見出し画像

 It すくいたる【短編小説】

【文字数:約3,400文字 = 本編 3,000 + あとがき 400】 



 目が覚めると昨夜の出来事が夢だったのかと思えるくらい、新しいベッドを広く感じた。

 今日は休みのはずだけど。

 考えた後に手を伸ばしてスマートフォンを探り当て、鏡のような黒い画面を見つめる。

 そこに映っている寝ぐせのひどい人間は、昨日の自分とは違っていた。シンデレラの魔法が12時になると解けてしまうように、止まらない時間が私を汚す。

 指先一つで明るくなった鏡には今日の日付と時間、それにベッドが広くなった理由も浮いている。

【確認したいって呼ばれちゃった】

 どことなく楽しそうなのにイラついて、黒に戻した鏡をベッドの上に投げ捨てる。わずかに跳ねて画面を下に、レンズを上にしたまま寝ている板をぼんやり見つめた。

 いったいどちらが顔になるのだろう。

 たまにそんなことを考えてしまうのは、通勤中の駅や電車内が多い。

 本と同じように映し出されるものを眺める一方で、その裏は決して動かない単眼または複眼の仮面。どこへ行くにも一緒なのに、私は彼または彼女のことを何も知らない。

「……起きよう」

 おかしな思考が走り出す前に自らへ言い聞かせ、けだるい体を縦にする。

 朝と昼との間には人を許す何かがある。急き立てられるように起きる必要もないし、まだ一日を楽しめるのがその理由。

 ベッドから床に足をつけて立ち上がれば、童話の太陽みたいになった髪の毛が、ゆらゆら視界の端で揺れている。今ならきっとオスのライオンにだって負けてない。

 とはいえ、野生動物から人間にならないと外は歩けない。

 洗面台の前に立って顔を洗う。寝ている間に汚れた自分を水に流し、きれいな私を呼び出した。重力に逆らう髪を梳かしてなだめ、平日よりも軽いセットで終わりにする。

 さてどうしよう。

 予定を詰めるのは好きじゃない。好きじゃないくせに、何もないと損をしたような気分になる。だから今日は出かける予定をゆるく考えて、それが相手の不在で流れたわけで。

 亀みたいな思考のまま、昼未満の朝食を用意する。

 オートミールにヨーグルト、適当なフルーツに三温糖を振りかける。さらに上からシリアルを重ねれば、どんな不摂生だって許してくれそうだ。

 お粥みたいな砕いたオートミールを苦手という人がいるけれど、たぶん馴れの問題な気がする。私が乳児だった頃の離乳食もこんな感じだったと思うし。

 食事を済ませてコーヒーを飲んだら、何となく外の空気を吸いたくなった。夏が伸びて衣替えに迷う日々も遠くなり、日中なら暑くも寒くもない季節だ。

「あ、そうだ」

 思い出したことを確認しようと、マグカップを持ったままベランダに歩いて行く。

 カーテンを横にずらして視界に入ったのは、昨日までの洗濯物が二人分。

 晴れの予報を見て、洗濯から干すのまでやってくれたらしい。

 自分の背丈より少し高いガラス窓を横にすれば、爽やかな風と香りが鼻先をくすぐり、予定とも呼べないものが浮かぶ。

 そうと決まればマグや食器を片付け、人間らしい服装に着替えて玄関の扉に手をかけた。

 私はそういうの気にしないから。

 電気でしびれたみたいにドアノブから手を離し、さっき再生されたものが何かと記憶を探る。

 それは昨日の夜のこと。

 飲んで帰ってきた私たちを隣の部屋の住人が見て、笑顔でそう言った。
こんばんは、と挨拶がてら軽く話した後の終わりに添えられた、見えない境界線を引き直すための、たぶん悪気のない善意からの言葉。

 気にしない、というのは否定しないけど肯定もしない、みたいに聞こえるのは被害妄想なのかもしれない。シンプルに「いいじゃないの」と言われるのだって珍しいのに、私たちが褒められなくてモヤるのはおかしい。

 お前はおかしい。お前たちはおかしい。

 直接の形でない文字だけなら何度も見てきた否定は、人間を続けるほどに増えていく。それだけ対処法も学んでいるから、ゆっくり息を吸って吐くのを繰り返す。

 よし、と自分の背中を押して外に出る。

 いったん外の空気に触れれば、幻みたいに消えてしまうものは意識の外に押し出される。

 単純だと思いながら乾いた空気を吸い込んで、さっきまでの私を捨てる。それを何度か繰り返せばもう気にならない。

 とはいえ、これといった目的地のないまま歩くのは難しい。

 足を動かしながら風の香りに誘われて、長い階段を上ってから振り返る。
街並みの先には海を渡る橋が見え、平坦な地図アプリがむくむくと起き上がり、自分のいる場所には人の姿をしたアバターが現れる。

