ライブ配信≠動画投稿
【文字数:約1,300文字】
※ 思考をまとめるための記事です。
制作中の話でVTuberについて書こうとするも、調べれば調べるほどよく分からなくなってきた。
いったん完成(仮)としたのはいいが、爪じゃなくて詰めが激甘な実感もあったのでひたすら考えて、実際に配信を観るなどしてきたけれど、結局のところ1つの疑問に行きつく。
それは「なぜVTuberとして活動するのか?」という根源的なものであり、なぜ人は創作をするのか、くらい答えが無数にある。
知っている限りだと、ゲームともだちが欲しいから、自分の歌を聴いてもらいたくて、直球で稼ぎたいからなど、姿勢の違いを含めるなら文字通り十人十色として間違いない。
リアルの顔や名前を出さないで活動するのであれば、noteにおいて私が「りんどん」として記事を投稿するのも同じであり、映像や音による動画投稿は親戚みたいなものだろう。
ただし、リアルタイムでのライブ配信は似ているようで、性質を異にする表現に思える。
もう今は絶滅した気がするけれど、公園で「鬼ごっこする人、この指とーまれ!」と宣言して、適当に数を集めて遊ぶみたいなことをwebでするのがライブ配信だと捉えている。
現代的にアップデートするなら携帯ゲーム機を持ち寄ったり、まんまオンライン対戦するのも客観的に見れば、自分たちに向けたライブ配信といえるような。
webにおける最大の利点は「距離の概念がないこと」で、関東にいながら北の大地または地球の反対側にいる人とやり取りできたりするのは、まちがいなくwebあってこそだ。
場所の制約もないから無限にチャンスが転がっている、というのを誰かが言っていたけれど、もちろん等しく誰もがチャンスを掴めるわけではない。なにより「何をもって成果とするか」は人それぞれだし、専業から趣味に舵を切った人もいるようだ。
週5とかで配信する専業でない、副業あるいは趣味としての活動において、そのモチベーションがリスナー視点だと考えつかない。
通話料が定額なのをいいことに、やたら長電話をしていた経験があるからそれに近いのではと思いつつ、基本的に「発信するのが好き」という姿勢は共通しているだろう。
そもそも考えているのが消極的な理由で配信するVTuberなもので、存在の自己否定によって全然しっくりこない。私ですらnoteは創作の1形態として捉えているのに、あえて表に出だす理由とは何だろうか、と悩んでいる。
あまり美しくない表現だけれど、投稿を「思考のゴ〇捨て場」と称する人もいる。でもライブ配信でそれに類することをするのは露悪だし、そもそも配信はそこまで気軽にできる表現でもないような。
事件や逮捕にまで至った暴露系YouTuberや某政党などは、雑に捉えるなら稼ぐための配信だろうし、方法に問題があっても動機としてなら普遍的なものだ。
世界に向けて「××××!」と叫んだところで燃えるだけだし、程度の差はあれポジティブな理由で向かうだろうから、いよいよもってネガな人がいるのかと悩む。
結局のところ分からないことを再確認したのみで、本稿を締めることにする。