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事の良し悪しは、境目を引くことから生まれ、「境目」の本質は「敬意」なのかもしれない
最近、僕たちの周りで「境目」が問われている。
例えば、「いじり」と「いじめ」の境目。
お笑い芸人、ラーメン店主、様々な立場の人の言動が日常的に問題になっている。
僕は、本人が嫌だと感じれば「いじり」ではなく「いじめ」だと思うし、「嫌がっているように見えなかった」との言い訳は自分と他人の認知がちゃんと出来ない人だな、と考える。
他人への敬意に欠けるよね。
「しつけ」と「虐待」の境目も深刻で悲しみが止まらない。
それから「のり」と「悪のり」の境目も危うい。
人には、ちょっと立ち止まって考えれば、かなり高い精度でやって良いことと悪いことが判断できる力が備わっているのだけど、立ち止まらず、考えずに勢いや反射で進んでしまうと境目がどこにあるのか見えなくなる。
ワークライフバランスだと「仕事」と「生活」の境目だね。
ワークアズライフと言い換える人もいるようだけど、「いじり」と「いじめ」のように境目を無くすと、仕事や家庭への敬意を失ってしまうかもしれない。
で、ね。僕たちは、自分と他人、人と神様、人間と自然、色々なものと境目を作ることで、謙虚さや愛情を生み出しているのだろうね。