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ずるいよ、#7
※この記事の書き始めは8月初旬です。
どうも、お久しぶりです。りんごあめです。
やっとテスト期間が終わってひと段落がつきました。長かった…。
この期間でふと私の中で思い出した昔の子がいたんですけど、今回はその子のことを書きたいと思います。いつかの記事で話したかもしれない子です。
どうぞ、お付き合いくださると私が喜びます。まっちゃ編よりは長くないので、今回は目次ありません。というかあの子の6年が異常に長いだけです。
私は基本的に同い年・年下の友達が多いので、全員等しく私の中で三人称を勝手に「子」にしているんです。その子も例外なく同い年なんですが、当時の私にしては珍しい異性の子なんです。その子を知ったのは小学校、知り合ったのは中学校でした。ここで「なぜ知った時期と知り合った時期が離れているのか」と思った方は鋭いですね。これは相手がその子(以下Aくん)だったため起こったことです。Aくんは小学校の合唱イベントの際、伴奏者として全学年の前で演奏していたからなんです。なので、必然的に苗字と顔くらいは学年でもほとんどの子が知っていました。私もそれがきっかけでした。といっても、小学生の私は本当になんとなく知っていた程度で直接的な関わりはありませんでした。
当時の私に関わりがあったのはむしろAくんのお兄さんでした。私は運動会の係で半ば強制的に応援団に加入していました。その時の団長がAくんのお兄さん(のちに判明)だったんです。お兄さんは右も左もわからない内気な私にも優しく接してくれてそんなお兄さんを私は人として尊敬していました。ただ、元々運動会の係だけの関係だったので運動会が終われば関わりはプツリとなくなってしまいました。そこから、私はお礼を直接言えなかったことに後悔し始めました。「なんとかもう一度会ってちゃんとお礼を言いたい」とこの頃からお兄さん探しを密かに始めました。持っていた情報は苗字と学年だけだったのに、よくやろうと思ったなと今は思いますが。
結局、小学校を卒業するまでに出会うことはできずそのまま中学生になってしまいました。
そして、中学生になりました。当時の私は全く諦めていませんでした。
というのも、私の通っていた小・中学校はほとんど隣にあることもあって、メンツは受験組以外変化しないという特徴があったんです。それを知っていたので、絶望どころかむしろまだ3年あるとすら思っていたんですね。そんな私の前に現れたのが、1年でクラスが同じになったAくんでした。苗字が近かったので必然的に初期の席も近かったことがきっかけです。最初は席が近いだけの子でしたが、こちらも半ば強制的に合唱祭実行委員でペアを組むことになりました。ちなみにAくんは前述した通りピアノが弾けるので、自身で立候補していました。私は女子内からの推薦です。
そんな成り行きで一緒に行動することになったのですが、関わってみて最初の印象は最悪でした。どうやら関わりのある子からはAくんは「自己中心的でナルシスト」という評価をされていたようで、それは本当でした。委員会にはかろうじて出席するものの地味な手続きやめんどくさい準備は私に丸投げ、その他目立てそうなことは率先して指揮をとる、のようなムーブをずっとされていました。その点においては最悪だったのです。しかし、夏休み明けにAくんがあの時のお兄さんと兄弟だということがわかり私にとっては絶好のチャンスだったんです。結局、お兄さんとは話せはしたんですが私のことを覚えていないようでした。悲しかった。
お兄さんの件がなくなってもAくんと同じ委員会であることは変わらないので、関わりがありました。関わるうちに、私の中で彼の印象が変わっていったんです。「Aくんは確かに自己中心的でナルシストだけど、私にないものを持っている。」そう思うようになったんです。「Aくんは好きなものを堂々と好きと言える、私は周りを気にして言えないのに。Aくんは人前で怖けずに指揮を取れる、私は一言言うだけでも足が震えるのに。Aくんはこんなにみんなから無視されるような私にも同じように接してくれる。」一種の憧れのようなものでした。あんなふうになれたら私も強くなれるのかな。そんな感覚でした。その憧れは日を追うごとに強くなっていきました。そして、合唱祭当日、私たちのクラスは学年最下位。伴奏者だったAくんも伴奏者賞を逃しました。自分が関わっていたこともあり、ショックは相当なものでした。私はショックのあまり、後片付けの最中にふと泣いてしまいました。そうしたら目の前のAくんが一言「お前何にもやってないじゃん、悔しがる資格ないよ」。何かが崩れる音がしました。今なら、Aくんは委員としても伴奏者としても賭ける思いが私より強かった故に出てしまった言葉だとわかりますが、当時の私は裏で奔走したのに結果だけで頑張った過程すらも否定された。としか受け取れませんでした。この言葉については後日、本人から謝罪があったのでもう気にかけていません。
