『NOは対話のはじまりであって、終わりではない。』
ついさっき、感謝しても仕切れないような時間を過ごしました。自分がホールドしているnoteのサークルで。
最近ずっと疼いていた過去の傷に触れる勇気を与えてもらえた。そしてやわらかいところに帰ってくることができた。でも今はまだ余韻に浸っていて、今日は途中まで書いていたものがあるので、それを書き切ろうと思います。
今日の出来事については、またゆっくり。
とにかく、メンバーの二人には心から感謝の気持ちでいっぱい。今深いところに3人で来ていている実感があり、しばらくはそのまま3人のコミュニティで過ごしてみようかとも考えています。
ただ、ただ、二人の『存在』を与えてくれたこと。
本当に、本当に、ありがとう。
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昨日のつづき。
ヨラムの言葉で、
「相手とのつながりを壊したくないばかりに自分をストレッチしたせいで、これまでにあまりにも多くの関係をダメにしてきた。気づかないうちに自分がすり減っていって、結局その関係から身を引くことになった。」
と書いた。
これ、わたしも何度か経験したことがある。
今でも思い出すだけで胸がギュッと締め付けられるくらい心にずっとあること。
つながりを壊したくなくて、
相手に合わせる、合わせる、合わせる…
そして、やっぱり合わせる…
それがひとつのやさしさであり、思いやりの形だと思っていたし、それがわたしのとても大切にきたことの一つでもあった。
でも、気付いたら自分がボロボロになっていた…
そしてだんだんその関係性がこわくなってきてピークにきたとき、ある日突然自らシェルターに入る。
それ以来、その人たちと連絡は途絶えたまま…
ヨラムが冒頭の話していたのは、
「NO(嫌です・できません)から対話をするとき」
相手がわたしに対して何かをして欲しいとき、
わたしの身体は100%YESではないときがある。
どうやってNOを表現するか、どのようにしてそこから対話の流れをつなげていくのか。
ヨラムは「地球上で最も難しい対話のひとつ」だと。
「ものすごく正直な人でさえ、こうした状況では嘘をつく。NOと言えないんだ。NOを言うのはものすごく怖いんだ。だって大きなリスクを伴うだろう、相手が深く傷ついたり、ぎょっとされたり。」
うん、言えない。嫌ものは嫌だと言えない。やりたくないことをやりたくないと言えない。どう思われるかわからない、相手がショックを受けるかもしれない、関係性が崩れるかもしれない…
これでも私は少し言えるようになったけれど、そもそも断らずに済むように私の場合は最初から避けたりしてる自分がいる。(駐在奥様たちのお茶会やら送別会からも誘われないように最初から入らないようにしていた。断るのってめちゃくちゃエネルギー使うのもあって。。)
「もし関係性の中でNOが言えないとしたら、僕はそこに存在していないことになってしまう。」
存在していないこと・・・?
私が誰かとの関係性の中で、NOが言えないなら私はそこに存在していないことになる・・・?
この視点は持ち合わせてなかった。
なんだかガツンときて、うまく言葉にできない。。
「つながりを保つためにNOを言えなくなるけれど、でもNOと言わなければ、 どっちみち関係は壊れる。」
「その相手と二度と会いたくなくなったりしたこともあった。」
あった。
私もあった。。
そうか。
NOと言えない関係はいつかは壊れてしまう可能性があるんだ。。これって対人すべてのおいてじゃないかな?友人同士でも、会社の上下関係でも、夫婦関係でも、子が親へNOと言えないとかも。
「NOは対話のはじまりであって、終わりではない。そしてNOの地点から対話を続けていく。」
「それは問題を解決することじゃない。」
「瞬間ごとに相手に寄り添うこと。」
「未知の領域を一緒に旅していく。」
めっちゃ頷く。
わたしもそう在りたい。
そしてこの対話のデモが本当に美しかった。
ヨラムが欧州で超人気なNVCトレーナーだということがよーーーくわかった三つのセッション。
参加者もみんなワクワクしているのが伝わってきたし、みんなヨラムが大好きなのもわかった。
「スイートな参加者と、
スイートなヨラムと、
スイートな空間♡」
だと思った。
わたしもこれから「スイート」という言葉を日常に盛り込んでいこう。笑
彼の動画はあと数日で期限がきてしまうので、ラジオ感覚でも良いから一回ずつは聴きなおしたいな。
では、スイートな一日を♡
また明日。