リトリート6日目②【ガンジーの氷山】
みんなのセッションの間、
話を聞く姿勢・態度。
床に寝転がっている人もいる。
スヤスヤ寝ている人もいる。
座椅子を倒してずっと上を向いている人もいる。
輪になっているところから座椅子をずらして、
一人離れている人もいる。
スマホを触っている人もいる。
席を立って自由に動き回っても良い。
「それが人の話を聞く態度かー!セッション中やぞー!」
なんて言う人は誰一人いない。
寝ている人に、
教科書でバーンと頭を叩く人もいない。
みんながそれぞれ一番心地良い態勢で、
心地良い場所で、
聞きたいときだけ、聞いている。
全員が背筋ピンと伸ばして、
相手の目を見て、
ずっと聞いていないといけない。
って、誰が決めたんだろう?
もしかしたら、
相手の目をジーっと見るのが苦手で、
目をそらして何か触りながら聞いている方が
しっかり耳に入ってくるっていう人だっているだろう。
体育会系が抜けないわたしは、
ずっとトレーナーの目を見て
割と背筋を起こして、
ウンウンと相槌を打って聞いていたんだけど。笑
フッとリトリート中に
そんなことを考えていた自分を思い出した。
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カイさんのセッション。
『ガンジーの氷山』
この右の英語の本から
カイさんが感じたものをシェアしてくれた。
サティアグラハ…
建設的なプログラム…
自己浄化…
意識の変容…
・・・・・・・。
わたすには、
難すぃ。むずかすぃ。ムズカスィー。笑
どういうことに心を動かされるか?
どういうことに心が痛んでいるのか?
どういうことに自分の力を注いでいきたいか?
を、みんなで出し合った。
わたしは、
『子供の虐待のニュース』
を見ると、とても心が痛くなると言った。
わたしも手は出さなかったにしても
近い時期はあった。
あと、義実家に帰るたびに、
義母が話す怒りの声。
「また虐待あったでしょ。
自分の子供のこと考えたらそんなことできないって
みゆきさんも思うでしょ!!
それでも母親なの!?ほんっと信じられないわ!!」
わたしはこれを言われるたびに、
心が痛くなり、
「そうですね…」
と言いながら、うつむいてしまう。
そして、その虐待をした親はどんな環境で
育ったのだろう?
サポートがある環境で
子育てをしていたのだろか?と、考える。
そんな話をして、
カイさんが話してくれたこと。
「今まではね、もっと大きなコミュニティで子供を育てていた。
でも今は、お父さん・お母さん二人の責任。
ときにはお母さん一人の責任になることもある。
親にものすごい圧力がかかっている。
その圧力に耐えながら、子供をさらに育てる。
今の世界は、
だれが悪いんだ!
親が悪いんだ!
先生が悪いんだ!
政府が悪いんだ!
だれを罰するか、
すぐに悪者探しをしてしまう。
そういう海で泳いでいると、
周りもそうだから
どうしても自分もそうなってしまう。
でもこれは、
永遠に何も解決しないんだ。」
他にも何かで読んだ。
山本太郎だったかな…
ある民族の話。
若い人たちは身体を動す仕事をし、
人生経験抱負な、
おじいちゃんおばあちゃんが
子育てをしていた。
それを見ながら、また父母は学ぶ。
でも今は、まだ人生経験が少なく、
子育ての子の字も知らない世代に
すべてがのしかかっている。
だから、今はどうしたらいいか?
できることはなにか?
前に書いたTWO LOOPSの①の社会構造から
②の新しい社会の構造へ。
カイさんは、セッションのあとも
わたしの取り巻く子育て環境を
どうしたらいいか、一緒に考えてくれた。
「今できることは、
自分たちでコミュニティを作ることかな
って思っていて、
実際に何家族かで作っているんだ。
それもできれば、
価値観や考え方が同じ人たちで。
自然派育児なら自然派育児の人たちと。
自然派育児をしている家族とそうじゃない家族で
コミュニティを作っても、
また批判し合ったり、争ったり、
悲しい出来事ことが増えるだけなんだ。」
なるほど。
同じ感覚の人たちだと、
信頼もできる、より正直に本音でいられる。
申し訳ない…すみません…
ではなく、心から頼りにすることができる。
お互いさま。
何も見返りを求めない。
一回預かったから、預かってよ!
なんてのもなく、
ただお互いが大切にされるように、
自発的に相手にしたくなる関係の『質』。
それでもやはり違う人間、
どこかでぶつかったり、
傷つけ合ってしまうことがあるかもしれない。
それでも、
価値観が違う人たちより、近い人たちの方が、
修復への可能性は高いんじゃないか。
んー、わたしも今の環境で
こういうコミュニティ作れるかなぁ。
ちょっとまだイメージが湧かない。
でもわたしの環境にも
なにかできることがあるはずだって確信した。
ありがとう。カイさん。