2024/08/16 日記

夏は意識した途端、その終わりを感じさせる。
ショーウィンドウには秋物が並び、体温に近い気温でもトンボは飛ぶ。
大人になってもう夏休みなんてなくても、ああ夏休みが終わってしまうなどと、真っ盛りの夏の中で過ぎ行く背中を見据えてしまう。

うちの会社にはお盆休みという概念は無い。
まだ入社したてで有給も貰っていない私は、単なる三連休を地元で過ごした。

気が付いたら五連休になっていた。

東北に台風が直撃し、飛行機が欠航となった。
欠航連絡がある頃にはもう翌日の振替便は満席で、翌々日にどうにか帰って来れた。

しかし台風の勢力は奥羽山脈を超えず、岩手の甚大な被害に比して、台風一過の墓参りの、午後に遭遇したゲリラ豪雨の方がよっぽど厄介であった。

実家が建て替わり、姉夫婦と両親の2世帯住宅となり、全館空調の効いた知らない家に私は泊まった。

風呂上がりに更衣室で涼しく過ごせるのは画期的だった。
汗を流した後にまた汗をかく心配がない。
冬の寒さに凍える更衣室ももうないのだと思う。

ホコリひとつない新築の家に、運び込まれた家財をみて、ようやく実家を感じた。

姪は1歳半を迎えていた。

世間的にお盆休み、あるいは盆という概念は12,13日を中心にしているのだろうか。黙示的な休日の概念、いっそ法定の休みにすれば良いのに。

周囲もおそらくその日を中心に休みを組みたてたのだろう。友人たちの帰省と、本来12日の夜に帰る予定だった私の帰省はあまり被らなかった。

半年に1度会う友人たちの近況も聞けなかった。

直接聞くことは出来なかったけれども、友人から入籍報告をもらえた。

近所に住み、小中高と同じ学校に通い、分別のなかったガキだったあの頃の、友人たちが結婚していく。

道理も情緒も未熟で、癇癪と感情だけをぶつけていたあの頃を思い返せば、随分遠くまで来たような気がする。そりゃそうだ。私が思い返すあの頃とは小学校の低学年、幼児がランドセルを背負った頃の話だ。

私らはもう、成人をして更に2桁歳を重ねる手前にいる。

それでも、まだ、世の中を知らない幼稚な私の前で、友人たちだけが大人になって、先に進んでいるような感覚に陥る。


今年も試験に落ちた。

数点足りなくて悔し涙を飲んだ去年に比べてなんと潔く落ちたものか。結果を見るのが恐ろしく、友人に電話を繋いで通知をめくった去年とうってかわり、郵便受けから取り出し、帰省の荷物を運んだ勢いのまま、どうせ落ちてるだろうとハガキをめくったらちゃんと落ちていた。

今年も論文はそれなりに自信があった。
短答は受ける前から自信がなかった。勉強をしていなかったからだ。
あまりにも当たり前すぎる帰結だ。

知識不足、演習不足の一言に尽きる。しかし、演習不足を棚に上げていう。

少し考えれば分かる問題の、少し考える時間がまるでない。
本当に演習を積んでひたすらアウトプット出来る人間のみしか受け付けていない。

ひたすら演習を積むしかない。

それは本当に法学なのだろうか。

法学の真髄は暗記に非ず。

法学部入学してすぐ、誰しも言われるだろう。
条文は目的ではなく手段なのだと。

ただインプットした内容をひたすらアウトプットすることの、何が法学なのだろうか。

そもそも、何故一週間近く論文を書き続けて、最終日のマークでその論文が無になるのか、試験の制度設計した人間、疑問抱かず生きている人間、全てが憎らしい。
時代遅れの手書き試験もようやく私の受験資格が失効したころには廃止される。

演習不足が、物申す。

最後の1年。もうあとは無い。
しっかり演習を重ねようと、心に決める。


我が友人に、幸多からんことを祈って。

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