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第55回/野中郁次郎、前田裕之(聞き手)『「失敗の本質」を語る――なぜ戦史に学ぶのか』

『失敗の本質』が読み継がれる理由

『理念と経営』では、折々に「失敗」についての特集を組んできました(2021年7月号の「『失敗』が組織を強くする」など)。

失敗特集は読者の皆様からの反響も大きく、人気企画の一つです。経営者にとって、成功した企業に学ぶのと同じくらい、失敗した企業から学べることは多いのでしょう。

そして、失敗から学ぶための本といえば、多くの人が思い浮かべるのは『失敗の本質――日本軍の組織論的研究』ではないでしょうか。
同書は、元は1984年にダイヤモンド社から刊行されたもので、6名の研究者(戸部良一・寺本義也・鎌田伸一・杉之尾孝生・村井友秀・野中郁次郎)による共著です。

副題のとおり、旧日本軍が第2次世界大戦前後にくり返した失敗について、組織論的に研究した内容です。分析対象に選んだのは、ノモンハン事件、太平洋戦争におけるミッドウェー作戦、ガダルカナル作戦、インパール作戦、レイテ沖海戦、沖縄戦の6つでした。
それらの作戦の失敗を通じて、日本軍の組織としての特性や欠陥を明らかにした研究が、『失敗の本質』でした。

同書の第3章(終章)は、「失敗の教訓――日本軍の失敗の本質と今日的課題」と銘打たれ、日本軍の特性や欠陥が、現代日本の組織にも“負の遺産”として引き継がれていると捉えています。

つまり、『失敗の本質』は、単なる戦史研究にとどまらず、日本の組織がいまも抱えたマイナス面を浮き彫りにする内容なのです。だからこそ、現代の経営者や組織リーダーにも読み継がれてきました。

1991年からは中公文庫に入っていますが、初刊行から40年近くを経たいまなお売れ続けるロングセラーになっています。
つい先日、累計100万部の大台を突破したそうです。

2016年には、就任間もなかった小池百合子東京都知事が記者会見で「座右の書」として挙げ、時ならぬ脚光を浴びたこともあります。
日本で組織を率いる者なら、旧日本軍と同じ轍を踏まないためにも熟読すべき名著なのです。もちろん、中小企業経営者もしかり。

「世界の野中」が戦史研究をしてきた理由

ただし、今回取り上げるのは『失敗の本質』それ自体ではありません。同書の元になった研究会を主導した世界的経営学者・野中郁次郎先生(一橋大学名誉教授)が、舞台裏を語った『「失敗の本質」を語る』を取り上げたいのです。

『理念と経営』にも折々にご登場いただいている野中先生は、企業などの組織が新しい「知」を創り出すメカニズムを解き明かした「知識創造理論(SECIモデル)」で知られています。

野中先生は、企業のイノベーション研究と戦史の研究を2本柱としてきました。イノベーションはともかく、なぜ戦史研究に深く関わってこられたのか? 不思議に思う人も多いかもしれません。その理由も、本書を読めばわかります。

企業研究は、成功についての研究に偏りがちです。研究のためには当事者たちに詳しく取材する必要がありますが、企業側は自社の失敗については語りたがらないものだからです。

若き日の野中先生も、そうした壁にぶつかりました。

《企業の事例研究を積み上げ、その背景にある構造や法則を見出し、理論を構築するというのが、米国で学び取った方法論です。帰国後は、その方法論をもとに日本企業の事例研究に取り組んだのです。(中略)
 ただ、企業を訪問する事例研究には制約がありました。企業が協力してくれるのは、成功事例として取り上げてもらえると期待しているからです。成功事例だけではなく、失敗事例の研究をしたいと思っても、協力してくれる企業は現れません》

このままでは研究が成功事例ばかりに偏ってしまう――そんな悩みを打ち明けた先輩から奨められたのが、“企業の代わりに、日本軍の失敗を研究してみたらどうか?”ということだったのです。
その先輩には従軍経験もありました。“自らも当事者となった日本軍の敗因を、科学的に明らかにしてほしい”との思いがあったのかもしれません。

