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【注目されたいと思うことは、最も美しいこと…?】

昨日までずっとこんな感じの絵だった3歳娘。

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今朝起きたら・・・

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えっ!!どないなってんの脳の中!?!笑


さて、今日は、そんな子供のことも含んだ話。

NVCフェス・ヨラムのセッションを見ていた。
(翻訳してくださったみなさんありがとう♡)

その中で、

「【注目を求める】のは最も美しいもののひとつ。」

という言葉が心に触れた。


子供たちは「おかーさん見てぇー!」と、
とても素直に表現する。うちぐらいの小さい子(3・7歳)だったら毎日だ。


ヨラムは、

「でも『注目して欲しいだけ…』と思われるのは、悲しいことだ。注目してもらうことが悪いことのような印象を持っている。でも僕は注目してもらうことが好きだ。」

と言っていた。

確かに、注目を浴びたい人がいたら「あえて注目しない」っていう態度を取ることもあるかもしれない。
注目されたいその手段も見て選んでいるかも。
誰かを殴ったり、物を壊したりとか、SNSで誰かを傷つける発言であったりとか、「ダメダメ。こういう人は放って置くのが一番。注目したらますます喜ぶ。相手にしたらいけないよ。」とよく言うし、わたしもそう思っていたこともあった。(それよりも、わたしはこわくて関わろうとすることができないんだけど。)

子供たちに「みんなにいつでも注目をしてもらえるわけではないんだよ。」ってことを伝える人だっているかもしれない。それはいつか社会で注目してもらえないときに、大切な我が子が傷つかないように…

でもヨラムは「注目を求めているだけ」と思われるのは悲しい、と。

「人を一人で部屋に閉じ込める。しばらくすると壁に頭をぶつけ始めると聞いた。他の人からの反応がないと、人は自分が存在しているという事実がわからなくなりおかしくなってしまう。狼は他の狼とつながりがなくなると死んでしまう。人にも人に属したいというニーズがある。」


「注目されたい」という奥には、

「見てもらいたい…」
「聴いてもらいたい…」

というニーズがあり、

それは、

「自分が存在しているのかどうか」

がわからなくなっていて、確認をしたい。

「わたし、ここにいるよね…?」
「僕、存在してるよね…?」

「注目をして欲しい」ということは、とてもとても深いものなんだ… と改めて実感した。

わたしも「命を見てもらいたい」「存在を見てもらいたい」とまでは思っていたことがあったけれど、それをその人自身が「自分が存在しているかどうか」を確認したいからだ、という深いところまではたどり着いていなかった。


クラスの目立ちだがり屋、
芸能人、
政治家、
暴走族、
犯罪者・・・

という名前をつけられている人たち。

もちろん全員ではない(純粋に何かを伝えたい、自己表現したい人もいる)けれど、何か生まれ育った環境や過去に痛みがあり、ある手段(暴走族が街でバイクを走らせるなど)を使って注目を求め、「自分が存在しているかどうか」を確認したいのかもしれない。

昨日、7歳息子に、

「お母さんの好きな言葉があるんだー。僕が『ねーねーおかーさーん』って話しかけて、お母さんがこっち向いて『んー?なぁに〜?』って言ってくれるんだけど、その『なぁに〜?』が好きなの。」

と言われた。

子供は素直に表現するとヨラムが言っていた。
息子もとても素直に表現しているんだ。

そういう意識で子供を見ていきたい。
(余裕のあるときは… ね笑)


では、今日はこの辺で。

また明日。


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