第二章 思いやる気持ちを妨げるコミュニケーション④ 〜 強要・報酬と罰 〜
NVCの本に沿って書いていくシリーズ第七回目。
NVCとは、思いやりを持ち、お互いが大切にされて、心の底から自然に相手に何かをしたくなる関係性。
これまで「道徳」「比較」「責任回避」を持ち出すと、この関係性が難しくなる、というお話を書いてきました。
では、今日はその続き、4つ目・5つ目の「強要」「報酬と罰」について書いていきますね。
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自分が望んでいること、こうしてもらいたいと思うことを相手に強要する。
強要するということは、
「これに従わないといけない」
というような力がある。
従わなかったとき、
非難されるかもしれない、
罰が与えられるかもしれない、
どこか脅迫しているような。
特に社長・上司・教師・親などの権威がある地位にいる人たちは『強要というコミュニケーションのかたち』に頼ることが多い。
マーシャルはいう、
「人にまっとうな行動をさせないといけない」と、信じている人間。
「どういうわけか、わたしは、親として自分の務めは強要することだという思い込みがあった。(中略)わたしときたら、いうこと聞かない子供たちにお仕置きという手段をとるありさまだった。そして、そのたびに彼らはわたしに、お仕置きで何かをさせるなどどいうのは愚かな行動である、そんなことをしなければよかったと思い知らせてくれた。」
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なかなかズドーンとくる言葉ですね。。
(マーシャルの言葉「愚か」とか、断定的な表現とかも彼のジャッジや解釈が入っていることにも気づいておきたい。)
わたしも親なので、ドキッ… とします。。笑
わたし自身も前はよく「おもちゃ片付けないと捨てるぞーっ!!」と言い、大泣きする子供を無視して怒りのままにゴミ袋にぶち込んだりしたことがありました。
そしてそれをやったあとの、あのなんとも言えない心地の悪さと罪悪感。。誰もハッピーじゃない。。
今は減ったけれど(減っただけでゼロではない♡笑)、伝えるときの矢印の向きを変える意識をしています。
矢印を変える??
どういうこと??
今までは、
「あなたが言うことを聞かないから、おもちゃを片付けない(悪い)子だから、おもちゃは捨てられても当然だコノヤロー!」
と、矢印を相手(子供)に向けていました。
まるですべてが子供のせいかのように。
そして、そこから、
「お母さんは、こうこうこういうことを大事にしているから・・・おもちゃを片付けてくれるかな?(具体的にどう伝えているのかは、あとの章を学びながら書いていきますね)」
と、自分の内側に矢印を向けて伝えるようになった。
自分に湧き起こった感情はすべて自分の中にあるもの、すべて自分の責任なんだ、と自覚をしたんです。
決して、前者がダメだと言っているのではありません。結局、前者も後者も「おもちゃが片付いた状態になって欲しい」と望んでいることは同じで、その奥にあるニーズも同じなんです。
ただ、どこを、誰を、軸にして伝えるか。
「あなたがこうだから」
と相手に矢を投げつけるように伝えたいのか、
「わたしにはこんなことを大切にしているから」
と自分の心にあるものを溢れるように伝えるのか。
どちらがお互いにとって心地よいだろう?
