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マタイ福音書 13:53〜58
ご自分の郷里に行って、会堂で人々を教え始められた。すると、彼らは驚いて言った。「この人は、こんな知恵と奇跡を行う力をどこから得たのだろう。」
マタイの福音書 13章54節
激しいギャップ
町や村を巡って神の国について教えたイエスは、ご自分の郷里ナザレに帰って、会堂で教え始めました。するとナザレ村の人々は、イエスの教えに驚いて口々に言いました。「このイエスは、こんな知恵と奇跡を行う力をどこから得たのだろう」(13・54)。
そこにいた誰もが、イエスのことをよく知っていました。彼らは、イエスがそのナザレで幼少期を過ごしてた様子を見てきたのです。大工ヨセフの息子で、母親はマリア、弟たちはヤコブ、ヨセフ、シモン、ユダ。そして妹たちも一緒だったいうことを、みな知っていました。
しかし、30歳になったイエスがナザレに戻ってきて、突然ある日から会堂で教え始めたり、いやしの御業を行ったりすると、村の人々の表情が曇りました。「このイエスは、これらのものをみな、どこから得たのだろう」(13・56)。彼らがよく知っていたイエスと、いま見聞きすることとのギャップが激しかったのです。
逃してしまった祝福
「イエスは、単なる大工の息子ではないか。律法学者でもないし、祭司でもないのに、偉そうに何様のつもりだ」と、人々は少し腹立たしくも思いました。彼らは、他の町や村の人たちと比べれば、もちろんナザレでのイエスの様子を誰よりも見てきたのです。
しかし、彼らにとってナザレのイエスは、あまりにも身近すぎる存在だったため、別人のようになったイエスを、油注がれた救い主として見ることができませんでした。「こうして彼らはイエスにつまずいた。…そして彼らの不信仰のゆえに、そこでは多くの奇跡をなさらなかった」(13・57~58)。残念なことにナザレの人々は、受けるべき祝福のほとんどを逃してしまいました。
低い関心度
あなたにとって、いちばん身近な人は誰ですか。両親や兄弟姉妹、夫や妻は、神さまが愛する存在として与えてくれた肉親、血のつながった家族です。長い年月を一緒に生活しているだけに、良い部分だけでなく、いろいろ欠点や良くない部分も見えてしまいます。ですから、家族は身近すぎる存在なだけに、同じ家に住みながらも、空気のような存在になってしまったり、関心度が低くなったり、距離ができてしまって、会話が少なくなったり、目線すら合わせることも無くなったりすることもあるかもしれません。
そうなってくると、わたしたちは時々、目新しくもなく面白みも感じない家族よりも、外で時々にしか会わない人たちに、より大きな関心を持ったり、積極的に関わったり、一緒に過ごす時間が増えたり、ということはないでしょうか。もちろんそれらは悪いことではありません。
見失われたもの
しかし同時に、一番身近な、肉親の家族一人一人が、あなたの関心と注目を受けるべき、一緒に楽しい時間を共有すべき、愛すべき存在であることが、いつの間にか見失われてしまうことはないでしょうか。私たちには教会という神の家族が与えられています。しかし、その神の家族を構成する最小単位である肉親の家族が、いつの間にか後回しにされたり、見失われてしまうことはないでしょうか。あなたはどうでしょうか。
イエスの教えを聞いたナザレの人々は、「この人は、こんな知恵(…)をどこから得たのだろう」(マタイ13・54)と口々に言いました。イエスの成長の様子を、彼らがもっと関心を持って心を向けて、直接に関わっていたなら、そのような疑問が生まれたり、救い主を信じることができず、つまずくこともなかったのではないでしょうか。
最も少ない者たち
イエスは言われました。「まことに、あなたがたに言います。あなたがたが、これらのわたしの兄弟たち、それも最も小さい者たちの一人にしたことは、わたしにしたのです」(マタイ25・40)。イエスが言う「最も小さい者たち」とは、最も身近な存在なのに、私たちの心を注ぐ時間が「最も少ない者たち」のことです。
もし、今、じっくりと時間をとって、その人を見つめるなら、聖霊はあなたの心と霊の目を大きく開きます。そして、その人の内に主イエスが力強く働いてくださっていることが見えるようになります。
あなたへ注ぐ愛
あなたの最も身近な家族の一人一人を、主イエスは深く愛し通され、将来に希望を持ってくださっています。あなたの心があまり注がれてこなかったと感じる、それらの最も小さい者たちを通して、実は、主イエスはあなたに愛を注ぎ続けてくださっているのです。
今、顔を上げなさい。伏せていたあなたの目を上げるのです。あなたの関心と心を、あなたの愛する家族に注ぐのです。そうして、彼らの内におられる、主イエスと出会うのです。あなたの家族に、今日、癒しと回復が満ち溢れていきます。天の父と罪人と関係を回復させられたイエスになら、それができるのです。
「イエス様、いちばん身近な家族の中に、あなたを見ることができるように、今、私の目を開いてください」。