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まだ、ずっと、今も、元気なまま。

お久しぶりです。りんごです。
ESが提出締め切り間近で、noteを書いてる場合ではないのですが、
こんな大事なことを、「ネタ」のようにしてしまうのも嫌なのですが。
でも、私はやっぱり、自分があの時選んだ言葉を、行動を、
「本当に正しかったのか」と悩んでいるようなので、考えてみます。

おじいちゃんは、まだ。

いつだったか、それすらも忘れているところが、自分の嫌なところですが、
おそらく高校3年生ぐらいに、母方の祖父が亡くなりました。

本当に突然、亡くなりました。
身体が悪くなっているとは聞いていましたが、
私も高校生になって、忙しくなり、疎遠になっていた祖父だったので、
ずっと、元気な頃の祖父の姿ばかりを想像して、
「なんてこともない」ように、話を聞いていました。

「なんてこともない」はずがなかった。
人が死んでいくことを、身近なものとして考えることができなかった。
祖父のもとに駆けつけた時、顔には白い布がかけられていましたが、
母がそれをめくって「頑張ったねえ、ありがとうね」と言う中で、
私は、祖父の顔を見ることができませんでした。

私の中では、元気だった祖父。
そんな祖父が、どんな顔で亡くなっていったのか、見たくなかった。
結局、お葬式の最期の顔合わせも、私は顔を見ることができませんでした。

泣けませんでした。
従姉妹が、わんわん泣いて、最期の手紙を読み上げている隣で、
私は、俯くことしかできなかった。泣けないから。

私の中ではまだ、まだ、元気な姿のまま。


おじいちゃんとオロナミンC

おじいちゃんとの一番の思い出は、オロナミンCです。
忙しい母に代わって、学童の送り迎えをしてくれていたのが、祖父でした。
軽トラで迎えに来ると、必ず私にオロナミンCをくれました。
祖父のサイドにもオロナミンCが置いてあるので、
いつも「いくつ持っているんだろう?」と思っていました。
(母は「ビンは捨てにくいのに…」と文句を言っていましたが…)

私は、祖父からもらうオロナミンCしか、飲んだことがありません。
飲みたいなと思っても、自分では買わなかったし、
買おうとしても、祖父の顔が浮かんで買えませんでした。

祖父が亡くなった今、私はオロナミンCをもう飲めません。
祖父からもらうオロナミンC以外、飲みたくありません。
でも、オロナミンCを眺めることはします。
祖父の元気な姿が、呼び起こされるから。

私の中ではずっと、ずっと元気な姿のまま。


思いをかける言葉

こんな祖父の話を思い出したのは、つい最近の出来事です。
恋人の祖父が亡くなり、急遽恋人が実家へ帰省しました。

帰省する電話とお葬式が終わった電話がそれぞれ、かかってきたのですが、
私はその時、かける言葉に戸惑いました。

恋人の祖父の病状が良くないのは何度か聞いていました。
本人はあっけらかんとその事について話しますが、
恋人は強い人だから、笑って誤魔化す人だから、少し心配でした。

「こういう言葉はかけてはいけない」というものを調べて、
できるだけ、自分らしく言葉を伝えました。

でも、でも、不安だけが募っていきます。
祖父が亡くなった時、私は、どんな言葉をかけて欲しかったの?
母は、従姉妹は、祖母は、どんな気持ちで涙を流していたの?

結局当時は、私はいつからかわからないぐらいに、普通の会話をして、
普通に学校に行って、普通に笑って過ごし始めました。
「いつも通りに接する」ことが私にとっての「思いをかける」なのですが、
正直、これが本当に正しかったのか、相手は本音を吐き出せているのか
ずっとわからないままです。

私の中の祖父は今も、今も元気な姿のままです。
亡くなったという事実があろうが、なかろうが、ずっと変わらない。
だから、元気な姿のまま、いつも通りしたいのです。


皆さんは、故人をどのように悼みますか?
皆さんは、どのような言葉をかけますか?
私が、いつも通りに話しても、大丈夫なのでしょうか?


という、ちょっと暗い話ですが、
自分がかけた言葉が大丈夫だったのか、不安な気持ちを吐露したくて。


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