ともあれ、それが、企業研究と戦史研究を2本柱とする方向性を定めた、最初のきっかけだったのです。

また、企業の成功事例を研究するうち、野中先生はそのことが孕む難しさにも気付いていました。

《経営学者として「成功している企業」への訪問を続けてきましたが、成功と失敗の境界線を引く難しさも感じていました。
 物語にたとえれば、失敗は悲劇、成功は喜劇にあたりますが、失敗と成功は物事の両面であり、どちらか一方だけを見ても全体像はつかめません。足元では成功しているように見えても、後に失敗に転じる企業もあります。成功か失敗かが判明するまでに時間がかかる事例も少なくありません。(中略)
 栄枯盛衰が激しく、結論が出るまでに時間がかかる企業研究に比べると、戦争研究は勝敗がはっきりしています。第2次大戦で日本が負けたのは動かしがたい事実であるし、戦争は総じて短期間で終わるので、成功と失敗の本質を明らかにしやすいのでは、と考えたのです》

ここに、野中先生が戦史研究を始めたもう一つの理由があったのです。
先生の「代表作」とも言える「知識創造理論」が生み出されたのは1990年代ですが、それはいわば「成功の本質」に迫った理論でした。その対極にある「失敗の本質」を、戦史研究の中で追究し続けてきたからこそ、「知識創造理論」も生まれたという面があります。
まさに、イノベーション研究と戦史研究は野中先生にとってコインの両面であり、2本柱だったのです。

『「知識創造理論」を語る』でもある

「『失敗の本質』は名著だが、その舞台裏だけで一冊の本になるものなのか?」といぶかしく思う向きもあるかもしれません。ほかならぬ私も、本書を読む前にはそんな思いを抱きました。
しかし、読んでみれば、本書は『失敗の本質』の舞台裏だけを語ったものではありませんでした。

『失敗の本質』は野中先生の著作で最もよく知られているため、いわばアイキャッチとしてこのタイトルが選ばれたのでしょう。
実際の中身は、『失敗の本質』を中心に据えつつも、それ以外の野中先生の主要著作についても語られたものでした。もちろん、「知識創造理論」が生み出された経緯と、その発展プロセスについても詳しく明かされています。つまり、本書は研究者としての野中先生を自ら概説する内容なのです。

また、「世界の野中」の歩みを振り返ることを通じて、結果的に過去数十年の経営学史までも概観できる本になっています。たとえば、次のような記述が随所に登場するのです。

《米国の経営学界で一世を風靡したコンティンジェンシー理論はやがて下火になりました。「すべてはコンテクストに依存する」という考え方は相対的であり、理論として成り立たないとの批判を浴びるようになったのです。私も90年代に独自の知識創造理論を生み出し、脱コンティンジェンシー理論へと突き進みましたが、現在もコンティンジェンシー理論の価値を認めています》

さらに、野中先生が随所で語る日本企業の特質は、それ自体が独立した価値を持つ企業論です。たとえば――。

《日本企業の組織は、大きなブレイク・スルーを生み出すよりも、一つのアイデアの洗練に適しているのです。製品ライフサイクルの成長後期以後で、日本企業は強みを発揮します。家電製品、自動車、半導体などの分野での日本企業の強さの由来はここにあります》

《私が注目したのは「ミドル」の存在です。変化に直面している日本企業の組織のなかで、ダイナミックな動きの核になっているのがミドル。プロジェクトのリーダーであり、肩書でいえば課長でした。
 日本企業が元気だったころは、課長がパワーを持っていました。上下のバランスを取りながら、組織全体の中核にいて、活発に動いていました。組織のダイナミクスの根源だったのです》

本書は『「失敗の本質」を語る』であると同時に、『「知識創造理論」を語る』というタイトルに変えても不自然ではない内容です。知識創造理論について、生みの親自らが解説した本でもあるのです。

だからこそ、知識創造理論を経営やイノベーション創出に活かすためのヒントも、本書にちりばめられています。その意味でも、中小企業経営者に一読をすすめたいのです。

野中郁次郎、前田裕之(聞き手)著/日経プレミアシリーズ/2022年5月刊
文/前原政之

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