【自然と湧き起こるよろこびから、分かち合うこと】
↑これは昨日のnote、NVCの本に沿って書くシリーズ第二回目に出てきた言葉。
(今日はシリーズではありません♡)
わたしは昨日ちょうどこの『自然と湧き起こるよろこびから分かち合い』を体感していました。
「見返りもなく、恐れや罪悪感、強要感などがない状態で、心の底から相手に与えるとき、わたしたちは自然とよろこびが湧き起こってくるのだ。
そして、自然なよろこびからだと受け取る側も受け取りやすく、無心によろこべる。
by マーシャル・ローゼンバーグ」
わたしがホールドさせてもらっているNVCサークルで集まっていたんですね。
このロックダウンになってから半年。
わたしがずーーーっとモヤモヤしていたことがあって、今回集まる前日に、
「ちょっと聴いて欲しいことがあるんだけど、明日わたし話してもいいかな?モヤモヤがモヤモヤしてモヤモヤしてる。笑 整理したいかんじ!」
と伝えてみたら、返事に泣けるのだ。
「もちろんだよーーー!!」
「何かあったんやね、大丈夫!」
「整理できるのを手伝えるの嬉しいよ♡」
「いいタイミングでサークルだね!明日会えるの楽しみにしてる!」
おぉーーーーーーーーーーーーいっ!
あたたかすぎるぞーーーーーーいっ!!
空を仰いで心で叫びました。
・・・・・・ジーン。。。
しばらくボーッとしながら味わいましたよ。
あぁ… うれしい。。
メンバーの存在にありがとう。。
そしてそんなメンバーと繋がっている自分にもありがとう。。
最高のギフトだわ。。
もう話さなくてもいいかも…
いや、話す。笑
と言うことで、昨日聴いてもらいました♡
ちゃんとまとめて話さなくてもいい、
うまく話そうとしなくていい、
支離滅裂でも全然大丈夫、
自分でももう何を話してるかわけわけらない状態でも焦らなくていい、
とにかく声になる言葉から、声に出していく・・・
NVCを学ぶと必ずと言っていいほど、
「共感バディ」や「共感サークル」
という場をもうけて実践の練習をするんですね。
わたしがサークル内で扱っている「共感サークル」をザックリと説明すると、
ネガティブな感情が起こったときの出来事を持ってきてもらい、
一人ずつ順番に話し、
他の人たちは耳を傾ける、
そして、その感情の奥には何を大切にしていたんだろう?
と、深い共感をもらうというもの。
(わたしが一人一人、聴き入ってもらう経験を積み重ねて欲しいので、一人15分とか時間は今はあまり決めていないです。最近は、大きな出来事であれば一人に2時間じっくりかけることもあるし、2時間で三人のうち二人が話すこともあったり。)
そして、オンラインのときは、話している人以外はミュートにすることがある。
これって初めてのときは、すごく違和感かもしれない。だって何の音もない静かな空間で、ただただ自分が喋り続けるので、最初はなんだかちょっと恥ずかしかったり。
(聴き手の音を拾って、話し手の声が途切れてしまわないように配慮をするためでもある。オフラインでも聴き手が話を割って入ることはほぼない。話し手がサポートをもらいたい時は話すこともありますよ♡)
そして、それくらい、
「あなたの話にしっかり耳を傾けようっていう気持ちでいるよ、安心してね。何を話してもいいんだよ。」
という聴き手の姿勢が伝わってくるんだ。
聴き手はその時間を共に過ごし、ただただ存在を与え、やさしくあたたかく見守ってくれている。画面の向こうですごく真剣に「ウンウン」って頷いてくれたり、メモを取ってくれたりする。
その聴き手のあり方が、心の奥から話す力にもなる。
もう何も出てこないってくらいまで、
自分の力で話し切る体験、
話し切るまで静かに見届けてもらう体験というのは、
今、生きているこの世の中では、
ほとんどないんじゃないかなって。
そしてそれを扱える人も今はまだ少ないかもしれないって、最近仲間と話していた。
(わたし、貴重な一人かもだよ!笑)
というのは、話し手が何か言いたそうだけど、うまく言葉にできずに黙り込んでいるときに、思わず自分の中に起こってくることを言いたくなったりしませんか?
なぜか話し手が固まってしまうと、聴き手も焦ったり、急がせようとしてしまったり、早く前に進めようと思ったり。
「それってこうじゃない?」
と、導きたくなったり、
「あー!わーかーるー!!わたしもさぁ・・・」
と、聴き手自身の話を始めたり。
それが良い悪いという話ではなくて、
それもその人の思いやりの形で、
「なんとかしてあげたい!」
って思っていたり、
「わたしも同じ経験してるんだよ、それが何かのあなたの安心につながるかも?」
という想いだったりする。
(自分の経験の語り出すというは、その人自身も「聴いて欲しい」んだとわたしは感じています。聴いてもらえていないのかもしれない、未消化のものだったりするのかもしれないなぁって。みんな聴いて欲しいんだよね♡)
そして、そもそも、わたしたちが生きている上で、テンポよく話すことが「正」みたいな社会の教え・雰囲気って感じたことはありませんか?
