竜胆いふ偽エッセイ第四回「命を軽くする方法」(BFCフォーマット版)

 わたしの半身、ゴミ溜めの少女、フェイス・アップチャーチに捧ぐ。総てのビューティーに祝福があらんことを。 

 イスラエルによるガザ地区空爆を発端とする戦争という名の民族浄化が行われて一年、世界中の人々によって今一度、国家イスラエルとパレスチナに目が向けられ、国家による民間人虐殺が嘆かれて久しい。
 多くの人がこう叫ぶ――尊い命が!
 それ自体は高尚なことだと思う。だがそれと同時に、彼らに対して憎しみを覚えずにはいられない。彼らはどうして、そのことばかり取り上げるのだろう。他にも無慈悲に失われている命があることを彼らは見ない。彼らは知っているのだろうか、二〇二三年四月にケニア東部で児童約四〇〇人の遺体が発見されたことを。同年、中国甘粛省にて発生した巨大地震によって多くの死傷者が出たことを。世界各国の大手報道機関が翌年一月一日に発生した日本の地震を取り上げたが、中国の地震を報じたのは僅か一社だけである。SNSが普及し、個人がメディア媒体となってグローバルなニュースが瞬時に発信される現代社会においても、人は見たい物事しか見ない、という構造は変化していないどころか、その傾向はより一層強まっている。彼らは自分の視界に映っていないもの、カメラレンズの外側にある社会に関心を持たない。地に伏して助けを求める人間が彼らの足元で手を伸ばしているというのに。彼らが高らかに上げる声で誰かの助けてと叫ぶ声が掻き消されている。
 もちろん、わたしも全世界の悲惨な事故や事件の被害者総てを認識できるわけではない。しかし、毎日が命のやり取りだったあのボルティモアで生まれ育ったわたしは、彼らよりも命の重さと尊さを知っているし、二〇〇一年九月一一日と二〇〇五年八月末の光景をみたわたしは、メディアと社会と人々とによって命がいとも容易く軽くなることを知っている。そして何より、社会に見棄てられたわたしたちは、声をあげることもできないままゴミの山に埋もれて死ぬ畏怖いふと苦しみを理解している。

 憎らしくも晴れ渡った青空を見ると、わたしは二〇〇五年のことを思い出す。
 二〇〇五年四月四日、前日までの寒さは一転して、朗らかな日だった。母親が蒸発して約三か月、売春の必要は無くなったが、そのおかげで以前よりも残飯漁りに費やす時間が増えていた。精液の苦さと臭さを体験せずに済むものの、チップもジャーキーも貰えない。頼みの綱といえばわたしの半身が貰ってくるお菓子の半分とダイナーやコンビニの廃棄物程度。家は元より無いも同然だったから、苦はない。近隣住民によって暗黙の了解の基に不法投棄場として使われていた空き地の、雨風に曝れてくたびれたカウチに寝転がっていたわたしはそんなことを考えながら起き上がる。その拍子に、積み上げられていた新聞の山が崩れた。わたしたちの大切な財産の一部だ。
 それにしても遅いな、わたしは自身の半身、自分たちが存在した証拠としてF・Uくたばれの文字をこの世界に刻印ファックすべく、ふたりで一人として同じ名前――フェイス・アップチャーチを共有すると誓った少女のことを考えていた。わたしと同じように親によって小児性愛者との売春を強制されながらも、この世界を憎むことなく、愛していた少女のことを。
「ねえ、フェイス、知ってる?」カウチに座るわたしの膝の上で、彼女は訊ねたことがあった。「ニューオーリンズにはね、地域社会が子どもを見守るっていう文化があるの。誰の家の子どもであっても、彼らは社会全体の宝として保護されるの。きっとそこには居ないんじゃないかな、わたしたちみたいな誰の目にも留まらない、ゴミってやつはさ」彼女の目は、このクソみたいな世界の内装インテリアに不相応なほど美しく輝いている。彼女と出会って三年が経ち、彼女となら本当の家族になれるかもしれない、そう思った。
 WSJウォール・ストリート・ジャーナルの上で目を転がしていると、彼女は帰ってきた。
「ただいま」彼女は笑顔を浮かべながらそう言っていたが、それが必死に取り繕ってできたものであることをわたしは理解できなかった。いや、彼女のことだから、もしかしたら本気で、心の底から、笑っていたのかもしれない。「少し疲れちゃった」と言いながらわたしの膝に頭を預けたとき、彼女が小刻みに震えていることにようやく気付いた。「震えが止まらないのに、体中から汗が止まらなくて。今日は寒いのか暑いのか、よく分かんないね。麻薬の離脱症状って、こんな感じなのかな」彼女はやはり笑いながら言う。
 服をめくると、彼女の腹部は紫に変色していた。わたしは通りに出て誰かに助けを呼ぼうとしたが、彼女がわたしの手を掴んで行かせてくれない。
「わたしは出生証明書がないから、病院に行ったら、ママにまた迷惑かけちゃう。それより一緒に居て、頭撫でてよ。そしたら、治るから」
 わたしは彼女の言う通り、彼女の震えが止まるまで、ずっと頭を優しく撫でていた。彼女の汗と血が乾くまで撫でて、空が赤くなるまで撫でて、街角の娼婦が帰路に就くまで撫で続けた。彼女と家族になるまで、ずっと。彼女の美しい瞳が、この世界から失われるまで、ずっと。ずっと。
 彼女の遺体はゴミ山の中に埋め、その二年後、養子として日本へ発つ日の早朝に、ゴミ山と共に燃やした。その火事は地元紙にすら掲載されなかった。当時のニュースといえば、イラク戦争、ローマ教皇崩御、そしてアメリカ全土での住宅価格上昇ばかり。灰と化した瓦礫の中に九歳前後の少女の遺体が眠っていたことは、わたしだけが知っている。

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