2024/07/03 日記
フジファブリックが活動を休止した。
2009年からほぼ新曲を聞いていない私が今更騒ぐものではない。
赤い公園も、解散してしまった。
作詞作曲を担うボーカルを失って、チームを維持するというのは難しいことなのだろう。
個々のメンバーそれぞれの出す音色がバンドの曲を成り立たせているとはいえ、ボーカルの声は何よりも大きく届く音だ。
それでもなお、ここまで"フジファブリック"を続けてきたメンバーは、途方もない労力を注いできたのだと思う。
フジファブリックの名が、時代が平成から令和に変わっても残っていたこと、残らせ続けたことを本当にありがたく思う。何様目線という話だが。
正直、山内総一郎がメインになってからの曲は、どこか爽やかさを感じてしまい、志村正彦特有の湿っぽさがなくて、物足りなくて聞かなくなってしまっていた。
プリンだと思って食べたら茶碗蒸しだったときの違和感のようなもの。
とても美味しい茶碗蒸しなのに。
フジファブリックだと思って聞いても、私の知っているフジファブリックようでいて違うもの、と保守的な気持ちが働いていた。
極めて保守的に、私は志村正彦の音楽を聴き続けた。
スマホなんてあるかないかの時代に、持ち運びで音楽を聴く手段はウォークマンで。
ずっとずっと、小学生から高校生まで志村正彦の音楽を聴き続けた。
若者のすべてがにわかにエモーショナルな音楽としての共通認識になってきたとき、私は桜の季節や陽炎、赤黄色の金木犀といった他の季節を切り抜いた曲をも聞くべきだと独りごちていた。
季節だけではなくTEENAGERや虹といった、概念の輪郭を縁った曲も聞いて欲しかった。
進み続けるメンバーのこともバンドのことも見向きせずに、過去についてだけぐちぐち言う害悪ファンそのものだった。
というかファンですらない何かになってしまっていた。
それでも、やはり私はフジファブリックを青春だと呼ぶのだと思う。
特に、抱えきれない孤独や、人としてのどうしようもない部分を、自分だけではないと支えてくれたCHRONICLE。
志村正彦の表現力に救われた人間がいる。
おやすみプンプンを読んでも鼻で笑えるようになり、若者のすべてを聞いて夏の終わりに昔ほど胸を焦がさなくなり、それでも私は、にっちもさっちもどうにもこうにも変われずにいるよ。
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