私は合唱祭での惨敗がどうしても悔しくて消化できずにいました。そんな時、担任の先生から百人一首大会があることを教えてもらいました。それからというもの「とにかく勝ちたい!負けっぱなしなんて私らしくない!」と思い、私は学校の勉強そっちのけで百人一首にのめり込みました。そして、2ヶ月半で百首を一言一句完璧に暗記しました。覚えるうちに百人一首自体に興味が湧いてきて、途中から半分趣味になってました。それを見たのかそれとも別のきっかけがあったのか、Aくんも百人一首を本気で始めていました。彼は私よりも暗記力が良かったので、歌の意味に惚れた私のように一言一句暗記ではなく、決まり字暗記(っぽいもの)で勝ちをめざしていました。後日談ですが、同じ学年で百首暗記を達成したのは5人以下だったそうです。
たまたまその時期に席が近かったことや実力が近かったこともあり、私とAくんはよく昼休みに練習試合をしていました。そうして関わりが深くなっていくと同時に「彼への憧れ」がいつしか恋愛感情に変化していきました。そこからの私はもう如何に彼との関わりを増やすかと自分のためにもAくんのためにも絶対に勝ちたいという2つの気持ちだけで行動していました。連絡先を聞き出そうとして失敗したり、決まり字暗記を徹底したり、好きな札を極めたり、対Aくんへの勝率を上げる対策を練ったり、宿題を口実にして話そうとしたり。
そうして奔走した結果、百人一首大会はクラスで学年優勝でしたが、Aくんと話しやすいクラスメイト以上の関係は築けませんでした。今も昔も根が引っ込み思案なのは変わってない…笑 途中でAくんに異性の幼なじみがいることを知り、もうどうにも成就しないと理解はしていたのですが全く引けずにいました。そのせいで知らず知らずのうちにどんどん周りに私の恋愛感情はバレていったんですが。
2年生に上がり、勉強も本格的にやろうとしていた時期でも百人一首は続けていました。クラスの学年優勝の次は個人賞を狙っていたんです。それはまた同じクラスになったAくんも同じようで。席こそ離れたりはしたものの同じ目標を持つ人として、ほぼ毎日練習試合をしていました。夏休みに入るまでそんな生活が続きました。まぁその後、まっちゃと出会うので2年生のその後はほとんどまっちゃに恋愛感情向いてたんですけども。私、恋愛に関しては一度冷めた感情が戻ることがほとんどないんです。なので、Aくんとは2年生の百人一首大会後からほとんど関わり無くなりましたし、3年生でクラスが離れたのでもっと疎遠になりました。実際、私も自分のことでいっぱいいっぱいでした。そんな感情が冷めてからしばらく経って卒業間近の登校日。公立入試の結果報告に行ったんですが、その時風の噂でAくんが高校に受かったことを知りました。少し前に私はAくんがほとんど学校に来なくなったことを知っていたので、自分のことじゃないのに自分のことみたいに安心しました。その後、ケジメをつけようと彼が卒業式に来たら告白しようとか思ってたんですが、来ませんでしたね。玉砕すら出来ないまま卒業してしまいました。
おそらく、これが私史上最も純粋な恋でした。
そんな出来事から早7年ほど経過した現在。20歳になるに当たって出した記念記事やデザインのタネを生み出すための自己分析など過去を振り返る機会がすごく多かったです。そして、ふと自分の中で蓋をしていた中学時代の恋愛を自ら掘り返してみました。行動だけ見たら本当にバカだと思います、自分ですら。しんどくなるのも辛いのも病むかもしれないのも予想がついたのに辞められずにいた。なんとなく直感でこのタイミングで精算しないと後悔する気がしたので。
と言っても私が持っている情報なんてたかがしれています。持っている情報は彼の本名と誕生日と中学時代の部活と同い年で地元が同じということだけ。LINEはおろかインスタすら知らない始末。まぁそれでもやるのが私という生き物で。
とりあえず、インスタで本名を検索したら中学時代使っていたであろうアカウントだけが見つかりました。これだけじゃ今何してるのかはわかりません。その後もローマ字表記など色々試しましたが収穫はなし。次に彼の性格が変わってなければ望み薄ですが、Xも検索。こちらも文字ったりして格闘しましたが、収穫はゼロ。最後の望みをかけてGoogleで本名を検索しました。結果、年齢からしても彼であろう人物がどこぞのバドミントン部として大会に出場していることが分かりました。彼が中学の時から部活としてバドミントンをしているというのは本人が言っていたので知っていましたが、まさかこんなに年月が経っても続いていたのは正直驚きました。しかも、進学先はいわゆる体育会系大学。
もう完全にその系統で食べていこうとしててびっくりしましたね。というのも、中学時代そこそこの成果を挙げていたのは挙げていたのですが、私からはピアノ第一、その他は全部後回し!みたいに見えていたので。人生何があるか分からないですね。
話を戻します。その情報を見たとき真っ先に出た言葉が「ずるいなぁ…」でした。多分、彼は私の事なんて覚えてないでしょう、それこそ昔のお兄さんみたいに。でも、私はその過去に蓋をすることは出来ても解放されたことは無いんです。ずっと離してくれないのに、もう関わるのは愚か会うことも叶わない。本当にずるい。だったらもうなかったことにして欲しいとすら思うんですが、その経験がなかったら今の自分では無いというジレンマ。今の自分だから作れるものがあるのも事実で悔しい。ずるい人ですよ、本当に。消化するどころか余計煮詰まった気がしますが、この感情すらデザイン出来たらそれこそ最強だと思うんです。
バカが着くほどデザインバカなのが取り柄なので、いつか蓋をしている過去すらデザイン出来たらいいな。