元恋人の好きだったところ
最近、あの人のことを忘れそうになる。
きっとそれでいい、きっとそれでいいんだけど、というか向こうは私のこともうどうでもいいって、他人だって思ってるんだろうけど、
でも、付き合ってたのに、あの人のことを全然知らないまま、開示しようってあの人に思わせられなかった私のまま、すべて終わってしまったのが本当に悲しい。悔しい。申し訳ない。
あのとき、君はどういうふうに思ってたのかな。
どう感じていたのかな。
そもそも、君はどういう人間だったの?
私のどこが気に入って、私のどこが嫌だったんだろうな。
もうその、確認作業も、謝ることすら、できないことが、とっても悲しくて、やりきれない。
カリスマ性のある人だった。
私は伝説に憧れる。誰の記憶にも残るような、誰にも到底追いつくことができないような、みんなから憧れられるような、そういう人間になりたい。
だからこそ、私が100%大好きだって、信仰しちゃうくらい好きになっちゃうのは、一言で言ってカリスマ性のある人。私から見て、カリスマ性のある人。
2つ前の元恋人は、カリスマ性なんて感じなかった。でも、私のことが大好きで、愛情表現も言葉も全部ストレートに伝えてくれるところが好きだった。かわいかった。ちゃんと恋人として、恋愛として見てたし好きだったけど、類似した感情で言ったら母性みたいな。
2ヶ月前に別れた元恋人は、そんなんじゃなかった。そういう母性的な感情で好きになったんじゃなくて、私が、骨抜きにされてた。大好きだった。
歌が、うまかった。
初めてカラオケに行った時、率先して一曲目を入れてくれたね。あれすっごくかっこよかったな。君はいつも、「してあげてる」感がないの。さらさら、すらすら、生きているような人だった。本当にかっこよかったなあ。
一曲目、怪獣の花唄。92点。高すぎだろー
全部地声で歌ってた。高音も地声で、でも張り上げることもなく、裏返ることもなく、ほんとにすらすら歌ってた。正直さ、カラオケで男性の歌声を聴いて、聴き苦しくなかったのは初めてだったよ。
つぎに私が「おやすみ泣き声、さよなら歌姫」を歌ったとき、「いいね」って言ってくれて嬉しかった。クリープハイプを聴く人だったのも嬉しかったし、聴くとはいえどコアなファンではなく、でもクリープのエロだけじゃない良さをわかってて。
イントロで軽くヘドバンしてたのは面白かったな。かわいかった。ありがたかった。私はずっと、自分の趣味を全開にしても、素でついてきてくれるパートナーが欲しかった。本当にありがとう。君といるときは、安心して素の自分でいられたよ。
素のわたしでいさせてくれてありがとう。
君にとってのわたしは、どうだったかな。
一緒にいて気が休まるような存在で、いられてたかな。
back numberの「水平線」、あいみょんの「会いに行くのに」、ヤングスキニーの「本当はね、」、Hump Backの「拝啓、少年よ」。
選曲が本当によかった。ちょうど良い大衆さとサブカルさの具合で、私と聴いてる音楽のジャンルが、層がうっすら被ってて、ほんとにありがたかった。君は本当に歌がうまかった。センスもよかった。もっと歌、聴きたかったなー。
容量が、よかった。
字もうまかった。カラオケの入室の時に代表者が書く利用書みたいなのが必要だったんだけど、それを書いてくれて、終わった後に私が
「〇〇くん字うまかったね」て言ったら、
めっちゃ赤い顔で、急に早口かつ声が大きくなって、
「いや、俺字めっちゃ下手だよ!!下手すぎて人に見せるの恥ずかしいくらい!!」
って目を逸らしながら言ってた。いや、真っ赤な顔の人に言われても説得感ないんですけどー。てか否定するの必死すぎじゃない??
照れ屋さんだったね、かわいかったよー。
大学も一般入試で、それなりに名の知れた、頭のいいところに入ってた。
でも執着がなくて、自分のことも「普通」「普通の大学だよ」って本心で言ってた。
自分の出身高校のことも全然知らなくて、「偏差値も50くらいのところ」「大学は高3のとき入れそうだったから受けた」とか言ってたね。
あとでこっそり調べたけど、あなた、高校の偏差値60あったよー。普通では、ないよー。
だし、今の大学、入れそうだったから入ったって、本気出したらどこまでいけるんだろう。いやきっと、受験生の時点で本気でがんばってたと思うんだけど、なんだか、もっともっとポテンシャルある気がする。神格化しすぎ?