 いつか現実を再現するものが出来たとして、じゃあ現実が要らないという話にはならない。

 時間と共に汚れていく不完全な体にも良いところがあって、勝手に足りないものを補ってくれたりする。呼吸なんてその良い例で、空気だけを取り込んでいるだけじゃなく、何か別のものを摂取しているのだと思う。

「……よっし!」

 エンジンをかけるように呟いて、高台の街を歩いていく。

 一軒家の多い道を抜けると人だかりが視界に入る。駅の方角から来るそれは夫婦と子供という組み合わせが多くて、この先にあるものを考えれば謎が解ける。

 学校で行われる漢字二つに祭が付くもの。それは文化祭だ。

 中に入れるのは家族などに限られているけれど、手作り感あふれるアーチを目にするだけで懐かしい気分になってしまう。

 限られた予算に場所と時間という制限だらけの祭りは、どこか現実で見る夢みたいだ。

 授業が終わると準備に明け暮れ、クラスで目立たない存在が活躍したりしなかったりするのも新鮮で、終わった後のことなんて忘れてしまう。正しくは考えないようにしている。

 甘くて苦い時間を思い出しながら人だかりを抜け、脇道から古い神社へと続く石段に入る。

 すぐに人の気配は遠ざかり、左右に石柱が並び始めた。

 新しくて灰色に光るもの。緑の苔におおわれたもの。一部が欠けてしまったもの。

 ここで過ごした時間を伝えてくるそれらの先に、かつては朱塗りだった鳥居が立っている。

 太陽と雨風その他によって色褪せた、やわらかなベビーピンクの出入口。さっき見た文化祭を知らせるアーチも同じ色をしていた。

 なんとなく下を通るのを遠慮して脇を抜けようとしたら、ぴたりと肌に触れるものがあった。

 空へ浮かんで風に吹き流されていく一本の線。

 主のいないクモの巣に、気づかず捕らえられそうになっていたらしい。

 カンダタが天界からの救いとして差し出されたのも、同じものだったとされている。生きた人間の私では触れただけで壊れてしまうけれど、たぶん魂であれば十分なのかもしれない。

 もう見えなくなってしまった救いの糸に手を伸ばす。

 指にはめたリングから何かが出るはずもないのに、掌を裏返してみたりして、とても奇妙なことをしていると自覚する。

 そのときスマートフォンから音が鳴る。

 利き手ではない腕を使ってカバンから取り出すと、【終わった帰る!】という短い一文。

 設定によっては見ることのできないそれは、私の魂を引き上げるのには十分だった。

 これからどうしようと考えながら歩き出す。

 注意していないと風に飛ばされてしまいそうな心を掴まえておくのは、けっこう大変なんだけどね。
 




 あとがき


 秋晴れが気持ちええのぅ、と思いながら考えた突発の短編です。

 「私はそういうの気にしないから」って、相手を思いやるようで傷つけもするよな、というのがスタート地点だったような。

 性別とかは明示していないですが「そういうの」と呼ばれる組み合わせは、たぶんメジャーにはならないのでしょう。それでも存在が認知されるほど、意識もまた変わっていくのかなと。

 カンダタ云々は有名な『蜘蛛の糸』が元ネタです。あれって重さが問題じゃなくて、カンダタの心が悪だったから切れたと思うのですが、なんだかウソ発見器みたいですね。

 11月に入って、いよいよ2025年も身近に感じ始めたところです。

 別に大きな予定があるわけでもなく、本作のキメラみたいなのを形にするのが年内の目標ですね。マジでそれしか言ってないな。

 私は当事者ではないので想像が多分に含まれるわけですが、分からないから書けないって言ってたら始まらないわけで。

 たぶん穏便に生きるなら口を閉ざして目と耳を塞ぎ、手足を縛れば何のプレイだこれ、というのは冗談ですが、やはり関心があるものを形にしたいなと。

 季節の変わり目で体調を崩されませんよう、体調にはお気をつけて。それでは。



いいなと思ったら応援しよう!

りんどん
なかまに なりたそうに こちらをみている! なかまにしますか?