【アウトプットを続けるか、どうか・・・】
昨日もめていた二人。
朝起きたら、父の気持ちが落ち着いたようで、父から歩み寄っていました。
仲直り♡
昨日は、父に物理的な距離と時間が必要だったみたい。
朝起きて「まだ怒ってるかな…まだお父さんと話せないのかな…仲直りしたいよ…」と言っていた息子も、父から話しかけてもらってすごくうれしそうでした。
謝られても受け入れられない時は、距離と時間に限る。
さて、仲直りした人たち、歩いて近所のサッカー場へ。
その途中で見つけた『セカンドハーベスト』という会社。旦那が前から気になっていたらしい。(わたしは基本アルファベットだとほぼ視界に入ってこないので気づかない笑 わたしが視界に入れるアルファベットは道路のサインくらい笑)ここの会社だけリモートのこの時期に駐車場は出勤の人でいっぱい。なぜ?
「たぶんセカンドハーベストだから食べ物が届かない人に届ける会社だと思う」
「そうなの???なぜそんなことがわかる??」
(わたしそういう単語からの想像力は皆無である…)
調べてみると、「寄付で成り立っている食料を届ける」会社?組織?でした。ほんまや、すごいやん。。
次から次へと入ってくる巨大なトラック。
各コンテナにスポンサーの名前。日産やサムスンなどなど。
【NEED FOOD?】と電話番号か書かれている。個人的に電話しても届くのだろうか?
「シリコンバレーの飢餓を終わらせる」的な文言も書かれてた。シリコンバレーの格差… AppleやGoogleで発展した街の代償は大きい…
裏側ではフォークリフトで次々とトラックに積むこまれていく。出来上がったごはん、あたたかいうちに届くといいな。それとも夏だし冷蔵かな。
旦那がどうしてこの会社が気になっていたかというと、知り合いに配るボランティアをしているらしい。素敵。
わたしも子育てが終わったらそういうのしたいかも。作るのは苦手だけど、配ることはできるぞ。このコロナの時期に食べ物にありつけなくなった人たちは多い。アメリカの失業者はとんでもない数。
セカンドハーベストのごはんを食べて、笑顔になる人たちを想像する。あたたかさともどかしさの両方で、胸がきゅぅ…っと締め付けられる。
最終的にはこういう組織がなくても、みんなに自然と行き渡る世界になったらいいな。
そして、その横のサッカー場で遊んでいました。
土地が広いっていいな。サッカー場もテニスコートもバスケットコートもお金がかからない。
腰痛のわたしは地味にこの横でストレッチをしていました。ボール蹴るってめっちゃ腰にくるぜー。ボールを蹴るって実はすごいことなんだぜー。
帰り道のサムスン巨大オフィス。コロナだけど少しだけ人が出勤していた。ロボットも見回りしていた。
この巨大オフィス、できて二年ほどでほぼ人がいない建物になってしまった。こんなにも土地が高いココで。
素朴な疑問。
どうして木の根っこの部分は草が生えないの?
芝はしょっちゅうカットされてるんだけど、この根っこの部分は抜いているような作業してる人は見たことがない。除草剤撒いてるんかな?