とにかく私は、きみの、すらすら容量よく、でも自分のそのアドバンテージに気づいていないような、自分の能力に執着がないような、「してやってる」感の全くない純粋な謙虚さが、大好きで、かっこよくて、憧れてたんだー。
わたしは、あなたみたいになりたかった。
気づかなかったでしょ。
きみの、いちばん好きなところを話します!
それは、心がとってもひろーーーいところだよ。きみはとっても寛容だった。寛容にも色々種類があると思うけど、きみは、無関心がゆえの寛容さをもってた。無関心っていうのも、偏見とか先入観がそもそも存在しない、「狙ってる」感のない無関心。きみはきっと、ナチュラルに、やさしいひとなんだーーー。神格化しすぎかな。
きみの周りの友達には、いろんなジャンルの人がいるみたいだね。
東大理Ⅱ落ち慶應の人、メンズコンカフェで働いてる人、ホストで働いてる人、お酒大好きな人、タバコ吸う人、ギャンブルやる人、大学やめちゃった人、バイトしまくってる体力おばけの人。
それを全部、なんでもないかのように、息を吐くようにナチュラルに、わたしに話してくれた。
きみのスタンスはあくまでも、「こういう友達がいる」っていうだけ。熱く語ることも、悪口を言うこともなく。
だし、きみもお酒、タバコ、ギャンブルは友達との付き合いでそれぞれやったことはあるらしいけど、全部「俺はいいやって思った」ってスタンスだった。友達がやることも、自分がやることに対しても抵抗がなく、ナチュラルに受容している。実際自分も経験してみたことはあるけど、あくまでも自分はハマらなかったよっていうスタンス。かっこよすぎだろー。
そういうところが、大好きだったよー。
わたしはべつに、あなたが、喫煙者じゃなくてよかった、ギャンブラーじゃなくてよかった、ホストじゃなくてよかった、だなんて、思ってるわけじゃないんだよ。むしろべつにしててもいいんだよ。
あくまでも俺はいいや、っていうスタンスでずっといるところが、本当に大好きだった。
あなたとなら、私も素でいられて、羽が伸ばせるかもって思って気楽でいられたのは、そういうこと。ありがとうね。
もし私だけがそのあなたの優しさの恩恵を受けていたのだとしたら、本当にごめんなさい。
別れたあと、私の友達は、あなたのことを、あなたの優しさを、「逆になにも考えずフラフラ生きてるだけ」って評価した。
やめてやめて、そういう風に言わないで。
あの人はちゃんと、優しいよ。
あの人のことを、癒してあげられる存在に、なりたかったー。
きみは私のこと、どういう風に思ってたんだろうね。私のことがまだ好きだった時期。どうだったんでしょうか。!
これはまた別の機会に書くけど、付き合ってたときのきみの情報は、知らないことだらけだった。嘘がいっぱいあった。
きみから私に話してくれた日常生活の話っていうよりも、きみ自身のプロフィールの話について、かなあ。まあこれはまた別で。
太宰治の『きりぎりす』の主人公が苦手だ。別れに至った心情はわかる、結局2人が別れなければいけなくなった状況もわかる、
だけど。
夫が変わっていってしまったのではなくて、妻であるあなたが、初めから夫の性質を見つめていなかったのではないか。
もともと夫はそういう人だったのに、自分の都合のいいところだけを見つめて、都合の悪いところがでてきた途端に、「あなたは変わってしまった」「昔の方がよかったのに」だなんて、言ってはいないか。
芦田愛菜ちゃんの「信じるとは」という話に通じるところはあるけど。
別れたいと思う気持ちはわかるよ、わかるし、間違いじゃないと思う。だけど、別れ際に、そう思うに至った経緯を、あくまでも「あなたが変わってしまったから」というスタンスで話し進めるのは、いかがなものか。
自分の今までの眼を、感じ方を、正しいと信じて疑わずにはいないか。
これは私もそう。私も、そう。
結局わたしも、あなたのことを、ちゃんと見られていなかったのかもしれない。
今となってはもう、わからないけど。
もっとあなたが自己開示したいと思えるようなわたしに、なるべきだった。なりたかった。
本当にごめんなさい。
いつもいつも優しくしてくれてありがとう。
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