「死」へのこわさ。
緑のは使わずに済みました。
「ずっと歩いていないから、これ巻いておくね。」
と、ふくらはぎにマッサージ?指圧?みたいなのを巻かれて、機械がウィーンと動き出す。
あー恥ずかしいことになってきたなー。
でもまだまだ右腹は痛いんだけどな。看護師さんの補助がないとお手洗いにも行けないし。とても痛くてまだ歩けない。
アメリカ歴が長いとある友人とやりとりしていて、種じゃね?ってなったって話をしてたんだけど、
「彼らは二転三転するから最後まで疑って!だってこれで帰らされて急変したらこわいじゃん!!」
確かに。。。可能性はゼロではない。。
そしてその夜、身体に異変が…
それはあの夕飯を食べて、しばらくしてからウトウトし3時間ほど寝た。
痛いのにずっとずっと眠い。身体は正直、かなりダメージを受けているんだろうな。
そして22時。
突然肩が震え出す。
え?なんで?寒い??
ナースコールして、とりあえずブランケットをもう一枚持ってきてもらった。
「どうしたの?熱あるの?」
熱を測るけどない。
看護師さんは行ってしまった。
ブランケットをかけてもらったけど、震えがどんどん大きくなっていく…
全然寒いわけじゃない…
呼吸ができない…
震えは全身に広がり、太腿がガッチガチになり、痛い… 動かない…
ナースコール呼びたいのにリモコンが握れない…
こわい…
なんとかボタンを押して、来た看護師さん二人がわたしの状態を見てドタバタ動き出す。
「どうしたの?!深呼吸して。アナフィキラシー?過去になったことあるの?」
「ない…わからない…突然震えだしたの…」
「寒いの?」
「寒くない…」
血圧、体温、脈を測る。
「酸素が足りてないわ、深呼吸して。リラックスして深呼吸。どこがどうなっているのか教えて?」
「脚… 脚が… (硬直… えっと硬直ってなんだ…)痛くて動かない…」
ふくらはぎに巻いていたマッサージ機を外す。
「低血糖かもしれないわ。」
「でも彼女夕食食べてるわよ?」
「え?食べてるの?」
血糖値は低くなかった。
「大丈夫よ。手術はこうなることがあるのよ。」
「彼女手術はしてないのよ。」
「え?手術していないのになんで?」
そんな看護師さんたちの会話をうっすらと聴きながら、もう目は開けていられなくて、子供たちの声を思い出す… 目からは勝手に涙が流れる…
「I’m thinking about my kids..
They are still small..
They need me..」
そんなことを言っていた記憶はある。
いきなり食べたから?
ふくらはぎに何時間も巻いていたから?
点滴の副作用?(アメリカンの体質に合わせた量だった?)
やっぱり腸になにかあった?
容態が急変して、わたしは死ぬのかな…
不思議なことを言うけれど、身体が震える・息ができない怖さはあったけど、「死」への怖さは全くなかった。これがもしわたしの運命なら、今まで生きてきたこの命に感謝をして、あとは受け入れるだけ…
「お母さん、これがわたしの運命なの…?」
天国にいる母にそんなことを心の中で聞いていた。
プペルを観に行けたのも、そういうこと?
NVCをもっと広めたかったんだけどな… わたしを知るすべての人にわたしがいなくなったら、わたしの代わりにNVCをたくさん広めて欲しい…
こんな状態でもそんなことを頭の片隅で冷静に考えている自分もいて、不思議な感覚だった。
それでも、わたしがいなくなったあとの旦那が一人で育児をする様子や、子供たちの表情、日本の家族、心配してくれている友人たちの顔を思い浮かべて、胸が締め付けられると共に、涙が溢れた…
つづく。
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