子供の頃から、褒められるのが苦手だった。
息子が持って帰ってきた宿題に度肝を抜かれた。
「サンクスギビングにターキーがたくさん食べられるから、ターキーにどんな変装させたらバレずに逃げられるかな?」
というモノだった…
息子は嬉しそうにロケットの被り物をさせて、宇宙へ逃げるという絵を描いていた。
「ターキーロケット今にもびゅーんって飛んでいきそうだね。リンのターキーはこれで助かるね。お母さんホッとしたよ。」
しか言えず、いろいろと考え、あまり言葉のでない母ちゃんなのでした。
さて、今さらだけど、「嫌われる勇気」という本を読み、あれこれ考えていました。
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「他者からどう見られているか」ばかり気にしている生き方こそ、「わたし」にしか関心を持たない自己中心的なライフスタイルだ。(p.183)
自分の人生における主人公は「わたし」である。
しかし「わたし」は、世界の中心に君臨しているのではない。
自分が世界の中心だと考ると、他者は「わたしの為になにかをしてくれる人」でしかない。
「この人はわたしになにを与えてくれるのかな?」ばかり考えている。(p.185) それが満たされないと、裏切った、何もしてくれなかった、敵だったとなる。(p.186)
叱ってはいけない、ほめてもいけない。(p.196)
ほめるという行為には「能力のある人が、能力のない人に見下す評価」という側面が含まれている。
「えらいわね」「すごいわね」「よくできたわね」は、無意識のうちに上下関係をつくり、子どもを自分より低く見ている。
「自分よりも能力の劣る相手を操作する」こと。(p.197)
お世辞の言葉を並べることで、上司に気に入られようとする、それも相手を「操作」している。
すべての対人関係は縦の関係ではなく「横」、「対等」である。
専業主婦に「誰のおかげで飯が食えると思っているんだ」「金銭的になんの不自由があるんだ」という男性。なんとも情けない話だ。経済的に優位かどうかなど、人間の価値に全く関係ない。専業主婦は役割が違うだけ。
おそらく彼らは、女性が賢くなること、自分以上に稼ぐようになること、堂々と意見されることを怖れているのでしょう。(p.199)
対人関係を縦で捉え、相手を自分より低く見ているからこそ、介入してしまう。
(p.200)
目の前に苦しんでいる人がいても、それはその人の課題。でも見過ごすのではない。
「介入」ではなく、「援助」をする。
能力有無ではなく、「課題に立ち向かう『勇気』がくじかれていること」が問題。(p.202)
もしあなたが、褒められることに喜びを感じているとすれば、それは縦の関係に従属し、「自分には能力がない」と認めているのと同じ。(p.203)
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本を読むのが遅いわたしでも、後半からグググっと進んだ。
もう200ページ目前後から書き留めていたいことだらけで、転載しすぎて訴えられそうだ。笑
このあたりを読んで思ったこと、感じたこと。
NVCも基本褒めない。
わたしはそれでもやっぱり褒められたいよねーと思って、NVCを学び始めたあともしばらくは、褒めた上でNVCを用いていた。
(※わたしは褒めることがダメとか、悪いとかは思っていません。良い・悪いはない。)
でも最近、ちょっと変えてみた。
やっぱり思わず「すごい!」「えらい!」も言うんやけど (そうやって育てられてきたし、なかなか抜けるものではない)、できるだけ別の言葉で本人から湧き起こったモノで「これをしているんだ!」「これができたんだ!」と感じられるようにと、言葉を選んでいる。
すると、絵をあまり描かなかった息子が、最近すごく楽しそうに絵をたくさん描くようになった。 彼が絵を描くことに「心が躍る」ように、わたしが反応しているからだと、実感している。
例えば、海の絵を描いたとする。
今までのわたしは、
「わぁ!上手やん!すごいやん!」
だった。
それを、
「この海の青色好きだなぁ。みんな海に入って気持ち良さそう♡あーお母さんまたみんなで海行きたくなるよ。この絵見てると夏を思い出してうれしい気持ちになる。リンはこれ描いているとき、どんな気持ちだったの?」
「えーっとね、すごくワクワクした!みんなで海行って、あれしてこれして、描いてて楽しかったー!」
「そっかぁ、リンはこの絵を描いているとき、ワクワクして、楽しかったんだね!」
こんな感じで伝えるようにしている。
お母さんに褒められたいからではなく、
「自分の心がワクワクするから描くんだ」
と心から湧き上がるものがあって、
『自分発信』にシフトしていっている感じだ。
あと、驚いた気づきもあった。
わたしは、ほめられることがなぜかずっと苦手だった。
日本というあまり褒められない文化で育ったのもあるかもしれない。
ただ、自分で言うがわたしは末っ子で甘やかされてきたのを自覚している。家族で一番小さい子は割と何をしても、ほめられる傾向にはあったと思う。
でも記憶にある範囲では、小さいころから「ほめられる」ことに喜びをあまり感じなかった。「すごい!」とか「えらい!」とかという言葉に「そんなんちゃうねん」ってもっと違う言葉がいいなぁと思っている自分がいた。それらの言葉にわたしはピンとこなかったのだ。それは大人になった今も。
だから、この本を読んでスッキリしたのは、ほめられることが、わたしが一番苦手とする「縦(上下)の関係」につながっていたからかもしれない。「上から目線」というのにわたしはなぜか過剰に反応するんだよね。今もずっと。
無意識だったけど、わたしの根底には、「褒められる=縦の関係」があったのかもしれない。無理矢理こじつけたかな。笑
わたしは自信がない人間だと思っていたけれど、実はずっと自分という人間を認めていたのかもしれない。今さら。まだ確信はしていない。笑
『自己肯定感』は低いけど、
『自尊心(自分をありのままに受け入れる能力、自分は今のままでいいやぁって受け入れること)』は高い。
ってかんじかな?
どういうこと?笑
さて、まだまだ想うことはあるけれど、また気が向いたら書こう。