センスがない
【文字数:約800文字】
むかし職場にいた関西の人は、やたらと「センスがない」と言うのが口癖だった。
技術面もしくはタイミングといった失敗を総じて「センス」という、捉えどころのないもので表現することにより、角も立たたないし和やかな雰囲気になる。
そして現在、私は先日のツーリングで長年に渡り愛用していた扇子を落としてしまった。
暑い盛りの2~3ヶ月しか使わないものの、補修しながら10年は使っていたと思う愛用品で、それなりに良い品だからショックだった。
もちろん使うタイミングも外から屋内に入ったとき、頭などを冷やすために扇ぐくらいだから、なくても別に困らない品ではある。
ただ、ハンディファンやネッククーラーといった機械モノと違い、なんとなく風情のようなものがあるし、たためば上着の胸ポケットにも入ってしまうくらいの携帯性が魅力だ。
ちりめん素材のシャツと合わせれば和風っぽくなるし、それでなくても冷房が弱めな室内などでは重宝した。
なごりおしさから新しいものをと考えているが、長い目で見るなら2,000円くらいの黒っぽいスス竹を使ったものがいい。
とはいえ、始めに書いた通り季節ものなので使わない月数を考えれば、あまり投資する必要性もないというか。
弓道および茶道をやっていると、わずかながら扇子とも縁ができる。
元日など節目に行われる弓道の射会では、的を貼る安土に扇を立てて狙う催しがあるし、茶道において扇は亭主と客の境界線を作る、けっこう重要な品でもある。
その関連で手元にある扇子を使ってはみたものの、いかんせん扇ぐための用途ではないので使いにくい。たぶん落語家でも、もうすこし見映えのする大きいのを使っているような。
扇子を失うという悲しい出来事があったけれど、このときのツーリングでは嬉しい収穫もあったので、トレードオフというか身代わりになったと思えばいいのかもしれない。
それでなくても久しぶりのツーリングで、バッテリー上がりにもなっていなければ、トラブルもなく帰宅できたので良しとしよう。