
FBのプロフ写真を変えるときに湧き起こる「恥」の感情を掘り下げてみた。
昨日、Facebookのプロフ写真を変えました。
変える際に、わたしが投稿に書いた「恥」を感じないようにするための言葉たち。
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プロフ写真を変えることに、
わたしはいつもエネルギーを使う。
タイムラインに上がるし、
反応を受けることにもビビるし、
自撮りをアップすることにも、
わたしのような昭和顔やと
自意識過剰のように思えて
恥ずかしさもいっぱいあるし、
とにかく、慣れなくてパワーを使うのです。
たぶん、同じ気持ちの同世代はたくさんいるだろうなって勝手に思っています。笑 そもそも自分の顔をアップするのも抵抗があったり。
わたしがFacebook始めた15年くらい?前は、まだ日本でFacebookは広まっていなくて、友達がみんな外国人だったんです。外国人はガンガン自分のキメ顔(キメ顔って古くね?)をアップしているので、その中で自分の写真をアップするのはそこまでハードルが高くなかった。
(いまだにmixiは顔じゃなくて、後ろ姿やし!)
でも、これからは今の自分に近い写真にガンガン変えて、変わってることにも誰も気づかないくらいにしたいと思います。笑
(結局は気づかれないようにしたい笑)
ロックダウン5ヶ月、
化粧というものを忘れて続けている今のわたし、
でも顔は濃い、でした。
(横にある穴はドアの覗き穴。ハエじゃないよ笑
加工もわからない、それも今のわたし、でした笑)
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これ、ほんっと自分が傷つかないように、できるだけ傷が浅く済むように頑張っいるのがわかります。笑
「恥ずかしい」という感情がオロオロしていて、それをなんとかホールドしようと必死。笑 この必死感もまた恥ずかしいね、恥のループ。笑
人は、悲しいとか、辛いとか、恥ずかしいとか、ネガティブな感情はできるだけ避けたい。感じないで済むなら人から離れたり、その環境から離れたりもする。
<例①>
同じグループのAくんのことが好きだけど、AくんはCちゃんが好き。自分の気持ちを伝えたとしても自分はフラれることがわかっている… だから傷つかないために、恥ずかしい思いをせずに済むように、もうこのグループ自体から離れよう…
<例②>
スタートアップの会社に入ったけれど、自分より能力の高い人がいっぱい。このままだと、自分が大したことない人材だって思われてしまう。その前に別の仕事が見つかったと言って辞めよう…
自分を守りたい。
とても自然なこと。
今回のプロフ写真の事件(事件だったの?笑)、このnoteで何度も出てきている「恥の4方向のコンパス」で感じてみる。
↑このnoteで、
「恥」を感じることを私たちは避けようとする。
でも、向き合うことで大きな可能性が開く。
と、書いている。
なので、大きな可能性に出会いたくて、向き合おうと思います。
(自分のnoteに背中を押される。ありがとう。笑)
この4つ方向を全部、体験してみる。
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①自分を責める
②他人を責める
③抵抗する
④撤退する
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わたしがプロフィール写真を変更するときに感じる「恥」。湧き起こるものそのまんま書き出します。
①自分を責める。
昭和顔で、今どきの顔じゃないし、べっぴんやねーって言ってくれる人はおじいちゃん世代。「あの女優に似てるわー名前忘れてしもたわーもう死んでもーたけどなー」って何回聞いたことか。その度に60年くらい早く生まれたかったって思ったし、平成ではモテず、コンパでは引き立て役で行きたいとも思わなかった。いつも横にいる友人はモテすぎることでの悩みが尽きず、毎日相談を受けていて、辛かったらしく、18で胃カメラ飲むくらい胃を壊した。そして、彼氏もおらずの大学生活。。お前は人に晒す顔じゃない、そんな顔を表に出すな、みんな見てねーし、誰も求めてねーよ。
(書いてて、心が痛いね。。こんなこと自分に言いたくないよね。。)
②他人を責める。
なぜ、今どきの顔に生んでくれなかったんだ?どうして今この顔が流行ってる時代じゃないんだ?しかも、なぜわたしの周りには可愛くてモテる子が集まるの?オイ、世の男たち、外見より中身をみろよ、というか、わたしは今まで誰かがレンズを向けくれるデジカメの時代に育っとんねん。自分の顔が映し出される画面に向かって、自分の顔見ながらニコってして自分でシャッター押すなんて、そんな経験してきてないねん。自分の顔が映ってるのが見えた瞬間、どう笑ったらいいかわからんくなるねん。しかも、幼少期から自分の顔に自信を持つことは恥ずかしいことやって刷り込まれてきたんじゃー!
(時代を責めてる。ちょっとウケる。笑 顔が映るプリクラは経験あるよ。でもそれも機械がシャッターを切ってくれたよ。)
③抵抗する。
誰がなんと言おうと気にしません。そんなの関係ない。わたしはわたし。なんかいろいろ書くような人がいたら、その人はバンすればいい。繋がりを切ればいい。あ、そうか、いいねもコメントもできひんようにしたらええねん。そうしよう。
(抵抗の代償は「孤独」という言葉を思い出す。)
④撤退する。
もうさ、時代じゃない顔ってわかってるんだから、人様に晒すような顔じゃないってわかってるんだから、プロフ写真をどうこうはもうやめようよ。一掃のこと、景色とか花とかにしよう。
(自分には能力はないと思い、恥を感じないために撤退する)
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4方向をやってみるといつもわかるのは、一つの「恥」という出来事で、全方向を行ったり来たりしているということ。言葉にしていなくても、自分でも気づいていなくても、無意識レベルでそういう思考や感情を抱えているということ。
「自分の顔が映し出される画面に向かって、自分の顔見ながらニコってして、自分でシャッター押すなんて、そんなんしてきてないねん。自分の顔が映ってるのが見えた瞬間、どう笑ったらいいかわからんくなるねん。」
というのは、今これを書いていて自分の中にあったことに、初めて気づいた。
そして、今まで、プロフィール写真をほぼ変えてこなかった私は④の撤退をずっと選んできたということもわかる。わたしにはニコニコ笑ってパシャパシャ自分を撮ったり、撮ってもらったりするに値しない、と…
そこに気づけたわたしは、
これから今までと違う選択ができる。
ここまで自分の奥にあったものを曝け出して、こうして文字に起こしてたくさんの方に目撃してもらったこと、そして、自分でも痛みを感じながらも深いところで自覚をしたこと。
本当はもっともっと自分の存在・命を大切にしたい、このまんまの自分をだいすきでいたい… この姿に生まれたこと、その命をそのまますべて誇りに想いたい…
これからは、違う言葉を自分にかけることができる、こうして可視化して深く自覚することで、①の言葉を自分に投げかけることはもうなくなると思う。そして、ひとつひとつの行動だって変わってくるだろう。
そう感じることができました。
そして、是非!
大正・昭和初期のおじいちゃんたちには長生きしてもらいたいのです!おじいちゃんたち専用のSNSないかな。笑 (そこ!?笑)
自撮りをすることに抵抗がある方、今日が心地よく自撮りを一枚撮ってみる記念日になったらいいな♡
ではでは、また明日♡
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