さて、ミキのアウトプットの続きもしようとしているんだけど、やっぱり、む、むずい。。。もう言葉一つ一つがわたしにはむずい。。
アウトプットできるほどわたしの知識が追いついていないし、この内容を難しい言葉抜きで伝える力もない。。(横文字や難しい言葉を使わないキンコン西野さんはやっぱりすごいと痛感している…)
もうやめとこかモード… 笑
というのは、わたしは、ワークショップを受けたあとすぐにnoteの下書きにこんなことを書いて保存していたのです↓
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ミキ・カシュタンのWSを受けるために、朝4時に起きた。
開催してくれた方々への大きな大きな感謝とお祝いの気持ちはありつつ、こんなことを書くことに申し訳なさもありつつ、、、自分の中で湧き起こったことを書きます。心地よくない思いをされる方がいたら、それはそれで申し訳ない気持ちもあるんだけど。。
(セッションの内容はまた録画がもらえたら、アウトプットしますね。)
わたしが感じたこと。
それは、やはりアクティビスト(活動家)の人たちがたくさん集まって、社会変革などのテーマについて話す場というのは、とても勉強になるし、刺激にもなるんだけれど、その一方で、わたしにはスケールが大きすぎて、言葉も難しく、理解できない部分も多く、ついていけないことがとても辛い時間になるんだなぁ…と。。
そんな活動をされているみなさんへのリスペクトの気持ちと共に、自分にはそんな大きなことでできない、自分は大したことない人間なんだな、って見せつけられているような感覚になって、居場所がないような感覚になって、二時半どんどんどんどん自分が小さくなっていく。。
最後の小さなグループに分かれて話すとき、参加する気持ちになれなくて、参加ボタンは押せず。。(一生懸命振り分けてくれていた、せいちゃんほんとごめんね。。)
強いエネルギーに圧倒されて、自分で自分の命がちっぽけだって思ってしまう、何にもできないわたし、意味があるんだろうか…って、とてつもない痛みや悲しみに襲われる。
そして、講座後に知人たちは「楽しかったね」と盛り上がっていて、やはり輪に入れない疎外感。わたしつながりの母たちは、「用語がわからんかった」「難しかったね」「なんか雰囲気も固かったね」と話していて、ぐるぐるぐるぐる考えていた。
NVC界隈の人たちから何度も聴いていたミキの名前、勝手にイメージを膨らまし、自分が思い描いていたふわりとやわらかいイメージとのギャップに戸惑った。本当に正直に書くと、雰囲気がわたしには少しこわかった。
あとあと、ミキは「背筋が伸びる存在」だっていうのをせいちゃんから聞かせてもらって、なるほどって納得できて少しホッした自分がいた。と同時に、自分の耳に入った一部の情報でどんどん膨らませるイメージって、時には自分がこんな気持ちになるんだなぁ、という学び。
その上でやっぱりわたしの願いにもまた気づかせてもらえた。
社会変革に力を注ぐのはアクティビストの皆さんに安心して託して、やっぱり下流で赤ちゃんを救おうって。みんな上流へ進んでーって思った。
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というところまで書き、そのあとは進まなくなったので下書き保存していました。でもそのあとにすぐ投稿はしようと思えなかった。
そして、社会変革などに関するワークショップなどにはもう出なくてもいいかなって思ったり。(でもそうやってこれから生きていく上で、大切なテーマのワークショップに参加したのに、そこから離れていく自分がいるっていうのも寂しいなぁ… とも思ったり。)
それでも、アウトプットはトライしてみようってタブレットに向かったんだけど、どこを書いていったらいいのかわからなくて、まず2時間半のセッションの文字起こしをしてみたんです。(1万5000字超えた。笑 家事育児の合間にしてたら朝から晩までかかった笑 文字起こし全文はせいちゃんに預けました。)
なんでそこまでしたのかはわからないけど、やっぱりそれでも理解したいと思っている自分がいるからなんだろうなって。文字に起こしてみたら、また参加したときとはまた違う気持ちで望めたし、「背筋が伸びる」という存在であるミキの奥にある、あたたかさや、優しさ、愛もしっかり感じることができたし、内容も10%→30%くらいは理解できた。(少ないけど。。)
そして、参加できないって言ってた友人たちにも文字起こしのシェアもできて、それだけでなんか安心し、役に立てたような気がした。
参加していた「難しかったね」と言っていたお母さんたち。小さな命を育んでいるお母さんたちは言語化していないにしても、未来の自分の子供たちのために社会が変わっていくこと深く願っていると思っている。
そう思うと、やっぱりこういう難しいこともスッと理解ができて、そこに「含まれている」って心から思えるように、手を挙げてどんな質問しても大丈夫って思えるように、なんとか伝えていけたらいいなぁって。
(含まれている・いないって思うのも自分次第だし、そもそもそこに入っていなくても含まれているんだけどね。)
なんか、まとまりないのですが、今日もわたしのココ(ハート)にあるものを書き留めました。
ではでは、今日も一人一人いろんなことを感じたかと思います。
それぞれの想いを大切にハートフルな一日を♡
また明日♡