なんで言い訳してるか考えたことがあるだろうか?
いつも、自分の意見を人に話すときに言い訳を付けていないだろうか?
「焼肉食べたいけど、先週食べたばかりだから、食べるのやめとこ」
とか
「今夜は彼女に会いたいけど、クライアントに誘われたから仕方がないな」等々。
言い訳を付ける癖のある人は、ちょっと立ち止まって考えてみてほしい。
言い訳は、案外無意識に付け足してしまっている。
だから、注意して自分の言動を見張らないと、するりと流れて行ってしまう。
自分の深いところの思いと言葉が一致していれば、言い訳なんて必要ない。
例に出したのは、かなりライトなパターンだが、もっと自分の根幹にかかわるような事も言い訳をしていないだろうか?
「絵を描いて生きてゆきたかったけど、それではきっと食べていけない」
「家業なんて継ぎたくなかったけど、先祖代々続いた歴史を自分で止めるわけにはいかない」
心の奥の奥の奥底で、自分が抱く思いと発する言葉が違う時に、言い訳が必要となる。
言い訳は誰にしてる?
相手にしていると思いがちだが、言い訳は自分にしているのだ。
私達が帰り道を帰るにあたって、自分の本心に沿って生きる事は非常に大切である。
しかしながら、自分の本心は自分にしか見えない為、誤魔化しても誰にもわからない。だからこそ、ないがしろにしても誰からも責められない。
だけど知っているだろうか、誰からも責められなくても、ずっと水面下で責められていることを……自分に。
一番大切なのに、一番ないがしろにされるのが自分の本心。
あなたの心の声は、必死に訴えていないだろうか?魂は泣いていないだろうか?
その声は子供だろうが、大人だろうが関係ない。潰された声はずっと、あなたの奥底で泣いている。
ずっとずっと、気づいて欲しいあなたに無視されて泣いている。
いつまで無視するのだろうか?死ぬまで聞こえないふりするのだろうか?
言い訳をする時、ほんの少しやましい気持ちになるのは、潰した心の声への罪悪感からだ。
言い訳なんて外せばいい。外して残ったのが本心だ!
今日も焼肉食べようよ!今夜は彼女に会いに行こうよ!
絵を描いて生きていこうよ!家業継ぐのやめちゃえよ!
私達は、もっともっともっとも~~~~っと、自由に生きていい。
自分に制限をかけているのは、他ならぬ自分しかいない。
心の奥底で魂が叫んでいる通りに生きるほど、あなたは回り道することなく
出口に向かって直進している。
次に自分が言い訳をしている事に気づいたら、「あっ!脇道に入っちゃったな」と気づけばいい。そこから戻るか戻らないかはあなた次第。
回り道をしてもいずれは出口には辿り着ける。
だが、さっさと出口まで行きたいのなら、りんご探偵🍎はあなたが脇道から戻ることを強くお勧めします🙏