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『OFF / SHOT』 4/6 《短編小説》
【文字数:約4,000文字】
お題 : #創作大賞2023 +(#イラストストーリー部門)
Back : 3/6
霧が晴れたようにカット45の撮影は終わり、休憩を挟んで最後の場面に取りかかる予定だ。
モニカ演じる桐原が悪魔のタチアナを超好きというのが裏打ちされ、そうした話を原作者から引き出したことで、現場全体の空気も変わったような気がする。
ときにポンコツな面を心配されていたのが上書きされ、監督からは「よく潜ったね!」と絶賛されていた。
「……はぁ」
ふたたび校舎の外に出た翠那は、ぼんやり空を見上げていた。
『マーダー・バレット』の主役は桐原蓮華であり、タチアナの出番は終盤のみのラスボスみたいな位置づけだ。桐原が追われる理由を作った重要なキャラではあるけれど、これから迎える結末を考えれば人気は出にくいだろう。
いつからかそうして計算するのが癖になり、これくらいで、という匙加減をしてきたような気がする。
新人のモニカ・蒼瑠が主役に選ばれ、そこから作品を理解しようと努めた結果が今だとしても、本人の努力なしでは実現しなかったはずなのに。
「……負けてるなぁ」
声にしてみたら実感も強くなり、快晴の青い空が滲んでくる。ガチ泣きするとメイクが落ちるし、撮影にも影響するから目を閉じて深呼吸。悔しさその他を吐き出して、何も入っていない空っぽの器を想像する。
器の中には水を満たして鏡を作り、これから演じるタチアナを呼び寄せて問いかける。
(あなたは桐原をどう思っているの?)
翠那の声で返事をされるうちは未完成。まだ観客の1人として関わっているだけの部外者に過ぎない。
モニカの語った桐原のあれこれを注ぎ足し、水面に映るタチアナの解像度を上げていく。見たままを再現する以上の高い要求に加えて、悪魔になる前の妄想かもしれない記憶を道標に、姉の桐原を求めた理由を育てていく。
同じ問いを繰り返そうとしたら、重たい響きが美しい水面を掻き乱した。
器から追い出された眼差しが扉に向いて、現実の桐原が姿を現す。
「おつかれさまです! こちらにいらっしゃると聞いたので!」
白衣を脱いで足元は室内用のサンダル履き、小脇に冊子のようなものを抱えており、学校の教職員でも通じそうなモニカ・蒼瑠その人だ。
正直なところ2人きりにはなりたくない。でもここで追い返すか、ましてや逃げるなんてプライドが許さない。
暗い葛藤を悟られてしまわないよう、努めて余裕を醸しだす。
「あたしにアドバイスでもしにきたの?」
声にしてから失敗したと後悔する。これからも同じ業界でやっていくのだから、ウソでも仲良しごっこを続けないといけないのに。
翠那は断頭台に歩かされる罪人の気分でモニカの言葉を待っていたけれど、
「っごい! すごいですっ!」
「……は?」
振り下ろされたのは断罪ではなく賞賛と尊敬の眼差しだった。
「今の去年公開された『インスタント悪役令嬢』のサラ様の台詞ですよね! 私あのシーンで鳥肌が立っちゃって、ええと……ほらこれ!」
興奮するモニカの差し出したスマートフォンの画面には、自宅のテレビで再生したと思われる『インスタント悪役令嬢』が映っており、そこには真紅のドレスを着た翠那が立っていた。
《あたしにアドバイスでもしにきたの?》
さっきと同じ台詞を放つサラは上半身だけを振り向かせ、表情でもって本心とは異なるのだと訴えている。
数秒前に記憶を戻してみれば、さっきの翠那もまた意図せず同じ体勢になっていた。
「プライドがあるから助けてって言えなくて、でも本当は手を差し伸べてもらいたくて……」
熱っぽく語る姿にはウソがなく、とてもじゃないけど勘違いだなんて打ち明けられない。ましてや演じたサラと真逆の心境だったなんて、絶対に言えるはずがない。
ふとそこで、とある可能性が頭に浮かぶ。
「……あなたもしかして、あたしのファンなの?」
わざわざ問いただすように確認するのは人生初だから、聞いている側が緊張してしまう。
お互いのために否定されることはないにせよ、同じ業界人として、まぁまぁわりと、なんて無難な答えが返ってくると予想していたら、当のモニカは真顔になって、
「あの、えっと……それ、それはですね……」
夕焼けで照らされたみたいに顔が赤くなり、不規則な泳ぎをする両目は忙しく、両手の指が金髪を触ったり絡ませたり、とにかく分かりやすい。
ここは先輩でもある翠那から歩み寄るべきだと考えて、
「蒼瑠さん、ありが──」
「ごめんなさい!」
親切心のつもりで膨らんだ風船に手を出したら、ぱちんと弾けた。
「……ええと?」
感謝を伝えようとしたはずなのに、なぜか告白して断われた人みたいになってしまい、しばし呆然とする。
頭を下げた謝罪もセットになっているし、かつて多くの生徒が学んだ学校にいることを踏まえれば、このままドラマや映画に使えそうだ。ただし、告白した人が自分から断るみたいな、わりと謎な展開なのだけれど。
