「孤独」に「共感」がどう助けになるか?②
アウトプットフェス、日々の感謝のアウトプットをしていたら、いつの間にやらもうド年末!あと数日しかNVCジャパンフェスの動画は見れないので、できる範囲で書きます♡
今日は、前回のつづき。
「孤独」に「共感」はどう助けになるか?
コロナ禍であったため「孤独」にフォーカスしたセッションでした。
では、自分の言葉も盛り込みつつ、アウトプットしていきます。
ーーーーーーーーーーー
《脳の話》
共鳴が脳を変えていく。
いろんな色の感情が共鳴されればされるほど、孤独というのは減っていく。
脳の奥に、感情と記憶と保つ部位がある。
その部分を覆っている大きな前頭前野を持っている人間は、自分自身に対して「あたたかみ」を向ける要素を持って生まれてきている。
でも、今のわたしたちは、なぜ破壊的な部分も持っているんだろう??
それは、自分に対しての「あたたかさ」を忘れてしまったから。。
でも今からでも、自分自身に注意を向け、あたたかさを持つことで孤独への耐性を高め、つながりを作り・維持し易くなる。
人が悲しみや喜びに、
受け入れてもらえなかったり、
認めてもらえなかったり、
無視されたり、
蓋をされたりと、
共鳴してもらえないとき、
「孤独」になることだけが
「可能な選択」だと信じ始めてしまう。
そして、これまでに誰にも共鳴されてこなかった感情は、交通渋滞のように体にとどまる可能性がある。
心臓がバクバクしたり、
背筋がゾクッとしたり、
拳に力が入ったり、
肩や手が震えたり、
血の気が引いたり、
身体が熱くなったり、
身体が後ろに引いたり、
というように、まずは身体の中で感情は起こる。身体は嘘をつかない。全部反応してくれている。(その身体感覚に気づいてあげること、めっちゃ大事だと体感しています。)
感情はこんな風に身体の中で起こって、脳へ上がっていって、感情の司る部位へ到達する。
自分が誰かに怒ったとき、
「腹が立ったんだね」という人もいたり、
「君は勇気があるね」という人もいたりする。
でももしかしたら、腹が立つという感情の奥には、本当は【こわい・恐れ】や【悲しい・寂しい】という感情があるかもしれない。
(例えば、恋人が離れていくかもしれない… ということが【こわい】のに、相手にブチギレてしまうとか。
子供がお母さんに理解してもらえないことが【悲しい】のに、「お母さんのバカ!!」って怒ってしまうとか。)
でもそこに誰も気づいてくれないときがある。
感情をいうのは気づいてもらえたり、受け取ってもらえると消えていくんだけれど、ここで気づいてもらえなかった「恐れ」や「悲しみ」というメッセージは体の中に残ったままになる。
こうして、気づいてもらえなかった、受け取ってもらえなかった感情が留まったときに人は、
「自分は変わることができない人間だ」
という感覚を自分に与えたり、
「自分は怒りっぽい人間だ」
という感覚を持つようになったりする。
しかし、共感と共にあるときに、わたしたちは流動的で、成長できる。
ストレスを持っている時は、共感を送ってくれたり、理解をしてくれる人たちと共にいることがとても大切。ストレスや免疫システムの負担を最小限に抑えることができる。
そんな人は世界のどこにいるかわからない。遠いところにいるかもしれない。だから、このオンラインというのは本当に大切なものである。
もしそんな体験をしたことがない、そんな人たちに会ったことがないとしたら、わたしたちは自分を守るために、孤独な人生を自ら選んで作り出してしまう。
《神経質システムの話》
身体が反応する3つのF。
Fight(闘う)
Flight(逃走)
Freeze(凍結)
闘う・逃走は、怒っている時や怖がっている時に活性化する。
人は、放置されたり、見捨てられた感じがすると動揺する。
子供は迷子になると警戒状態になる。
(※ここでは「警戒に伴う孤独」という言葉が出てきます。
「警戒を伴う孤独」→ アラームが鳴るときわたしたちは警戒をする状態になる。警戒音が鳴っていて、警戒をしている状態での緊張感や恐怖心で固まっているような孤独。そして、それを誰にも共感されないていないような孤独。)
身体は、
汗をかいたり
動悸がしたり
筋肉が硬くなったりする。
たとえ大人であっても、見捨てられるという経験をすることがある。
「警戒を伴った孤独」は、その孤独を言葉にしてもらえたり、孤独を感じていることを認められることがない状態。
さらに、わたしたちは「孤独であることを警戒すべきではない」と教えられている。
(んーっと、「孤独であることを警戒すべきではない…」というのは・・・んー・・・「一人じゃないやん!」「家族いるやん!」「友達おるやん!」という感じかな?)
こうして、「警戒を伴った孤独」の存在に気づかない、知らないということは、感情の回路とそれを示す言葉が完了していない、言語化されていないことを意味する。
人はときに何十年もの間、誰にも寄り添われることなく、警戒を伴った孤独に留まることもある。
神経システムの状態とは、
闘う
逃げる
警戒を伴った孤独
固まる
だと、サラは捉えている。
みなさんは「警戒を伴った孤独」と聞いた時、身体がどんな反応をしますか?
経験したことがありますか?それは今でも抱えていますか?
「警戒を伴った孤独」を誰かにわかってもらう、知ってもらう、認めてもらう必要がありますか?
ーーーーーーーーーーーー
以上、サラのセッションでした。
このコロナ禍で、警戒を伴った緊張感や恐怖心の孤独というのは、すごくすごく多いんじゃないかって思っていて。。
わたしも海外に住んでいてロックダウンがもう9ヶ月続いていて、これだけ友人たちに会えなかったり、日本に帰れなかったりすると、心が不安定になる時もあるし、たとえ家族がいたとしても「孤独」を感じる時だってある。
ただ、わたしにはありがたいことに「共感」を探求していて「共感」をたくさん送ってくれる友人や仲間たちがいる。
「オンライン」でのつながりも助けになることがたくさんあるということ。
そして、サラの言うように「自分自身に注意を向け、あたたかさを持つことで孤独への耐性を高め、つながりを作ることができる」ということをしっかり心に留めておきたい。
そしてそして、NVCのオンラインフェスでも本当に全世界からの参加者が、このコロナ禍で「エンパシー(共感)」で生きる力が湧き起こるのを何度も目にしてきて、
NVCのような深い共感というものが、今この世界に本当に必要なときで、全員ではないかもしれないけれど、多くの人に役に立つことがあるんじゃないかって。わたしはとてもその可能性を感じています。
では、今日はこの辺で。
自分に「あたたかみ」を持ったハートフルな一日を♡
また明日ココで。