青信号に変わるまで
【文字数:約2,400文字】
お題 : #わたしのバレンタイン
自分の上履きに長方形の物体が被さっている。
いまどき珍しいのを通り越して新しい、下駄箱に置かれた手紙という形だったから、扉の開け閉めが3回必要になった。
ただの勘違いに目の錯覚、最終確認を経て、これが事実だと受け入れる。
「マジか……」
顔の一部になりつつあるマスクの中でつぶやき、首を左右に動かして誰かが見ているのではと探してみる。ひっそりとした校舎内には隠れられそうな場所もなく、どうやら心配なさそうだ。
その日は午前中に登校して課題のプリントを受け取るだけなので、自分より早く来たクラスメイトの誰かが仕掛けたのだろう。
何でもアルコール消毒するほど神経質ではないから、パステルブルーの封筒をそのまま手に取る。照明にすかしてみたけれど、やっぱり書かれている内容は分からない。
ふと気になってマスクを下にずらし、封筒を鼻先へと近づけてみる。
「……何を期待してたんだか」
残念がっている自分に呆れつつ、折り目がつかないよう制服の内ポケットに収めた。
手紙なんてレトロな遊びを思いついたのは誰だろうと、画面でなら見慣れた素顔を思い浮かべながら、自分の教室へと向かった。
◇
夏の頃は1つのクラスを半分に分け、交互に登校するなんてことをやっていた。それを参勤交代と呼べるくらいの余裕があっても、もはや普通の学校生活は思い出せない。
僕らは変わらない。世界が変わったんだ。ニューノーマルで新しい生活様式に慣れるしかない。
昔の子供は様々な遊びを発明したらしいから、今の時代にあった遊びを考える。
下駄箱に手紙を入れるのも1周回って新しいのかもしれないし、だいたいのことは調べれば分かってしまうから、分からない面白さが貴重なんだと思う。
◇
帰宅して、制服のままパステルブルーの封筒を取り出す。
掌の上にちょうどいい文庫本くらいの大きさで、差出人や宛先は書かれていない。さらには切手を貼るべき部分も見当たらず、手作り風とかそういうものなのかもしれない。
何度か表と裏を引っ繰り返してから、いよいよ開封に移る。
楽しみなのと怖ろしさを半分ずつ感じながら、二つに折られた紙を取り出して一気に開く。
【2月14日に緑ヶ丘の交差点で】
封筒と同じ色の便箋から、その一行だけが浮き上がってくる。ゆらゆらと空中をさまよって、理解できる高度までくるのに少し時間が必要だった。
「……これだけ?」
問いかけても新しい文章が現れることはなく、はっきりとした時間も分からない。でも、日付には覚えがある。
殉教した聖人バレンタインの記念日で、一粒のチロルチョコさえダイヤと等価値になる日だ。
そこまで考えたところで閃いた。
おそらくこれは二段構えの作戦になっていて、浮足立つ自分を背後から襲い、交差点で殉教させるという意味なのだと。
通学中に渡る交差点を知っている人間は多くない。というか知っていたら怖い。
「つまり襲撃を阻止できたら勝ちってことか」
言葉にすることで勇気を奮い立たせ、壁に貼ったカレンダーを見る。来週も課題のプリントを取りに学校へ行くから、それを知っている人間が犯人だ。
その中で可能性が一番高いのは安岡で、みんなからはヤスと呼ばれている。
「犯人はヤス……たぶん」
決め手に欠けてはいたけれど、それっぽい相手がいるだけでも安心できた。
◇
1週間後の朝、指定された交差点へとやってきた。
交通量が多くて駅に続く道もあるためか、信号を待つ人がけっこういる。密になるのを避けて離れた場所に立ち、様々な後ろ姿を視界に捉えた。
自分と同じ学校の制服で、見知った背格好を探してみる。
いない。
時間はいつも通りだし、日付も間違っていない。呼び出しそのものが悪い冗談だったのかもと考えたところで、歩行者用の信号が青になった。
遠ざかる後ろ姿と反対側から歩いてくる人間がすれ違い、そのうちの1人に目が止まる。
リモート授業で同じ画面に収まっていたクラスメイト、相田さんだった。
やがて交差点を渡り終え、そのままこちらにやってくる。
「おはよう」
やや遅れて「おはよう」と返し、すぐに変だと気づく。相田さんは学校の方角を背にする形で立ち、今まで見かけたこともない。
「まさか」
思いがけない犯人に言葉を失って身構える。それを見計らっていたように、目の前のクラスメイトは制服の内ポケットに手を差し込んだ。
「いつもの時間に来てくれてよかった」
言いながら相田さんの取り出した長方形が、こちらへと向けられる。
「これ、いつかのお礼」
「……うえ?」
命の危険を感じて拳を握るのに忙しく、間抜けな声が出てしまった。
「刃物でも出すと思ってた?」
「ここに来いって、それだけだったし……」
「学校でもなかったからね」
そう言って肩をすくめかけた相田さんは、手にしていた長方形のことを思い出したらしい。押し付けるように渡されたそれは綺麗にラッピングされ、それなりの厚みがあった。
「えっと……ありがとう」
「お母さんのと同じやつだけどね」
「でも待っててくれたんだよね?」
「こんなときだから学校でってムリでしょ?」
相田さんが笑うのと同時に、ふたたび交差点の信号が青になった。
「あ、じゃあわたし、こっちだから」
そうして人の隙間を縫うように相田さんは駆けていき、あっという間に見えなくなった。しばらくすると信号は赤になり、何事もなかったかのように車が行き交う。
手にしていた長方形へと視線を戻し、なんとなく裏返してみる。そこに書かれた自分の名前を見つけ、顔が熱くなるのを感じた。
通勤途中の交差点にて、たぶん高校生かと思われる2人が渡し渡されをやってまして、朝日にも照らされていたせいか眩しかったですね。
学校という空間を避けた理由は気になりますが、道行く人は朝から幸せな気分をお裾分けしてもらえたのでした。
これはそのときのことを回想しつつ、自分なりに想像してみたフィクションです。