「ええと、蒼瑠さんはあたしのファンで……あってるよね?」
すると食い気味に肯定のち距離を詰めてくる。
「はい! はい! もちろんです!」
「ああ、そう……よかった」
わずかに後ずさりながらも、本来あるべき場所へ収まったような安堵感にため息が漏れる。たぶん負けたように感じるのは気のせいだ。
「それで? どうしてファンなのに謝るの?」
ふたたびの「ごめんなさい」が来るかと身構えていたら、意外な返答があった。
「……ガチのファンが共演者だなんて、気持ち悪いですよね」
「そんなことないけど」
「でもでも、けっこう当たり強くなかったですか?」
「いや、それは……」
自覚はなくとも即否定できなければ、それは肯定しているのと限りなく近い。わずかな一滴の墨汁であったとしても、水面に浮いた黒は全体を濁らせる。
だったら、混じり合うより先に動くしかない。
「……今はこの作品に集中したくて、主演は蒼瑠さんだし自分なりにサポートできればって、そう思ったから」
金魚すくいの要領で黒点を取り除き、同時に水を注ぎ足した結果、
「あ、ありがとうございます!」
どうにか撮影中の不和を回避することはできそうだった。
「ほら泣かない、メイクが崩れちゃう」
「ずみません、嬉しくて……実は共演が決まったときから、ずっと緊張してて……」
「もしかしてたまにポンコツだったの、それが原因?」
「ポンコツ……」
「ああ! ごめんなさい!」
撮影が始まってからずっと振り回されていたせいで、ついにボロが出てしまった。
いざカメラが回り出せば、役に溶けこむような没入と演技力を前にして、たぶん嫉妬するのと同時に憧れていたのだと思う。
相反するような感情を認めてしまったら、自分が崩れてしまうのではと恐れていた。それらの核に宿るものは近しいから、むしろ翠那のほうが緊張していたのに。
自覚したら意味のない虚勢に思えて、ふつふつと可笑しさが込み上げてくる。
「……ふっ、ふふっ、あはは!」
「えっ!? すいません、私また何か……」
やわらかな陽射しを吸い込んだ髪が、おろおろするほど金色のベールみたいに揺れる。美しさに愛されながら慌てふためく姿は愛しくて、いつまでも隣で見ていたい。
その願いに付けられた名前を知っている。でも言葉にすると撮影の邪魔になってしまうから、今はまだ種のまま沈めておくことにする。
笑いが収まってから翠那は花嫁みたいな共演者に訊ねた。
「そういえばモニカは何か用があったんじゃないの?」
「あ、はい! 実はですね……」
ずっと脇に抱えていた冊子を恭しく捧げ持ち、それに隠し持っていた黒い油性ペンを添えて、
「サインお願いします!」
「……そういうのは撮影が終わってからだと思うけど」
差し出されたのは役者に配られる台本で、撮影終了後にはプレゼント企画のサイン入り台本を作ったり、作らなかったりする。そもそも広告や販促としての位置づけだから、共演者に求められた記憶はない。
困惑を隠せずにいると同じ申し出が繰り返され、どうやら引っ込める気はないらしい。
仕方なくペンと冊子を受け取り、『マーダー・バレット』のタイトルが印刷された最初のページにサインをする。しかも「翠那」と「SUINA」の両方という徹底ぶりだ。
完全にインクが渇くのを待ってから、本来の持ち主へと返却する。
「ありがとうございます! 死んでも家宝にします!」
「おおげさだなぁ……ていうか、死んでもっておかしいでしょ。生きてるうちにしてよ」
「もちろん! 私は翠那さん一筋ですから!」
「はいはい、どーもありがとう。あたしはいいけど、これから共演する人には頼まないほうがいいかもね」
記念用に求められるならアリとして、ときに同じ役を取りあうライバルでもあるから経験上、深入りし過ぎるのは傷つく原因になる。
理由を聞いたモニカは悩ましげに頷いたけれど、やがて胸に台本を抱えたまま明るい表情に戻った。
「私、中学の頃に翠那さんに憧れて役者になりたいって思ったんです。だから私にとって、初恋の人……なんだと思います」
「……聞いてるこっちが恥ずかしい」
「だって本当のことですし」
「どうせ何度も使える一生のお願いみたいなものでしょ」
胸の上あたりまで来ていながら素直に「ありがとう」を言わないのは、役者としてなら合格なのかもしれない。それなのに嬉しくなくて、貼りついた仮面を今すぐ捨てて感謝を伝えたい。
前と後ろどちらにも進めず足踏みをしていたら、
「いいえ、これは一生で一度だけです」
風が吹いたみたいに誰かが歩み寄り、耳元で囁いた。
「私は“あなた”が大好きなんです」
名前でないから遠いはずなのに、代わりに用いられた呼びかけは翠那だけに届き、吐息に載せた声で顔が熱くなる。熱せられた血液は全身を巡り、モニカの離れた後もまだ近くにいるのではと錯覚した。
結局、待ちくたびれたマネージャーが撮影再開を伝えにくるまで、翠那はその場から動くことができなかった。
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