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では、次に「報酬と罰」について。
ある行動には「報酬・ご褒美」がもらえ、
ある行動には「罰」が与えられる。
「おもちゃを片付けたら、シールがもらえる。」
おもちゃを片付けること
=まっとうな行動
=良い子
=ご褒美がもらえる
「おもちゃを片付けないから、今日はもう絵本読んであげない。」
おもちゃを片付けない
=まっとうな行動ではない
=悪い子
=罰を与える
このような報酬と罰も『思いやりを持ち、お互いが大切にされて心の底から自然に何かをしたくなる関係性』からは離れていってしまう。
ある行動をとった人間を「悪い」と判断し、反省させてその行動を正すためには、更生させるには、罰を与えるべきだ!という世界では、
「罰を受けたくないから行動する」
となってしまうことがある。
その外側からの意識での行動を、
「自分が変わりたいから、
自分が成長したいから行動するんだ」
という内側から湧き起こるような行動へとシフトしていきたい。
人は、成長するにつれて、
「わたしはこんなことを感じているよ。」
「わたしはこんなことを大切にしているんだよ。」
という言葉ではなく、
「あいつ(自分)はダメだ」
「あいつ(自分)はこんなやつだ」
「あいつ(自分)はこうすべきだ」
とジャッジしてレッテルを貼ったり、比較したり、強要したりする言葉を話すようになっていく。
これらには哲学、宗教、政治なども根深く関わっていて、人間を不完全なものとし、矯正するためには教育が必要だという考えがあるから。
そうして教育されてきた私たちは、自分の内側にある感情や大切にしていることを肯定できなくなり、小さいころから自分の内側を無視することを学ぶ。
これらは、ヒエラルキーや支配構造がある社会から生まれ、その社会を支えるために使われている。
少数の人間が自分の利益のために、多数の人間を統制する社会。
奴隷と同じような心理状態になるように教育する方が、王や王族、貴族、国や政治にとって都合が良い。
なにかのルールに沿って生きていくということは、当然のように「間違っている」「それは悪い」というようなジャッジが生じる。
こういう思考を刷り込まれた人たちが増えると…
人々は、自分の内側ではなく、
【外側】を見るようになっていく。
何が正しいか間違っているか、なにが良いか悪いか、意識が外へと向かい、自分の内側にある感情や大切にしたいことに気づかなくなっていく。
すると、
自分自身も傷つけ、他人までも傷つけてしまう。
でも、自分の内側に気づいて大切にできていれば、周りのことも大事にできるようになってくる。そして、従順な奴隷のようになることはない。
自分の思考や感情・行動の責任は、ほかでもない自分自身にあるのだと自覚をすることだ。
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以上、ココまでが【第二章 思いやる気持ちを妨げるコミュニケーション】でした。
4回に渡って書いてきましたが、
「道徳」
「比較」
「責任回避」
「強要」
「報酬と罰」
を持ち出すと、思いやりを持ち、お互いが大切にされて心の底から自然に相手に何かをしたくなる関係性が難しくなる、というお話でした。
読んでくださった方は気づかれたかもしれませんが、この5つは別々のものではなく、すべてつながっていますね。
途中、マーシャルの言葉とわたしの言葉や例がかなりミックスされていて、読んだことある方はこんな風に書いていたっけ?と思われるかもしれません。わたしがNVCの本に沿って書いたときにはこうなる、ということです。笑
(それぞれのいろんなバージョンを読んでみたいという好奇心も湧いてきましたよ♡)
【自分の思考や感情、行動の責任は、ほかでもない自分自身にあるのだと自覚をすること。】
「なんだ… すべてわたしの内側にあるんだ。」
と気づけたとき、視界が広がり、
世界の見え方が変わる。
一人一人がそうやって自覚をすることで、
自分自身を傷つけたり、
他人を傷つけたりすることは自然と減っていき、
自分の中にやさしい世界をつくり出す。
それはいずれ、
周りにもやさしい世界が広がっていく。
残りの人生をやさしい世界で生きていこうって、
みんなでやさしい世界を生きていきたいって、
わたしは本気でそう想っています。
そのためには、
まずは自分の心の平和から、ですね♡
では、次回このシリーズは
【第三章 評価をまじえずに観察する】
に入っていきます。
いよいよ、NVCのプロセスのひとつ目「観察」です。
ワクワク♡
ではまたココでお会いしましょう♡
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(※随時追記しています!)
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NVCの創設者マーシャル・B・ローゼンバーグの唯一の日本語に翻訳された本。これを第一章から第十四章までを、わたしの学んできた様々な視点やた…
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