他害との向き合いかたの変化
おはようございます。
今日は自分がこれまでのキャリアの中で、いわゆる「他害」を受けた時の気持ちの変化について、つらつらと書き記していきます。
1年目「とにかく混乱・痛い・ビビる」
最初のことは今でも昨日のことの様に覚えています。
自分自身がパニックになり、痛くて、帰りは泣きながら帰ったこと。
最初の1年は予兆なんかもイマイチ掴めず、本当に利用者さんにも迷惑かけてしまっていたなあと反省しています。
2年目〜3年目「逃げちゃダメだ逃げちゃダメだ逃げちゃダメ」
そういった行為を受けたときに、徹底的に向き合うことだけに注力していました。
なぜそれがいけないのかを真剣に伝える。どれだけ他害を受けても淡々と伝え続ける。
しかし、ここで一つ大きな失敗をしていました。
「ではどうしたら良いのか」を伝えられていなかったこと。
そりゃあ、本人からしたら苦しくて、困っていてどうしようもないからそういう行為になっているのに、いけないことであることだけ伝えられてもねえ。
自分だったら「じゃあどうしたらいいんだよ!!」って思いますもん。
このころからアセスメントや分析はめちゃくちゃしてて、その人にあった伝え方は利用者さんごとにかなり意識していたけど、肝心なところでの引き出しが圧倒的に足りていなかったんですね。
ここも大いに反省しています。
3年目〜現在「どんと来なさい」
と、思ってはいますが、そもそもの前提として「その人が他害をしなくて良い」関わりや環境設定を第一に考えて実行できる程度にはなってきているので、他害を受けるという行為は正直かなり減りました。
とはいえ、初めましての方だったり、関わり始めて日が浅い人にはいわゆる「試し行動」的な形で多少受けることはあります。
そんな時は「おいで〜」くらいの余裕を見せて、甘んじて受け入れています。
これが正しいのか、間違っているのかは正直見る人によって変わるでしょう。
ただし、「支援員」と「家族」では受け止め方が一緒になるとは限らない、てか多分ならない。
自分はどこまでいっても支援者であり、関わりは有限だからこそこのようなマインドでやっていけているんだろうなとは常々思います。
前提「他害をさせてしまった自分が悪い」と念頭において支援をしていますが、それが家族という関係性なら、もう致し方なく、だれも悪くないというケースが往々にしてあると思います。
そしてそもそも、その行為を「他害」と呼ぶのはあんまりじゃないか。
みたいなことも自分の感覚値では結構あるんですよね。
この辺りについてはワードプレスの方で補足していきましょうかね。