半分半分の心
私は幼い頃…いつの頃からか、自分は半分しかないんだ、と朧げに思っていました。
今、その事を思い出して…忘備録の代わりに記していきます。
体調はやはり良くはないですが、周りの別の病院の反対もあり、手術予定の病院をやめセカンドオピニオンを進めています。
何でかな、私がそんなふうに思うようになったのは、幼い頃に転校をした頃からです。
幼稚園で一緒だった子たち。
どうして、同じ小学校に上がらなかったんだろう?
小学校で誰ひとり、知っている子が居ませんでした。友達は出来ませんでした…
私だけ、とても身体が小さくて、休憩時間は廊下に出なければならない変な規則があり、そこで友達作りをするよう言われるのですが…何故か他の組の子はダメ。
それでも、他の組で家が近い子と登下校するようになりました。学校にいる間は話せません。
それでも、2年生の時に転校が決まりました。
父母は、何の説明もなく事前にみんなにお別れを言う時間も与えず、いきなり私たち兄弟を車に乗せて「ここに引っ越して住むんだよ。学校も変わるからね」と…
家を建てていたことは知っていたのですが、それが引越しになって学校が変わるというのがつながらなかったのです。
引っ越しというものを、全然説明されなかったから…
そこから先は、都会から田舎の学校に来たこと、それだけの理由で散々なイジメに遭いました。私は次第に身体が弱っていき、登校、下校がつらくてたまらなくなりました。
下校中に「自分の体は勝手に歩いているけれど心は別のところにある」と感じるようになりました。
いじめもなくなり、自我が強くなってきた頃…好きなことに没頭したりで充実感はありました。しかし、反面、父親からの虐待があり…また、私は学校を休みがちになり、部屋の窓から青空を眺めては「20歳まで生きたくない」と思うようになっていました。
虐待でその先までの地獄に耐えられそうになかったからです。
何とか家を脱出し、技術職に就きました。
でも、バブル崩壊の煽りで失業。
そこから、彼氏も同じように就職できないまま、八つ当たりされ始めて…また、虐待の日々がやってきました。
私は、仕事にも夢破れ、彼氏にも要らないと扱われ、段々と自分が失われて削れていくような感覚になりました。
このまま、自分は消耗してちびた鉛筆みたいになって消えるのかな。
そう思っていました。
ぼんやりして、何かを考えようとしても本も読めなくなっていました。
それで思い切って、別の職業の応募に行き、相談をしました。
仕事は、人様のために寿命を削るような思いをして尽くすようなものでした。
ただ、私は何となく「私の罪滅ぼしだから。今まで運が悪かったのは、自分が悪かったから。それを返せる機会だ」と思ったのです。
人に尽くすことで贖罪ができると思いました。
私は生きた心地がしました。
職場は過酷でしたが、欠けている魂が一つになったような感じがしたのです。
虐待で「自分はいてはならない者」と思っていた自分に、無意味な虐待への理由と、それを埋めていけるという人生の目的、自分を取り返せると、思っていました。
その道は結局、過労で倒れてしまい…そして更に「お前が間違っていたから倒れて迷惑なんだよ」とまで、言われるようになってしまいました。何度も何度も、不景気で仕事がなくても探しては働き、数年で賃金上げが嫌だからと解雇され、また探して働き…私はボロボロになっていきました。
家にお金を入れるために、倒れてでも働け。と言われたからです。
実際に、5回も倒れて入院しています。
そして次第に、倒れてしまう、入院してしまうことを、疎まれ憎まれるようになりました。
私は、今回も自分の価値を取り戻すことが出来なかったのです。
もう、辞めようと思いました。
私の半身が取り戻せなかったら。私は半分以下でしかないし、もっと使われてちびた鉛筆のようになって、心がだんだん崩壊していくでしょう。
でも。私はそのように自分を選び、半分以下も自分がない、と怯えながら、選択にもまた間違うのではと怯えながら…最期の時を迎えるまで運命にも意地悪されながら生き抜くのです。
だって。それなら、私なりに自分で考え、選んで生き抜いたと、言えるでしょう?
他人の影響や他人のせいにしたのではなく…
だったら、誰も私を後から一生懸命生きなかった、と批判することも出来ないのです。
ありがとうね。今日も些細な良いことが有りますように。