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この社会を構成する部品。それは人間。
『コンビニ人間』 村田紗耶香 読了レビューです。
ネタバレ:一部あり 文字数:約1,400文字
・あらすじ
36歳。女性。独身。職業はコンビニのアルバイト。
大学一年のときに働き始めた店で、18年に渡って勤務し続けている。
勤務態度は真面目で他のスタッフにも気を配ることのできる、優秀な店員だ。
けれど彼女はコンビニ以外で働けないという。
その理由とは──。
・レビュー
古倉恵子とは何者か?
主人公の古倉恵子は、同じ店で18年に渡ってコンビニバイトを続ける女性だ。
ただし、その名前にさほど意味はないのかもしれない。
彼女は子供時代を振り返って、次のように語る。
コンビニ店員として生まれる前のことは、どこかおぼろげで、鮮明には思い出せない。
古倉はコンビニで働き始めたことで、やっと生きがいを得られたらしいけれど、どこかおぼろげで、入れ替わりの激しい商品のように記憶から流れてしまう。
コンビニ店員となったときだけ他のスタッフの作る影を集め、古倉と呼ばれる存在になれる。コンビニのために食事をして、眠り、次の勤務に備える。
そんな彼女は初仕事の日に、次のような想いを抱く。
そのとき、私は、初めて、世界の部品になることができたのだった。私は、今、自分が生まれたと思った。世界の正常な部品としての私が、この日、確かに誕生したのだった。
彼女は「普通」ではない。
誰もがそう思うだろうけれど、私は「わかる」と思った。
部品になれた喜び
人間は家族と呼ばれる集団の部品として生まれる。
最初の人間とされるアダムも神が創造したとされるので、いちおう彼らも家族と呼べるのかもしれない。
そうして部品となった人間は、この社会を維持する役目を期待されながら成長し、新たな家族を作るのが人生の幸福とされてきた。
自らの意思とは関係なく、生まれてから死ぬまで部品であり続ける人間は、生きるために労働を求められる。
家族や幼稚園、学校の部品として居心地の悪かった古倉が、コンビニという24時間365日、止まらず動き続ける場所に生の実感を得たのは、むしろ必然だった気がする。
店員として与えられた役割をこなす間、「自分が必要とされている」と充足した気持ちになるのは理解できるし、労働の持つ喜びの1つだろう。
けれども社会は、古倉に異なる部品としての役割を期待している。
アルバイトではなく社員として就職する。あるいは結婚して子供を産む。
社会に貢献しない人間には奇異の眼差しが向けられ、それができない理由を求められる。
空気のような「普通」に合致しない人間も、この世界には存在するというのに。
きっと誰もがコンビニ人間の素質を持っている
本作の最後、あらためて古倉は自らをコンビニ店員だと自覚する。
「身体の中にコンビニの『声』が流れてきて、止まらないんです。私はこの声を聴くために生まれてきたんです」
そんなことを面と向かって言われたら、たぶん誰だって気味悪く感じる。
でも「コンビニ」を「子供」に変えてみたらどうだろう。
あるいは「本当の自分」としたら、さほど違和感を覚えない気さえする。
対象が変わっただけで構図としては変わらない。それを社会がどのように評価するかの違いだけだ。
こうして文字を操っているのも、脳という司令塔から部品である手が動かされた結果だ。
その脳に存在する自我でさえ、何かの部品でないと誰が言えるのだろう。
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