わたし自身はテンポよくまとめて話すのは得意ではないんです。
(だからNVCも文章で伝えているのでありやす。)
ずっとテンポよく話さないとって思っていたけれど、NVCを学ぶ上で驚きの言葉に出会いました。そしてそれが今、わたしがとてもとても大切にしていること。
それは、
【沈黙もその人の声】
ということ。
話し手が黙って言葉が出てこない、表現できなくなっている状態のときに「こういうことでしょ」「これが言いたいの?」と導くと、話し手も「あー!それそれ!」とはなるかもしれない。
だけれど、もしかしたら、
何か心にあるものを一生懸命、
自分と繋がって、
言葉にして、
声にして伝えようとしている旅路の途中で・・・
そうして時間をかけることで、
別の言葉、本当のその人の内側にある言葉で
表現が出てきたかもしれない。
わたしはそこに立ち会いたいし、
そこに出会いたいんです。
どんどん聴き手が引っ張ってあげたら5分で終わる話が、10分、15分、いや、もっとかかることもあるかもしれない。
それでも相手が自分の言葉で話そうとする力を信じたいし、見守りたい。
最初は、話し手も聞き手も戸惑うかもしれません。だってそんな風に話す、そんな風に聴く、なんて生きてる中でほとんど経験をしたことがないから。
でもそれがだんだん「自分の声」で表現することに、安心や喜びを感じてきたり。じっくり聴いてもらえることで、そこに自分が存在することを深く感じられたりするんだよなぁ♡
・・・・・・ん?
おーい!!
タイトルから話が逸れてるぞー!!!
でも大事なことやから書きたかったんやー!!
(途中、めっちゃ集中していたら右手が攣りました。笑)
ハイ、話をグルン!と戻して、サークルでわたしの話を聴いてもらったんですね。
(前述の内容を抱えながら、もし、頑張れそうならついてきてくださいね♡笑 もうすぐ終わります!たぶん!笑 もちろんフェードアウトも大丈夫♡)
わたしが話したことは子供の便秘のこと。
え!そんなこと!?
そんなことかどうかはわたしにしかわからなくて、まぁいろいろありまして…
いや、これが結構大変で。。
その話になんと!
みんなからの共感も含め1時間超!!
「うん◯の話で1時間も喋ってるやん!」
「いや、でもうん◯は大事やで!笑」
めっちゃ笑った。
(食事中の方、すみません。。)
この半年ずっと心の内にあったことを、もう出てこない!ってくらい話し切り、
みんながすごく真剣に画面越しに頷いてくれていて、
まずはわたしのハートにたっぷり共感をもらい、
「あーそうか、このモヤモヤの深いところにあるのはこれだー!」と自分に繋がれて、大切にしているものに出会えたあとに、
みんなからもらう便秘対策へのアドバイスが、とても心地よくスッと入ってきたのです♡
これが「こんなに聴いたってんから、今度はわたしの話聴いてや」と見返りが含まれていたり、「みんなに申し訳ないな…」という罪悪感がわたしの中にあったりしたら、どうだっただろう?
聴く側も、よろこびから時間や自分の存在を与えることができなかっただろうしし、受け取るわたしも、心からよろこんで受け取れることができなかったかもしれない。
きっとすべて話し切れず、急いでしまい、
なんとなく共感をもらい、
不完全燃焼だったんじゃないかな?って。
(脳科学によると、人は「あー聴いてもらえたー!」と思えなかったとき、何度も何度も同じ話を繰り返すそうです。
わたしは旦那がゲームをしながら返事をされると、数日後にまた同じ話をします。笑
そして、子供たちもわたしがnoteを書きながら返事している時は、同じ話をまたしてきます。笑)
お互いに自然に湧き起こるよろこびからの、
自然な分かち合いをするということ。
これをまた体感し、やっぱりわたしはたくさんの人たちにこれを体感して欲しいと願うのです。だから、NVCというものを伝え続けることがやめられない止まらない♡
一人ずつ一人ずつ、ココから広まっていったら、
自分自身の内側が平和につながり、
家族や友人・関わる人たちとの平和につながり、
そして、世界は平和へとつながる。
本気でそう感じているんです。
ハイ、ということで、今日も修造さまバリの熱弁にお付き合いいただき、ありがとうございました。笑
今日もよろこびから書きましたよー♡
よろこびから分かち合える体験が、
一つ、一つ、と広がりますように。
では、また明日ココで♡