こわくても、伝え合う大切さ。
前回のつづき。
わたしが勇気を出して伝えたこと。
それは、そんな過去のトラウマの話から、わたしは少し前に日記で書いたこと。
(↑この回、わたしが書いている中で一番閲覧数が多い… 300を超えている…)
以下、サラサラと話したことを書いているけれど、実際にはこれを話すのにすごくエネルギーを使ったし、どうやって伝えたらいいか、頭で考えながら、身体で感じながら、ひとつひとつ言葉にしていった。
「最近ね、ずっと考えていること、悩んでいることがあって…
NVCをしていると『無防備になる』って言うんだけど、
NVCをしている人たちに対してや、
リトリートの中ではわたしは、
好きなことは好きって言えるし、
イヤなことはイヤって言える、
嬉しいことは嬉しい、
悲しいことは悲しい、
辛いことは辛いとか、
苦しいことは苦しい、
助けて欲しいことは助けて欲しい、
って言えるの。
自分の内側を全部見せることができる、
自分を曝け出すことができる、
自分がそのままでいられる、
『無防備』になることができるの。
でもね、それが家ではできない…
そこに寂しさを感じたりしているんだけど、やっぱり一歩家に入ると、わたしは母であり、妻である、自分でもそのスイッチが入るのがわかる。
無防備になれないことにも、
『調和』とか
『配慮』とか、
『思いやり』とか、
『尊重』という大切なニーズがあるのね。
だから、最近は家の外に無防備になれる場所があれば、それでいいのかなって思い始めていて…
無防備になれないことに共感してくれる仲間がいたら、そこでは母でもなく、妻でもなく、ただの『人』になれたらそれでいいんじゃないかなって。
それはお互いさまでもあって、この間、弱音吐いていいよなんていらんねんって話してて、それに対して少し寂しさや悲しさはまだあるんだけど、きっとゴルフや飲み会の場で、父でも夫でもなく、わたしや家族の前では話せないことを話せたり、みんなに聞いてもらったりしてるのかなって。
そうやって考えていて、家ではお互い無防備になれないんだなって、わかったのね。でも、やっぱりそこにどこか寂しさを感じてしまう…
今のを聞いてどう思う…?」
「うーん、家でなんでもかんでも言えないとか、曝け出せないなんて、当たり前じゃない?だってどっちも言いたいこと全部言ってたら、崩壊でしょ。」
ウーン… それはそうなんだけど…
もう一歩踏み込んだことを話しているんだけど、うまく伝わっていない。。
伝える難しさを痛感。。
ただ、旦那がそうやって話す背景には、
「結婚は我慢」とか「結婚は努力」とか「我慢は美徳」とか、文化的に刷り込まれているのもあるなって感じた。
もちろん、我慢すること、努力することの根底には「愛」であったり、お互いへの「思いやり」があるんだけれど、わたしは「結婚は我慢」に少し違和感を感じていて、もっとクリエイティブな、一人と一人の人間が一緒になり、共に描いていくアートのような関係性を思い描いている。
(だからといって、アートのような関係がなんなのかは全くわからないけれど。。「結婚は我慢」という形を否定しているわけではなく、それもアートを描いているんだけど。。ハイ、もうわけわかめー。笑)
ということで、今回は、これらをうまく伝えられなかった。
でも話せたことが、小さいけれど大きな一歩。
そして、そのあと違う視点からの話を旦那さんがしてくれて、聞けてよかったって思うことがあった。
旦那も話しながらポンッと浮かんできたそう。
「どうして家ではすべてを曝け出せないのか?
外ではお客さんや取引先から罵声を浴びたり、本当に苦しいときも辛いときもたくさんたくさんある。
でもね、それを家族の前で辛い辛いって言ったり、泣いたりしていたら、
『お父さんはそんな辛い思いをして稼いでいるの?そんなお金で私たちは食べてるの?』
って思って欲しくない。
楽しくうれしい気持ちで食べて欲しいし、
楽しくうれしい気持ちで使って欲しい。
今、話しながら、あ、だから曝け出せないのかもって思ったよ。
その中でもやっぱり俺が一番曝け出しているは、お前の前じゃないかなー。
うん。そうだと思う。
本当にイライラしているときは愚痴るし、疲れた、しんどいとかも言うし、やっぱりみゆきの前が一番曝け出していると思うよ。」
え?最後はノロケ♡?笑
ノロケのつもりはないけれど、
これが聞けて本当によかったと思った。
そんなこともわかっていなくてごめんね。。
でも、やっぱり長く一緒にいても伝え合わないと、わからないことがお互いたくさんたくさんあるね。もちろん全部を伝え合わないといけないわけではないけれどね。
このやりとり、昭和の「麦畑」の令和バージョンで、めっちゃ現代風にオシャレにどなたか作曲して欲しい。笑
麦畑、オカンとオトン、いつもカラオケで二人で前に立って歌ってなぁ。
わたしら兄妹もみんな歌える一曲である。
麦畑はコレ↓吉幾三、最高やん。
話が逸れたけど、
やっぱり完璧ではなくても、こわくても、伝え合う大切さ、そこから生まれる新たな分かち合いを実感した出来事でした。
これからも、少しずつ、ゆっくりと。