!!」
「ゲームうまくいかへんの?」
「そう!!このステージが全然クリアできないのー!!」
「なるほど。そらイライラするわな。クリアしたいなぁ。」
「(・・・集中してゲームを続ける)」
みたいなパターンが多い。いつもではないけれど。
怒ってるなら、怒ってるだね。
イライラしてるなら、イライラしてるんだね。
悲しいなら、悲しいんだね。
4歳娘も、7歳の息子も、
受け止めた方が近道になることが多いかな。
最近はものすごいエネルギーでなく娘を尊敬と憧れの眼差しで、すげーーーと眺めている。
「感情は身体という楽器を通した音楽」
というサラの言葉がだいすきで、
わたしが怒って(余裕ないとき〜ね笑)
娘が泣いて、
息子がハラハラして、
夫が優しく宥めて、
みんなそれぞれの感情を奏でてる。
もうオーケストラやんか!笑
では、つづきはまた明日。
孤独は減っていく。
共鳴が脳を変えていく。
という内容を書いていきたいと思います。
感情に気づく、ハートフルな一日を♡
また明日ココで♡